直球バイオレンス
カオルが僕を呼んだ気がした。
そんな匂いがよぎった。
高校前のバス停まで、校門からの坂を下って三分、カオルが先に出たが僕の方が早く歩くからバスが来るより先に、バス停で追いつくはずだった。
カオルがいない。そして、カオルの匂いに重なる恐怖とパニックの匂い。
ガソリン車、それも三リッタークラスのエンジンだが、急加速で思い切り吹かした感じの排気の臭い、おそらくワンボックスの大型ワゴン。
吐き気のする、下卑た複数の男の欲望と興奮の臭い。おそらく三人。運転手役を入れて四人か五人か。
バス停に居た女子高校生を拉致って、男四、五人がかりで何をしようと言うのか、下衆過ぎて考えたくも無いが、自分の中の怒り、アドレナリンの臭いが、急激に強くなる。
コンマ三秒で、身体のギアが、自然に二段階くらい上がる。バス停から左へ道路沿いに走ると、近くの総合病院にお客さんを降ろしたばかりのタクシーに出会う。
「すみません、不自然に飛ばしてる白いワンボックスを見ませんでしたか?」
もちろん色は当てずっぽうだ。高齢のドライバーさんに、僕が目撃して追っているということを印象付けなければ、協力が得られない可能性もある。
「ああ、その坂を上って行ったアレかな?」
「その車を追いかけているんです。乗せてもらっていいですか。支払いはカードで。母名義ですけど、非常時には使っていいと持たされてるんで」
「えっ? わかった、乗りな、坊や」
少し高齢のドライバーさんだったが、すぐ信じてくれたようだ。ノリがいい人でよかった。ちょっとすれ違っただけのワンボックスを、僕の言うことを信じて、結構アクセルベタ踏みで追いかけてくれる。
手動で少し窓を開ける。タクシーの排気はLPGだから、ガソリン車と臭いで混同することはない。
「何かあったのかい?」
「多分ですけど、友人、女の子が車に拉致されたと思います。バス停の前から不自然に急発進するワンボックスを見ただけですが、バス停で待ってるはずの彼女がいなかったので。スマホを何度も鳴らしてるけど出ないし、メッセージに既読も付かないので、それしか考えられません!」
信じてもらうための演技、のつもりだったが、正直なところ内心の焦りがそのまま出ているので、演技の必要も無い。
前方にワンボックスの姿は無い。ただ、相変わらず飛ばしているガソリン車の臭いが続いているだけだ。
「見えないけど、このままでいいのかい?」
「大丈夫です。同じ排気ガスの臭いがしてます」
「排気ガスの臭いが同じって、警察犬かよ」
「鼻はいいんです。任せてください」
この場合、地面の臭いを嗅ぐ警察犬じゃなくて、空中の臭いを追う猟犬なんだが、この際細かいことはどうでもいい。
不意に臭いが途切れる。ガソリン車の臭いをタクシーが追い越したのだ。
「停めてください。さっきの脇道へ入ったみたいです」
ほぼ車が通ってないので、タクシーはダイナミックにUターンし、脇道へ曲がる。
「本当にこっちでいいのかい?」
「この先に、ワンボックスカーを停められる場所がありますか?」
「多分、
うってつけの場所と言うことか、変なアジトとかに連れ込まれるので無くて、ワンボックスならば、やりようはある。
「少し手前で停めてください」
駐車場の百メートル手前で、荷物を置いたままタクシーを降りる。バッグから出したクレジットカードと生徒手帳を、ドライバーさんに渡す。
「
「おい、流石にそれは危ないだろ」
「今は彼女の方が危ないので、なりふり構っていられません」
身体のギアは、さらに二段階くらい上がっている。少し抑えなければ身体に負担がと思う気持ちと、カオルの置かれた状況を考えれば余裕は無いと思う気持ちが、グルグル回っている。
駐車場までの百メートルを、過去最速で走りながら、手頃なサイズの石を拾う。大きさは野球のボールくらいだが、密度・重さは三から四倍、四百から六百グラムか、とりあえず六つ。
駐車場の奥に、斜め後ろをこちらに見せて停めている、白いワンボックスの大型ワゴン。サイドウィンドウもリアウィンドウも、濃い色のフィルムで目隠しされているが、後方用のドライブレコーダーのカメラの部分だけカットされている。
運転手役が、まずそのまま最初の見張り役だろう。
走りながらの第一投は、リアウィンドウのカメラの位置を狙う。重さの違いを計算し、ワンボックスの真後ろに回り込むため斜めに走り寄りながら、投げる。少年野球の頃、カズマとシンはダブルエース、
