第一章 聖女と竜③

 外の光に目が慣れた頃、芽衣たちを乗せた小舟は湖のほとりにたどり着いていた。

 アラインが眠っていた洞窟は、この湖に通じていたのだ。

 湖のまわりは、か細い木々におおわれた湿地の森。その緑にとけこむように、男性と少女が待ち構えていた。


「お待ちしておりました! 我が神、アライン。そして、異界よりおわす聖女様」


 待っていたうちのひとりが、両腕を広げて言った。背が高く、がっしりした男性だ。そのため彼の声は、静かな森によく響いた。

 男性はひざまずくことなく、満面の笑みを浮かべて芽衣とアラインを見つめていた。だが、その態度のほうがよほど騎士のものよりも敬愛に満ちていると芽衣は感じた。

 キラキラとした笑顔はアラインに会えたことを本当に喜んでいるのがわかるし、芽衣に向ける視線も友好的な好奇心がにじんでいる。この人が旅の一行に加わることに、芽衣は少しほっとした。


「わたくしは、聖森に仕えるネメトの徒、ナールと申します」

「須崎芽衣です。よろしくお願いします」


 手を差し伸べて舟を降りるのを手伝ってくれたナールに、芽衣はペコリと頭を下げた。人に礼を返す方法を他に知らないからだ。ナールは不思議そうにしてから、真似て頭を下げてみせた。


「ああ、名乗るのが遅れました。私はマータラム王国騎士団所属、サイラス・ダーモットと申します。どうぞ、サイラスとお呼びください」


 アラインが舟から降りると、続けて降りた騎士が取ってつけたように膝をついてみせた。このサイラスという騎士の感じの悪さがどこから来るのだろうかと考えて、芽衣はあることに気がついた。


「服の模様……紋章がちがう。サイラスさんとナールさんは所属がちがうんですか?」


 サイラスが身につけている赤い上衣の服には、剣をかたどった模様が白く染め抜かれている。それに対してナールの全身をおおう渋い緑のローブのお腹のあたりには、蔦の巻きついた杖のようなものが描かれている。

 芽衣はただ、気がついたことを口にしただけだったのだが、アライン以外の全員が何やら気まずそうな表情をした。まだ自己紹介のすんでいない少女にいたっては、信じられないという顔で芽衣を見ていた。……最初からこの少女の視線は芽衣を品定めする様子だったのが、いよいよ気に入らないと言いたげに変わったのを見て、芽衣は自分がまずいことを言ったと悟った。


「われわれはネメトの信徒ですが、騎士様はシアルマ教の方ですので」

「そっか、宗教がちがうのね。……変なこと聞いてごめんなさい」


 少女の鋭い視線から逃れようと、芽衣は急いでナールに謝った。

 学校ではわりとうまくやれていたから人との衝突は少なかったが、それでも先に折れてしまうのが吉と学んでいた。せっかく同じ年頃の子が旅に同行してくれるのなら、仲良くしたい。それが無理なら、せめてぶつかり合うのは避けたかった。


「シアルマとは、何だ? いつからそのようなものがわれらの旅を取り仕切るようになった?」


 芽衣が話題を引っ込めようとしても、アラインがそれをさせなかった。舟の上でもただよわせていた疑心をよりあらわにして、アラインはサイラスを見ている。

 だが、その問いに対して口を開いたのはナールが先だった。


「シアルマとは、英雄シアルマを奉(まつ)る宗教です。聖森を征したシアルマは神に選ばれた存在として、この天地にあるすべてのものを導くと、百年ほど前に興(おこ)った宗教で……」

「百年前とは、われが眠りについたすぐあとか……」


 ナールが沈痛な面持ちで説明すると、苦々しくアラインと呟いた。


「ようは卑しい侵略者ってことよ」


 補足するように、少女が吐き捨てた。

 ナールの話を聞いてよくわからなかった芽衣も、それでようやく理解した。


「侵略者など……とんでもない! 私はシアルマの徒として、シアルマの眷属である竜神様たちの浄化の旅を支えるよう任を拝しました。竜神様や聖女様に害をなす意思は持っておりません」


