第23話 第二の殺人

 先ほど改めて現場写真を撮るために見た安西の死体は、奇妙に捻じれていて大きな力が加わったことを示していた。首や両手足が曲がったのは、その力のせいだ。

 しかし、一体何を使えばあんな大きな力を生み出せるというのか。アトリエの中は至って普通だった。真っ赤になっていることを除けば、部屋が破壊された様子はない。

「そう言えば、昨日は飾られていた絵がどれもなかったですね」

「えっ、そうですね。たしかに無くなっています。ひょっとして、犯人が持ち去ったんでしょうか」

 言われて写真を確認した忠文が、確かに絵は写っていないと首を捻った。昨日アトリエにあった絵は、どれも二十号ほどの大きさのある絵だった。それが十八枚も飾られていた。いくら額装されていなかったとはいえ、そんな大きな絵を六枚も、犯人は持ち去ったのだろうか。

「持ち去ったとしても、なかなか売り払えないでしょうね。美術品の売買はすぐに足が付くものですよ」

「ええ。でも、ネットで売ってしまえばどうでしょう。フリマアプリとかなら簡単な手続きで売れますし、正規の値段より安く売れば、相手はコピー商品だと思い込むかもしれません。むしろそうやって売っているのかも。安西先生の絵ならば、コピーや偽物でもいいって思う人がいるでしょうし」

 売れないだろうという忠文に対し、意外と簡単なのではというのが大地だ。これは年齢の差なのだろうか。それとも、安西の絵の価値を正しく評価しているかしていないかの差なのか。

「どちらにしろ、絵の行方もまた謎ですね」

「ええ」

 また新しい謎が増えたと首を傾げていると

「きゃあああ」

 どこからか女性の悲鳴が聞こえた。全員が書庫から渡り廊下へと飛び出す。しかし声はこの建物からではないらしい。

「だ、誰か。遠藤先生が」

 続いてそう叫ぶ声が聞こえ、最悪の事態が起こっているらしいと直感する。全員が声のした客室のある建物へと走った。

 渡り廊下を渡る間、屋根はあるものの雨風に晒される。さらに強くなった雨脚のせいで、すぐに服が濡れた。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。

「先生」

「どうして」

 すでに近くにいた田辺と石田が駆け付けたようで、そう叫ぶ声がしていた。それに美紅がもう助からない状態なのだろうと、千春は理解した。そのせいか、足が止まりそうになる。しかし、何がどうなっているのか確認しないわけにはいかない。

「ああ」

 千春から漏れたのは、それだけだった。現場は浴室。そこで、美紅がその豊満な身体を浴槽に浸したまま、血を流して死んでいた。浴槽の水は、あのアトリエのように真っ赤。他にも天井や壁が赤かったことから、ここで殺害されたのだと思われる。しかしここでも、不可解に絵の具の臭いが混ざっていた。

「何という」

 死に顔こそ穏やかであるものの、腹が裂かれているのが見て取れた。さらに手足は、安西と同じように奇妙に曲がっている。田辺はそこまで確認すると、よろよろと後退って行った。気持ち悪くなったのだ。そのまま台所へと走って行く足音が続いた。

 発見したのはメイドの一人。まだあどけなさの残る女性だった。こちらも顔を真っ青にして、脱衣所でへたり込んでいる。

「それにしてもまさか、遠藤先生まで殺されていたとは」

「ええ。これで犯人は別にいることがはっきりしましたね」

 友也と千春は浴室から離れて脱衣所に向かう。そこには美紅の服がなかった。ということは、犯人は美紅の服を持ち去ったのだろうか。絵と同様、これもまた謎だ。しかも浴室と違い、脱衣所はどこも汚れていない。犯人はどうやって痕跡を残さずに去ったのだろうか。

「用意周到な犯人のようですね」

「ええ」

 それはそうだろうと千春も思う。ここまで誰が犯人なのか。その痕跡は何一つ見つかっていない。代わりに謎が積み上がっていくばかりだ。

「君、先生を見つけた時、何か変わったことは」

「い、いいえ。田辺さんに言われてお風呂の準備に来たんですけど、特に変わったところは。だから普段通りに浴室に入ったんです。そしたら」

「なるほど」

 メイドの女性、名前は小島花香こじまはなかというは、そうはきはきと答えた。腰を抜かしてはいるものの、気丈な女性だ。そこに同僚たちが駆け付け、花香を使用人室に運んでもいいかと訊いた。

「ええ。ゆっくりしてください」

「は、はい」

 友也の気遣いに、花香はゆっくりと頷いた。そして同僚と廊下に出たところで、緊張の糸が切れたらしい。泣き声が聞こえてきた。これから数日は眠れないかもしれないなと千春は思う。

「それにしてもあの顔も、不思議だ」

「えっ」

 千春の呟きに、友也はどうしたのかと訊く。鋭い彼でも気づいていないのかと、千春は驚いたが説明した。

「腹が割かれたことが直接の死因だとすれば、あの死に顔はおかしいですよね」

「あ、ああ。そうですね。あの顔は、気づかないうちに殺されたか、寝ているところを殺されたか。どちらにしろ、一瞬の出来事ではないと無理ですね。そうでなければ苦悶の表情を残しているはずだ」

「ええ。そのとおりです」

 となると、何か薬を盛られて殺害されたのだろうか。桃花の意識が戻らないのも、どうやら薬のせいらしい。となると、犯人が何らかの薬物を持っていることは確かだ。ならば美紅に使ったと考えても不思議ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る