リアウィンドウのひびと衝撃で、カメラは無効化した。後方モニターはもう何も映さない。
第二投は左のドアミラー、続けて第三投で右のドアミラー。車体には擦りもせず、ドアミラーの可動部に当てて、もぎ取る。
運転席でモニターが何も移映さなくなり、助手席側のドアミラーが異音とともに消え、それに気を取られた瞬間に運転席側のミラーも小さな衝撃音とともに無くなって、ただ動転する様子が想像できる。
その程度の判断力だから、グループ内でいいように使われ、運転役や見張り役をさせられているのだ。あまりのもたつきぶりに、多分一番気の短いヤツが何が起きたか下っ端に確認させようとするだろう。中からする不明瞭な怒鳴り声の直後に、運転席のドアが開く。
第四投目は、後ろを覗きもせずに不用意にドアを開けた、間抜けな見張りの右手首だ。尺骨か手根骨を確実に折って、運転できないようにする。まぁ、慎重に開けて覗き込むようなら、顔面に叩き込むだけのことだが。
激痛の叫び声に遅れて、運転席のドアが閉じる。このままだと追撃が来そうだと言うことは、なんとかわかったようだ。
それでいい。運転できないヤツが運転席にいる限り、誰も逃げられない。
左のスライドドアが開き、威嚇の怒声を上げながら、木刀らしいものを掴んだ一人目が、ワンボックスを下りて来る。
二人目は、僕を見つけ、どうやら一人らしいと踏んで、余裕の表情だ。おそらく今回のリーダーだろう。
三人目は、二人目とは反対方向に回って、僕を取り囲む風の動きだが、下りては来たものの、暴力沙汰には参加したくなさそうだ。
三人とも大学生風だろうか、悪い遊びを咎められたが、僕を暴力と脅しで黙らせれば、いつものように問題ないくらいに思っている顔だ。
ナチュラルな悪意と身勝手さに、強い腐臭を感じる。反吐が出そうとは、こういうことか。
駆け寄りながら、木刀を振り上げる一人目の右膝へ、容赦なく五投目を叩き込む。
さっきまで石を投げていたのに、何で自分には投げて来ないと思った? 骨が折れただけで済んで、幸運と思え。暴力担当として、恐らく車内でカオルを一番怖がらせたのは、こいつに違いない。
ニヤニヤと余裕ぶっていたリーダー格の、顔色が変わるタイミングで、最後の石を投げつける。一人目は右膝だったから、左膝にしておいた。反応が遅かった分、きれいにヒットして、逆向きに膝が曲がりながら二人目は倒れた。
三人目は、状況が理解できずに固まっていた。三人目に手心を加える理由も無いが、拾ってきた石が尽きたので、一人目が取り落とした木刀を蹴って、三人目の両方の向こう脛に当てる。脚を押さえながら、呻いてしゃがみ込んだ。
「靴を脱いで、スマホをこっちへ投げろ。それ以外の動きをしたら、骨を二ヶ所折る。大人しくするなら、他の仲間とお揃いで、一ヶ所だけにしてやる」
三人目は、まだ呻き続けている。
「てめえ、こんな真似してただで済むと思ってんのか! 必ずブッ殺す!」
一人目が、僕を痛めつけるつもりだったのに、自分の方が痛い目にあっているという理不尽に、我慢ならないと喚き立てる。
あぁ、これだけでは、まだ彼らを理解させるには足りなかったか。
「中井、やめろ。このガキはサイコパスだ。この場は、俺達の負けだって」
二人目が、僕を警戒して一人目・中井を黙らせようとする。だが、サイコパス呼ばわりは心外だ。
彼等に比べれば、自制心も良心の呵責だってある。
「不意打ち食らっただけで、俺は負けてねぇよ!」
真正面からの一撃を、それをきれいに食らって骨が折れているのに、不意打ちとは。この中井とは、多分一生わかりあえない。
だが、だからこそ、わからせなければならない。手際のよさといい、初犯とか出来心では無いことは明らかだし、こんなことをしてはいけないと彼等が心から思うように、逆恨みの報復など想像すら出来なくなるように、悪事を自覚させ、罪には相応の報いがあることを教えなければならない。
僕には、自制心と良心の呵責はある。
やり過ぎはダメだが、不足はもっといけない。
中井の右膝を折った石を拾い、中井と二人目が話している間に、這って逃げようとしている三人目に投げる。右肘が逆に曲がり、三人目は顔からつんのめった。
「それ以外のことをしたら、二ヶ所折るって言ったよね?」
三人目が呻いたのを応答と解釈して、左の足首を踏む。
これくらいなら、折れただろう。一瞬痛みに跳ね上がろうとするが、そうすると他の場所も痛いので、もう声も出せないようだ。