 ひとりだけ立場のちがうサイラスはさすがにこの流れをまずいと思ったのか、少女をキッと睨んだあと、あわてて目を伏せた。

 敵意ないというのは、おそらく本当なのだろう。だが、アラインに対して敬意を持っていないのも、隠しようがない。

 それってどうなのだろうと、芽衣は不安になった。


「そんなことより、世話役の女。早く名乗れ。お前の態度こそ不敬だろう」


 サイラスはなぜか、少女に対してだけ強気の姿勢だ。不敬と言われムッとしつつも、少女は胸に手を当て礼の姿勢をとる。


「聖女様のお世話をするよう任じられました。エイラです。シャリファ様に憧れて、シャリファ様のような方にお仕えできればと務めてまいりました」


 そう言って少女――エイラが見ているのはアラインだけだ。認めていないから視界に入れないというのがありありと伝わって、芽衣はげんなりした。

 だが、先代の聖女・シャリファと比べてがっかりしたゆえに嫌われたのなら仕方がないと芽衣は思った。どうしようもないことで嫌われたのなら、ジタバタしないというのが芽衣の信条だった。


「供は、これだけか」


 ポツリと、アラインが呟いた。その声ににじむ落胆に、ナールが心底申し訳なさそうな顔をした。


「それが、シアルマ教の考えだそうです。ですが、われわれが精一杯お供し、不自由のないようにいたしますので」

「いや、よいのだ。一番初め、この世界に来たばかりの旅は、友とたったふたりから始まったのだからな」


 そう言いつつも、アラインが寂しそうなのがわかった。おそらく、これまでの旅はもっと大人数で楽しいものだったのだろう。それをちがう宗教の人間たち――アラインを慕っていない人たち――に牛耳られて寂しいものにされるのは、面白くないにちがいない。


「あの、私、頑張るからね」


 ナールとアラインの落ち込み方があまりに不憫で、芽衣は思わずそう口を挟んでいた。自分が何をすべきなのかも、何ができるのかもわかっていないのに。

 それでも、アラインや、彼を神とあがめるネメト教の人々が苦難を強いられているのは何となくわかった。シアルマ教という新たに興った宗教によって、ネメト教の人々が虐げられているのだ、と。

 遠い国の出来事としてではあるが、そういった宗教のちがいによる争いが起きているのはニュースで見て知っている。今現在も世界のどこかに宗教のちがいによる軋轢は存在しているし、過去にもたくさんあったのだ。

 だから、これからの旅が平穏にはいかないだろうことも想像できた。


「……では、これから一番近い聖森に向かいますので」


 気まずい空気を払拭するようにおざなりの笑顔を浮かべ、サイラスが言った。彼は義務的にいこうと決めたらしい。

 こうして、芽衣たちの旅は始まったのだった。



 浄化の旅というのは、この国――今はマータラムと呼ばれている――の各地にある聖森を巡るものらしい。

 聖森というのは、アラインがこの世界に降り立ったときに出現した森のことを指すのだという。アラインは緑と水を司る竜で、彼の出現によってマータラムは今のような緑と水の豊かな場所になったそうだ。

 この世界は、本当に緑と水にあふれている。朝露にぬれてしっとりとした森の中を歩きながら、強い緑と水の気配に、芽衣は静かに驚いていた。


「メイ様はこういった場所を歩くのは初めてではないのですか?」


 すぐ前を歩いていたナールが、気づかうように芽衣を振り返った。


「シャリファ様は、湖を見ても森を見ても大変驚いたと伝え聞いておりますので」

「肌の色から考えると、水の少ない地域の出身だったんでしょうね。私は緑もあるし、水に困らない国の出身だから、こういう景色は見慣れてるかな」


 ナールの興味津々な視線が面白くて、芽衣はポケットからスマホを取り出した。

 ナールはネメト教の神官というが、その好奇心の旺盛さは学者か何かのマニアのようだ。芽衣自身は何かに深く傾倒するたちではないが、そういった気質の人は嫌いではない。だから、そういう人たちの好奇心は満たしてやりたいと思うのだ。

