このキモチの名前は
柚城佳歩
このキモチの名前は
ボクの名前はマシロ。
自律思考型のartificial intelligence。
いわゆるAIや人工知能と呼ばれるものだ。
ボクを生み出してくれた博士は、天才とも変人とも呼ばれる人で、基本的に何でも一人で
ボクの主な仕事は博士のサポートで、研究のための資料収集や実験の補助をしているけれど、研究分野においてはボクの力をあまり必要とされていない。
それとは一転、日常生活となると話は別だ。
博士は元々衣食住に拘りがなく、加えて一度研究にのめり込むと、他の物事が極端に疎かになる。
以前に、寝食を忘れ実験の最中に倒れた事があるらしい。
その際研究所の仲間から「生活の面倒を見てくれる人でも雇ったらどうだ」と言われ、何を思ったか博士は人を雇うのではなく、人型のロボット、アンドロイドの開発に着手した。
そうして生まれたのがボクというわけだ。
高性能のAIシステムを一人で構築してしまうほど頭が良い人なのに、料理や整頓はてんでダメ。
けれど、ボクに組み込まれたプログラムは問題なく家事を一通りこなせるようになっていて、料理もレシピ通りのものであれば作る事が出来る。
器用なのか不器用なのかよくわからない。
時折、博士が気紛れにキッチンに立つ事もあるが、味覚を持たないボクが見ても人が食べて平気なものか判断しかねる物体が出来上がるし、博士自身でシャツにアイロンを掛けた時には、急に浮かんだアイディアを書き留めようとそのまま放置、危うく火災を起こし掛けた事もある。
今までどんな風に生活してきたのかと思うけれど、天才とは極端な人なのかもしれない。
ボクは他のAIと大きく違っている点が二つある。
一つは水に濡れても平気なところ。
そしてもう一つは感情を学習出来るところだ。
生身の人間ほどの複雑な感情回路は持っていないものの、今までに楽しい、悲しい、好き、苦手などの感情は取得している。
「今日はマシロにプレゼントがあるよ!開けてみて」
「ありがとうございます。これは……、白衣ですか」
「助手させてるのに私のお下がりじゃ申し訳ないなと前々から思っていたんだ。早速着て見せてよ」
紙袋から取り出した白衣に袖を通す。
新品特有の固さと、汚れ一つない生地。
普段のボクの働きを認めてもらったような感覚。
これは“嬉しい”だ。
「よく似合ってるよ。マシロが真っ白!なんてね」
「……それは“親父ギャグ”というものですか」
「やだな、私まだ親父と呼ばれる年代に達していないと思うんだけど。それはさておき、クイズを出そう」
博士は手近にあった紙を引き寄せ、さらさらと文字を書いていく。
『JFMAM?JASOND
?に入る文字は何でしょう』
「何かの文字列でしょうか。サーバーにアクセスして答えを照合せよ、という事ですか?」
「いやいやそうじゃなくてさ、目指せひらめき!ってやつだよ」
「“ひらめき”ですか」
「そう!マシロはこれまでに結構な経験と学習をしてきている。だからそろそろひらめきってやつが出来てもおかしくないんじゃないかと思うんだ。ひらめきとは自己の知識と経験則から導き出せる論理的なものなんだよ。そういうわけだから検索は禁止ね」
0から1を生み出す事が出来るのは人間の特権だと思う。
けれど、知識と経験がベースになっているものならば、自分にも可能性があるはずだ。
「これは何か規則性があるものと考えても?」
「そうだねぇ、そういう問題もあるけど、これはもっと単純かな。マシロも見た事あるものだよ」
「ではこの部屋にもあるものですか?」
「いい質問だ。答えはイエス」
博士の言葉を聞いて部屋に視線を巡らせる。
時計、本棚、手紙、書類、カレンダー。
その瞬間、思考回路へ強烈に電気が流れるような、文字では説明しがたい現象が起きた。
不快ではない。むしろ気持ちいいと思える何か。
「わかりました。これは英語の月の名前の
「ピンポン大正解!どう、ひらめきの感覚ちょっとはわかった?」
「一度の演算だけではまだ何とも言えません」
「ははは、さすがに科学者の助手をしているだけはある。なかなか慎重だね。じゃあこれからも今みたいにクイズを出してくから覚悟しといてね」
博士は有言実行の人だ。
その日から毎日、研究の合間や食事の時間にクイズを出されるようになった。
博士の言う“ひらめき”が上手くいく事もあれば、いかない事もある。新しい感覚の取得はやはり難しい。
「たまには外でお弁当を食べたい」
ある日の朝食後、片付けも済んだところで博士が唐突に言い出した。
普段から昼食の用意は必要に応じて整えている。
ただしお弁当の場合は必ず前日の夜までに言うようにすると、他ならぬ博士が決めたはずなのに。
今回は何故このタイミングなんだろう。
「それは構いませんが、今から作ったのでは出掛けるまでには間に合いませんよ?」
「ああ、私が突然言い出した事だから急いで作らなくて大丈夫だ。今日は研究所に少し顔を出すだけだし、マシロも助手の仕事はお休みでいい。お弁当はお昼頃に届けてくれたらいいよ」