「もういいだろう。俺たちの負けだ。女も返す。もうやめてくれ」
「ふざけるな! 小林までやられたんだ、このガキはぶっ殺す!」
後ろで、二人が喚いている。仲間内で意思統一もできてないのでは、何を提案されても信頼に値しない。
三人目に蹴った木刀を再度、中井に向かって蹴る。庇った左手の手首の骨に、ひびくらいは入ったかもしれないが、手前に落ちた木刀を中井は右手で拾い、こちらに突きつけようとする。右膝が折れて、立ち上がれもしないのを、忘れているのか。
これは、角度も力加減も少し難しい。
中井が右手一本で振る木刀を、左手でわざと受け、木刀の真ん中あたりを蹴りで折る。
私の左手の中の木刀の上半分は、反動で二人目の顔に飛んで行き、ささくれた断面が頬にざっくりと傷をつける。
折れた木刀の下半分は、蹴りの勢いのまま中井の左目に刺さっていた。獣のような悲鳴を上げるが、その木刀を握っているのは中井自身なのだから、抜くのもそのままにするのも、自分で決めればいいことだ。
「全ては、お前たちがこれまでやって来たことの報いだ。お前達は、僕の仲間に手を出し、僕に出会ってしまった。お前達の臭いは、不快極まりない。この臭いが、お前達の中から消えるまで、僕は反省のきっかけを、痛みを与えよう。大丈夫だ、警察にはさっき通報してもらったから、まだ少し時間があるし、それだけあれば十分だから」
左目の痛みで喚くことしかできなくなった中井の、額の前頭葉に近いあたりに親指を押し付ける。続けて、二人目のリーダー格にも、三人目の小林にも、同じように額を親指で押す。
三人は前触れもなく、順に嘔吐を始め、二人からはスマホを回収した。
三人を放置して、ワンボックスへ向かう。五人目がいる臭いはしないが、車内からは、今回の四人以外の複数の男の微かな臭いと数が判別できないほどの女性の微かな臭いがする。暴力と欲望の臭い、そして恐怖と絶望の臭い。
後ろで、三人の男は胃の中のモノを全部吐き、さらにむせている。
僕は、限定的だが、自分の能力に似た作用を相手に与えることができる。彼等は、三者三様に自分の臭いを嗅いでいる。暴力衝動、理不尽な性欲と支配欲、他人を貶める狡猾さと被支配者への侮蔑、僕が反吐が出ると言った臭いが、自分の内側からしていることを実感している。そうした衝動や欲望を抑えられない限り、この臭いは逃れようもなく続く。
四人目は、運転席で固まっていた。カオルを人質に取れば、他の三人と同じ以上の目に合うことは、愚者なりに理解できたようだ。
助手席側から入り、スマホを取り上げて、同じように前頭葉を額の上から押す。四人目は、そのまま運転席のドアを開けると転がるように出て、吐き続ける。
カオルは気を失っていた。殴られたのか頬が腫れ唇の端が切れ血がにじんで、手首と二の腕と脚には、押さえつけられた跡があるのを見て、またカッとなりかけたが、制服に乱れは無いから、最悪の事態になる前に着けたようだ。
中井のものらしい四つ目のスマホも、回収する。ご丁寧に録画になったままだったので、停止して再生する。身を捩って抵抗するカオルの手足を押さえる他の男達の手と姿が、カオルに平手打ちをする撮影者が映っている。だが、リアウィンドウの衝撃音の後は、床に置かれたので車内の天井しか映ってない。中井の怒声とリーダーの指示は録音されているが、幸い、平常心で喋っていた僕の声は、録れてないようだ。
いけない。張り詰めていた気持ちが弛む。脚がガクガクとなり始め、あの重さの石を連投した肩と肘が痛みだし、握力を振り絞った手のひらは石で傷だらけで、血が滲みだす。木刀を折った右足側面は、どこか折れてるかと思うくらい疼く。そして、鼻の奥と額あたりに鈍い感覚と熱が拡がる。
「ユウ! 無事か?!」
警察への通報より、早く二人にはメッセージしてたとは言え、パトカーのサイレンより早く、カズマとシンが自転車で駆け付けてくれた。
「全員、ゲロまみれか。アレをやったんだな。四人いっぺんにとか、無茶過ぎるぞ」
「『カオル緊急事態』とタクシーの番号だけで、ここまで来れた俺達を誉めろよ!」
多分、推理して、タクシー会社経由でドライバーさんに連絡して場所を聞き出したのは、ミオだろうけど、あえて言わない。
「凄いよ、二人とも。タイミングもばっちりだ。後はお願い」
近づいて来るサイレンの音を聞きながら、僕の意識は遠くなって行った。
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