 ナールはちがう世界から来た芽衣のことを知りたがり、思いつくたびにいろいろと尋ねてくる。そのため、退屈なだけの徒歩での移動も、今のところ楽しめている。


「見て。これは今年の夏に家族でキャンプ……外で寝泊まりしたときの写真。川が近くにあったから、お父さんが張り切って魚を釣ってるところ」


 日本がいかに緑と水の豊かなのかわかってもらうために、芽衣はキャンプ場近くで撮った写真を見せた。清流と夏の太陽にきらめく木々をバックに、芽衣の父が釣り竿片手にピースして写っている。


「日々の糧をこの川で得ているのですか?」

「ちがうちがう。仕事とか学校がお休みのときに、こうして自然がいっぱいあるところに来るの。普段はお店で買ったものを食べてるよ」


 ナールが気になったのは写真の中の景色ではなく、芽衣の世界の暮らしぶりらしい。そういえばさっきも、芽衣が日頃何をしているのかを尋ね、高校に行っていると答えるとそれが何かと聞かれた。


「メイ様の暮らす世界というのが、まったく想像がつきませんね……。この写真というものを収めた箱のような作り出す技術を持ち、学者でも神に仕えるものでもないのに学ぶ者がいるとは……」


 ナールはスマホを、そして芽衣をしげしげと見つめ、首を傾げた。

 いくら説明しても、写真を見せても、理解できないのは仕方がないだろう。おそらくこの世界は、芽衣の世界でいうところの十五、六世紀のヨーロッパに似た様子だ。コロンブスが大航海に出かけた頃の人々に現代のテクノロジーを見せたら、まるで宇宙人に出会ったような気分になるだけにちがいない。

 芽衣だって、生まれたときから当たり前に存在している社会システムや便利な道具にただ触れているだけで、それらをしっかり理解しているわけでないのだから。


「私、この世界の人にとっては異世界人で未来人って感じなんだね」

「疎外感を覚えているのなら、大丈夫だ。そもそもわれは、人ですらないからな」


 隣を歩くアラインが、励ますように微笑んだ。ほんの少し寂しく思っていたのが伝わってしまったのだろう。それがわかったから、芽衣は笑顔を返す。

 心配する周囲の人には、芽衣はそうやっていつも笑ってみせる。


「そろそろどこかで休憩しましょうか。聖女様はしゃべりどおしでお疲れでしょうから」


 先頭を歩いていたサイラスが立ち止まり、振り返った。彼がチラリと一瞥したのはナールだ。ナールのおしゃべりがどうやら気に入らないらしい。


「まだ森まで歩かなくてはならないんですよね? 私は、大丈夫です」


 不慣れな自分のせいで予定が遅れるのを芽衣は気にした。それに、疲れているといえば、ナールがとがめられるかもと思ったのだ。


「メイ、甘えておきなさい。その履き物では足が痛いのだろう?」


 アラインがそう言って、芽衣の足元を見た。“その履き物”というのは、ローファーのことだ。

 他の周りの子たちのようにスカートをうんと短くしたり派手なメイクをしたりということはしていないが、まっすぐ下ろしたままの髪とローファーは、芽衣の数少ないこだわりだった。

 こだわりゆえに、歩きにくいこともよくわかっている。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 ここで強がっても後々迷惑をかけるだけだと思い、芽衣はサイラスの勧めに従うことにした。



「車や電車が無理なのはわかるけど、せめて馬車があればなあ……」


 木陰に腰を下ろし、芽衣はこっそり呟く。旅というのがまさか、徒歩によるものだとは思っていなかったため、そのことが少し気を滅入らせていた。それなりに都市部に暮らしている芽衣にとっては、舗装されていない道を何時間も歩きつづけるのは苦行だ。これから先ずっとそうなのだと思うと、どうしても気持ちが沈む。


「聖女様は日頃、宙にでも浮いて移動なさってるんですか?」


 木に背中を預けて立っているエイラが、ツンと芽衣を見下ろして言う。嫌味を言われているとわかったが、芽衣は腹は立たなかった。集団行動において、遅れを取る者が嫌われたり疎まれたりするのはよくあることだ。

 自分に否があるとわかっているときは、下手に言い返さないほうがいい。その代わり、芽衣はニッコリしてスマホの画面をエイラに差し出した。


「さすがに宙に浮いて移動する手段はないけど、空を飛ぶ乗り物ならあるよ。飛行機っていうの」


 芽衣がそう言って見せたのは、沖縄に修学旅行に行ったときの写真。濃い青空と飛行機の白い機体のコントラストがきれいで、それを背景に友達と何枚も何枚も撮ったのだ。


「鳥でもないのに飛ぶんですか? どうやって?」

「何かね、エンジンってものがグルグル回って飛ぶんだよ」

「何ですか、その適当な説明……どうやって飛ぶのかわからないものに乗るなんて信じられない」


 ツンツンしつつも、エイラは芽衣のスマホに興味津々だ。こうやって少しずつ打ち解けられるだろうかと、こっそり考えてみる。 


「さっきから気になっていたんですけど、この小さな箱に、人が閉じ込められているんですか……?」

「え、ちがうよ。これは写真っていって、写したものを記録しておくの」


 こわごわとスマホを見ているなと思っていたら、どうやらそんなことを考えていたらしい。その反応がおかしくて芽衣はつい笑ってしまいそうだったが、それをこらえてカメラモードを起動した。


「今からエイラのこと撮ってあげる。笑って」

「え、ちょっ、やだ……!」


 怯えるエイラにカメラを向け、ボタンを押す。パシャという機械音にエイラは震えあがり、スマホの画面を見せるとさらに目を見開いた。


「やだ! 返してー!」

「だ、大丈夫! 何も盗ってないから」


 大昔の人は、写真を撮られると魂を奪われると考えていたという。それと同じようなことを思ったのか、画面の中の自分を見て取り乱している。そのあわてる姿は、ツンツンしたり鋭い視線を向けたりするよりもうんと好感が持てて、芽衣はつい笑ってしまった。


「……笑わなくたって」

「ごめん。でも、そうやってしたほうが可愛いなって思って。髪もきれいな赤色だし、目も緑で素敵」


 芽衣は素直にそう言った。

 女の子特有のおもねるためのお世辞ではなく、本音だ。事実、エイラの肩上で切り揃えられた髪はゆるくウェーブのかかった赤みの強いオレンジで、芽衣の目には美しくうつっている。色素の薄い緑色の目も、日本人とはちがう種類の肌の白さも、メイクなしではっきりしている顔立ちも、素直に羨ましいと思ったのだ。

 だが、その褒め言葉はエイラの気に入るものではなったらしい。


「……嘘ばっかり。そういう嫌味、やめてください」

「え……」


 ムスッとして、エイラは芽衣から離れていってしまった。怒らせたことはわかっても、それがなぜかわからず、戸惑うことしかできない。


「メイ様、そろそろ出発いたしましょう」

「あ、はい……」


 少し離れたところでアラインと話し込んでいたナールが、コソッと呼びに来た。先に歩きだしてしまったエイラのことは、サイラスが追っている。もたもたしているわけにはいかず、芽衣も立ち上がる。


「この国にも馬車くらいならあるのですが……この度の浄化の旅は人員も経費も限られておりますので……すみません」


 ナールが申し訳なさそうに言う。ネメト教の人たちが苦しい立場にあるのはわかるから、芽衣も申し訳なくなって首を振った。


「もし道中に身体がきつくなったら言いなさい。われが抱いて運んでやるからな」

「……ありがとう」


 小さなものを見るような優しい笑みを浮かべるアラインに、芽衣は恥ずかしくなる。でも、好意は受け取っておこうと、お礼は口にした。

 そんなやりとりを、サイラスに引き止められて立ち止まっていたエイラが見ていた。その顔に浮かぶ鋭い表情を目にして、芽衣の気持ちは沈んだ。

 始まったばかりの旅は、いろいろと前途多難だ。

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