第22話 次から次へと

「あんの野郎」

 しかし、そこで諦める将平ではなかった。しつこくコールすること五回。ついに千春も無視できなくなったらしく電話に出た。

「ちょっと待つということが出来ないのか」

 電話に出た千春の声は、予想していたよりも元気だった。それに翔馬だけでなく将平も英士もほっとする。

「お前がメールの一つも寄越さないからだろうが」

「ああ。そうだったな。外部に連絡しても無駄だと思っていたから、考えてもみなかった」

「なっ」

 凄い発想だなと、三人は思ったが口にしなかった。普通、無駄であっても何か発信したくなるものではないか。ヤバいとか、危険だとか。そういう一般的なことを千春に求めるのは無駄だと解っていても、こんな時くらいは連絡してもらいたいものだ。

「それで、警察は何時来れそうなんだ?」

 呆れていると千春から真っ当な質問が飛んできた。たしかに今、気になるのはそれだろう。

「まだ時間が掛かるな。もう少し小降りにならないことには、重機を動かすことが出来ないんだ。大きな石がいくつも道路に落ちていてな。それを除けないことにはどうしようもない」

「それはそうだろう」

 冷静な千春の一言に、将平がカチンと来たのは言うまでもない。思わず怒鳴りそうになったが、握りこぶしを作って我慢するのを翔馬はしっかり目撃した。しかし、さすがは殺人現場にいながら外部に連絡を取らない男だ。慌てふためくということを知らない。

「あの死体、そのまま放置しておくしかないわけだ」

「そうだな。どうした?」

「先ほど現場の写真を撮りに行ったんだが、臭いが凄くてな」

「ああ」

 ちょっと情でもあったのかと思ったが違うらしい。腐敗が始まっていることが気になるらしかった。

「この湿度と温度だからな。腐敗の進行は早まるだろう」

「やはりか。だが、ドライアイスなんて気の利いたものはないらしい」

 その台詞さっき聞いたなと、将平は思わず翔馬を見てしまう。その翔馬は恐ろしい速さで視線を逸らしてくれた。まったく、どうしようもない研究者たちだ。

「仕方ないな。その近くには近寄らないようにしてくれ。衛生的にも良くないからな」

「ああ。窓ガラスが壊れて密閉することも出来ないから、あちら側の建物には近づかないようにしている。が、来れない時間が長いと困る」

「解った。ヘリを飛ばせるよう打診しておこう。しかしそれも、風が収まらないことにはどうしようもない」

「そうだな」

 死体が傍にあるというだけでも嫌だろうに、随分と冷静だと将平は呆れ返るしかない。他の連中もそうなのだろうか。こういう場合、大騒ぎになってもおかしくないはずだが。その点について確認すると

「ああ。他も概ね落ち着いている。ただ、一人が意識不明の状態、一人が行方不明だ」

 ととんでもない情報が返ってきた。

「なんだと。他にもそんなことが起こっていたのか」

「そうだ。おかげで困っている」

 全く困っていないかの調子で言ってくれる。現場の状況が上手く伝わって来なくて困るのはこちらだ。それにしても騒ぎが起きていないのは助かる。

「意識不明者に関しては呼吸が落ち着いていること外傷がないことから、昏睡状態に陥る薬を盛られたと思うんだが」

「そうだな。取り敢えず寝かせておけ。ただ、そのままだと脱水症状を起こす可能性があるからな。ヘリは早めに飛ばせるように手配しねえと。一度電話を切るぞ」

「ああ」

 そこで将平は電話を切ると、すぐに本部に今聞いた情報を流した。意識不明者や行方不明者がいると解り、電話の向こう側で指示が飛び交っているのが解る。

「にしても、次から次へと」

 安西のせいでという言葉は刑事として何とか飲み込んだ将平だが、苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「密室の謎を解かないことには、犯人を特定できないみたいだな」

「そうだな。今のところ落ち着いているということは、誰が犯人か解っていない証拠だ。そして決定的に疑う要素もないから落ち着いていられる。これがまあ、誰かと特定する何かがあったら、冷静ではいられないだろうしさっきの電話で言うはずだ」

「ですね」

 それにしても、事態はより深刻になった。それが、三人の感想だった。




「警察に知り合いがいるんですね」

「ええ。高校の同級生が刑事をやっているんです。といっても、そいつは文系ですけど」

 電話を切った千春は、微妙な顔をして友也の質問に答えた。大地と忠文は、ほっとしたような疑うような、そんな目を千春に向けている。おそらく、二人は刑事に知り合いがいるとの情報で、自分は犯人ではないとアピールしているのではという疑いを抱いたのだろう。

 落ち着いてはいるが、ちょっとしたことで疑心暗鬼に陥る危うい状態ではあるのだ。

「それより、ドアの説明書がないか。捜索の続きをしましょう」

「ええ」

 四人は今、ドアについて何かメモがないかを捜索していた。現場には近づいていないものの、アトリエがある側の建物にいる。そして書庫へとたどり着いていた。ここは午前中には調べなかったが、人一人がようやく身動きできるスペースしかなかった。あとはひたすら本の山だ。石田が言っていた通り、多種多様なな本がこれでもかと詰め込まれていた。

「凄いですね。先生はなかなかの読書家だったようだ」

「ええ」

 素直な忠文の感想で、その場の空気は僅かに緩んだ。千春も同意すると、再びぐるりと書庫の中を見る。人工知能に関する本にすぐ視線が行ったのは職業病だろうか。どうやら、千春を招くにあたって、しっかりと勉強していたらしい。いや、絵のインスピレーションを得るためだったのだろうか。どちらにしろ、安西はかなりの努力家であることがこの書庫を見ただけでも解る。

「凄い。小説もこんなに」

 千春と入れ替わるように書庫に入った大地は、職業柄か小説の山を発見していた。日頃から興味のあるものが真っ先に視覚に入るのは、人間の能力の一つだろう。千春はこのことも研究したいと常々思っている。だが、人工知能にその挙動をさせるだけならば簡単だ。そういうバイアスを掛けて作り上げればいい。学習した内容だけを選び取ることが出来る。

「あ、これ、探していた深海についての本だ」

 しかし、今の大地のように小説以外にも日頃からアンテナを張っている本を見つけることが可能かとなると、これが難しい。別の関数を必要とするからだ。

「椎名先生。こんなところでまで何か思索をされていますね。その顔は事件について考えている顔じゃないでしょ」

 そんなことを考えていた千春に、ずばり見抜く友也はにやりと笑っている。この人、出会った当初は社交的な人だなと思ったが、笑顔のバリエーションに気づくと、そうでもないかもと思わされる。冷静に人を観察するために、あえて笑顔で社交的な性格を作り出しているのではないか。そう疑ってしまった。

「すみません。他の職業の人がどういう動きをするのか。それも研究の参考になるものですからつい。人の心の動きは、必ず行動に出てきますからね」

「先生。そんな分析ができるんなら、さっさと犯人を見つけてくださいよ。もしくは、行方不明の遠藤先生を探し出してください」

 大地が深海の本を手に持ったまま、そんな無責任なことを言う。殺人犯の行動なんて、今まで一度も考えたことがないのに、千春に解るわけがない。そもそも、どうして安西は殺されたのか。それさえ解らないのだ。当然、あの奇妙な死体を作り出した方法も不明だ。

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