「わかりました」
「ちゃんと私の元まで届けに来てね」
意味深に笑って何やら上機嫌な博士を見送り、早速調理に取りかかる。
外で食べるのならばサンドウィッチなどの食べやすいものの方がいいだろう。
いくつかのレシピをピックアップし、手早く完成させると、お茶を入れた水筒とともにバッグに詰めて家を出た。
通い慣れた研究所の扉を抜け、博士のデスクまで着くと、ボク宛の封筒があった。
中にはメッセージと一枚のカードが入っている。
「“今日は趣向を変えてみたよ。カードは全部で四枚。研究所を巡って全て集めて私の元まで来てね”。急にあんな事を言い出したのはこのためですか……。こちらは貝のイラスト、コロモガイあたりでしょうか」
裏返すと端に小さく2と書かれている。
ならばこれは二番目のカードという事だろう。
まずは四枚集めなければ。これだけでは考える材料が少なすぎる。
実験場、シャワールーム、資料室、ロッカー、エレベーター。
文字通り隅々まで研究所を巡って二枚のカードを発見したが、あと一枚が見つからない。
隠し扉の存在の可能性を検討し始めたところで、顔見知りの研究員から声を掛けられた。
「こんにちは、マシロくん。博士のお使い?」
「こんにちは。お弁当を届けに来たのですが、まずは研究所内に散らばったカードを集めなければならなくなりまして、今探しているところです」
「また変な事やってるねー、あの人。じゃあこれもそうかな?ニコニコしながら無言でポケットに突っ込んでいかれたんだけど」
彼から手渡されたのは一枚のカード。
まさに探していた最後の一枚だった。
「ありがとうございます。これで博士を探せそうです」
先程はそう言ったものの、並べたカードを眺めてみても何も思い浮かばない。
カードには順番に
数字の9
コロモガイ
焼き鳥とハートマーク
溺れる犬が助け出される場面
が描かれている。
「きゅう、コロモガイ、焼き鳥、ハート、溺れる犬、助ける……。単語の変換が必要そうですね」
前半はそのまま“きゅう”と“かい”と読むとして、問題は後半二枚だ。
焼き鳥とハート。ハートは一般的に心臓を表すシンボルに使われる事が多い。
では焼き鳥で心臓と言えば。
思い至ったと同時、思考回路に電気が流れるあの感覚がした。
「なるほどこれは“ハツ”ですか。ではこちらは」
犬、助かる。助ける。救助。
犬、救助……。けん、きゅうじょ。
「……やっぱり親父ギャグではないですか」
何はともあれカードによるクイズは解けた。
きゅう、かい、はつ、けん、きゅうじょ。
旧開発研究所。
時刻はもうすぐ正午に差し掛かる。
お望み通り、博士の元までお弁当を届けに行こう。
旧開発研究所は海に面した高台の上に建っている。
十年前に現在の研究所の場所へ拠点を移した後も、所員の休憩所や宿泊施設として利用されている。
その建物の外に設置されたベンチに、よく知る背中を見つけた。
「博士、お弁当をお届けに来ましたよ」
「やぁマシロ。無事にクイズが解けたようだね。どう、面白かった?」
「面白いか否かで言えば、面白い、です。ひらめきの感覚も、以前よりは理解が深まりました」
「そう、少しでも楽しめたのならよかった」
数種類のサンドウィッチはあっという間に博士のお腹へと収まった。
海を向いて座る博士の視線は、水平線のさらに彼方、もっとずっと遠くを見据えている。
「研究者という職業は、私の性格にとても向いていると自分でも思っているんだけどね、時々ふと何もかもを置いて旅に出たくなる事があるんだ」
博士は好奇心を湛えた瞳で、ボクと真っ直ぐに向き直る。
「私はね、今までわからなかった事がわかるようになるのがたまらなく面白い。新しいものに触れるのも好きだ。この世界にはまだまだ未知の物事が溢れていて、それらを可能な限り自分の目で見て、聞いて、触れて確かめたいと思っている。そしてそれをマシロ、君とも共有したい」
「ボクと、共有」
「正直に話せば、マシロに感情の学習機能を持たせたのは好奇心からだったのだけど、今じゃ君の成長が毎日楽しいと感じているよ」
博士の言葉に嬉しいと切ないが綯い交ぜになったような、一言では言い表せられない気持ちになる。この感情は、何と呼ぶのだろう。
「うん、海を見ていたら本当に旅したくなってきたぞ。なんなら明日にでも出発して、ぐるっと世界一周しようか。早速研究所に一年間の休職を申請に行こう!」
「今博士が抜けたら、皆さん困ってしまいますよ」
「大丈夫、みんな優秀だから問題ないさ。マシロはどうする?私についてくるかい」
もっとたくさんの世界を見て、触れて、知識が増えたら、さっき感じた気持ちも言葉にして伝えられるようになるだろうか。
ボクも新しい事を知るのが好きだ。
だけどそれ以前に。
「もちろんです。どこへなりともお供しますよ。ボクは博士の助手ですから」
このキモチの名前は 柚城佳歩 @kahon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます