私はアルタイル

そうま

第1話 私はアルタイル

 ――それは直観だった。

 高校に入学してから季節が一巡りし、通学路の桜が七分咲きを迎えた頃。毎朝登る階段の数が増え、7:3の不安と期待を胸に、割り当てられた席に座った。

 まだ見ぬ担任が教室のドアを開けるまで、私は黒板に書かれた歓迎のメッセージと全く進まない時計の針とを交互に眺めていた。残念ながら、例年通りの人見知りが炸裂していた。

「よ、はじめまして。きみ名前は?」

 不意に、時計を見つめる私の視線が黒い影に遮られた。黒い影は学生服で、見上げると整った顔をした男の子が私を見下ろしていた。

「は、はじめまして。私は……」

 緊張しながら名を名乗る。思わず男子に声をかけられたので、膝の上においていた手が湿る。彼は席に腰を下ろし、ニコニコ微笑んでこっちを見ていた。

「へーっ、いい名前。おれの名前は――」

 彼はその外見にぴったりのさわやかできれいな名前を言って、「よろしくね」とまた笑った。もうダメだ、と思った。私には眩しすぎる笑顔。でも、それを直視せずにはいられない。たとえ顔が焼き焦げても、彼の眼を見ていたいと思った。

「あれ?もしかして――やっぱり!林間学校以来だね!」

 今度は右後ろから、はきはきした女の子の声。隣の席の椅子をぐっと引いて勢いよく着席し、机の横に鞄を躊躇なく置く。きれいな顔立ちの女の子が私の顔を覗き込んだ。

「ね、覚えてる?あの時同じ部屋で話した――」

 彼女の顔には見覚えがあった。去年の夏、林間学校でルームメイトになった子だった。愁いを帯びた高貴な風貌とは相いれない元気の良さに最初は戸惑ったが、趣味が悉く共通していたので仲良くなった。林間学校きりの関係だったが、こうして再会できるとは。私もうれしくなって「久しぶり」と自然に笑みがこぼれた。

「あなたは多分はじめましてよね、名前は?」

 彼女が前の席の彼に話を振ったので私も彼の方を見た――見なければよかった。

 彼は私の隣にいる彼女の顔を見つめていた。視線が彼女に固定されてしまって、口を小さく開けたまま微動だにしなかった。


 ――それは直観だった。

 確信めいた気づきだった。絶対に気がつきたくはなかった。でも、そんなの無理な話だ。だって、私は彼の眼を――この身が焼かれても見ていたいと思ったのだから。

 間違いなく一目惚れだった。彼女を前に彼の声はうわずり、頬が紅くなっていた。私に声をかけた時とは全く異なる、余裕のない引きつった笑みで顔がいっぱいになっていた。

 期待も不安も、何もかもが急に消し飛んで、言いようのない居心地の悪さだけがそこに残った。




 長袖の制服にみんなが嫌悪感を抱き始めた頃、二人は付き合いだした。何の意外性もなかった。うつくしい男女が関係をもつ、ごく自然でごくありふれた光景。問題は、それが私のすぐ近くの出来事だということ。

 彼女は、彼と付き合いだす前も後も、変わらず私と接してくれた。というか、一番交流が深いクラスメートだった。その日も、二人で愛してやまないアニメの劇場版公開を控え、私たちははしゃいでLINEを送り合いまくった。

「来週はどう?」

 私が聞くと、

『ごめん、来週はきつい。それ以降だといつ大丈夫?』

 そう返って来た。別に、彼女は来週どんな予定があるかなんて一言も言ってない。むしろ、言わないようにしている。だけど私は、彼女が来週をどのように過ごすのか、と余計な想像を膨らませてしまう。

 ――彼の顔が浮かぶ。休み時間になると、いつも後ろを振り返る彼の顔。とびきりの笑顔。私はそれをじっと見る。でも、彼と目が合うことはない。それでも見るのをやめない――心が焼け落ちそうでも。

「ごめん、来週以外は厳しい」

 私はそう送ってスマホを投げ出した。枕に顔をうずめる。最悪だった。ここから逃げ出したくなった。彼女はいつだって優しい。きっと、私の気持ちに気づいているはず。だから、私に気を使ってくれる。昼食の時はいつも誘ってくれる。優しくて気づかいのできるすてきな友達。だからなおさら、嫌いになりそうだった。

 わかってる。彼女は何も悪くない。全く落ち度がない。じゃあ、悪いのはだれ?――彼を見つめる私だ。体が朽ち果てようと見つめ続けると決めたのは私だ。

 それでも、憎い。苦しい。腹が立つ。嫌い。大嫌い。彼も、彼女も、私も。全部、大嫌いだ。




 ――それは直観だった。

 春になり、新しい出会いに期待をもって教室に入ると、見覚えのある後ろ姿。おさげ髪がとても似合う可愛らしい彼女のことを、わたしはよく覚えていた。

 テンションは自然と上がって、いい感じに彼女へ声をかけられたと思う。今考えると、ちょっと張り切りすぎてた感じは否めないけど。

 私は勢いに任せてイスに座った(結局わたしの席だったから問題ない)。さっさと鞄を下ろして、彼女の顔をのぞいた。またあの子の顔が見られると思うと、うれしかったから。

 でも、彼女は、まるで別人のような顔をしていた。ルームメイトのわたしには見せたことのない表情だった。


 ――それは直観だった。

 彼女の眼は、目の前の男を捉えて離さない。その妙に顔のいい男は、わたしの方を見たまま呆けている。試しに、彼に名前を訊ねると、その顔をきらきらさせて話し出した。隣の彼女はわたしに目もくれず、彼のことを熱心に見つめていた。

 わたしは担任が早く教室のドアを開けることを祈った。新学期早々、わたしの期待の中に怪しい渦が立ち込めたのだった。




 彼女がわたしから――わたしたちから距離を置こうとしているのはすぐわかった。お昼になると「一人で食べるから」といって席を外した。そんなの許せなかった。そんな――つまらないことで、友情が消え去ってしまうなんて。

 わたしは休み時間、目を伏せがちになった。授業が終わると、彼はいつもこちらを振り返る。いつもわたしを見つめている。鬱陶しい。馬鹿みたいに無垢な笑顔を浮かべて、あなた何も考えていないの?わたしの隣であなたを見つめてる女の子のことを、少しでも気にかけてあげようとしないの?

 嫌いだ。まっすぐな彼も、彼を跳ね除けるわたしも。

 追いかけなきゃいいんだ。わたしが近づこうとすればするほど、お互いしんどい思いをするのはわかってるはずなのに。それでも、わたしは彼女を手放したくない。

 だから、近づきつづけた。遠ざかることも考えたけど、それは埋められない傷跡をどこかに残しそうだった。だから、わたしたちは傷つき続けた。頭がどうにかなりそうだった。




「……だからびっくりしたんだよね。あなたが『私はアルタイル』なんて題名の暴露話を卒業文集で書こうとした時は!」

 そう言って席を挟んだ先の彼女がけらけら笑った。私は自身の恋愛を星座の並びにあてはめるという過去の自分の青臭さに赤面してしまった。ごまかすようにアイスティーを飲む。氷がすっかり溶けてしまっていて、味が薄い。まさかカフェで突如始まった思い出話に、二時間も三時間も費やすとは想像していなかった。

「『彼と彼女の関係は一年ほどで終わり、夏の大三角はただの直線と化したのだ』……あれを初めて見せられたときの衝撃は何年たっても忘れられないわ」

 彼女はにやにやしながらカフェラテを飲み干した。口の周りに白いひげがついたまま、「そうそう」とスマホを取り出した。

「見て見て、これが今の彼氏」

 そう言って彼女はツーショットの写真を見せてくれた。彼女の隣には、人柄のよさが顔にまで滲んでいるような、誠実そうな印象の男性がこちらを向いて小さくピースしている。

「あなたの好みとはちょっと違うかな」

 そう言う彼女の口の周りを指差して「泡」と指摘すると、彼女は私にスマホを預けて紙ナプキンを一枚取り顔を拭き始めた。デキる女ど真ん中のいで立ちにそぐわないその振る舞いに思わず笑ってしまう。私はスマホに映った男性をじっと見ていた。

「……私も好きになっちゃっていいの?」

 その言葉に、彼女は手を止めて目を丸くした。私は精一杯に挑発的な女の顔を演じて見せたが、数秒置いてから彼女は「ぷっ」と吹き出してゲラゲラ笑い始めた。あまりに可笑しそうにしているので、私の顔から悪女の相は消え、周囲の客から投げかけられる視線に顔が赤くなってきた。そんな状況を察して彼女は笑うのを中断し、涙を拭いながら言った。

「もちろんよ」

 彼女はそう言ってテーブルに肘をつき、身を乗り出して私の目をじっと見た。

「渡すつもりはないけどね。――わたしが、ずっと見てるんだから」

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