妖艶なる罠

赤城ハル

第1話

 直感で手を出してはいけない女だって感じた。


 だから、俺は仲間にほっとけよこんなのと言った。だけど、仲間は俺の言葉を聞かず女の尻を追いかけた。


 女は一目見て分かる妖艶だった。


 男を堕落させる蜜を振り撒いていた。


 女が何の気無しに息を吐けば、男の胸は締め付けられる。

 視線が合い、女に微笑みを向けられたら股間が疼く。

 女が身じろぎしたら喉を鳴らす。

 女の一挙手一投足が男の意識を奪う。


 俺も最初は見惚れた。

 でも、直感でこの女はやばいと知った。


 危険な要因はないはずなのに。いや、例え、ある種の危険を察知しても俺達には関係ないはず。それでも俺は違和感を感じた。頭の中で警笛が鳴る。


 仲間がゆっくりと近付き、女を囲った。

 大抵の女は暴力の匂いを染み込ませた俺達に囲まれたら萎縮する。


 だが、女は困った顔をした。

 あらあら、どうしましょうみたいな。

 ただ、それだけだった。


 世間知らずのお嬢様でさえ、感づくのに。

 女は俺達にどうってこともない様子だった。


 仲間の内の一人が声もかけずに女の腕を掴み、誘いこむ。そいつもう理性が崩れかけていた。


 早く犯したくて堪らないようだ。例え罠だろうが何だろうが関係のないようだ。自分達はヤクザでさえ躊躇う半グレだ。怖いものはないと。


 女は困った声だけを出して引っ張られる。


 それに仲間達も続く。意地汚く、そしていやらしく、相手の尊厳を潰す顔をしている。


 でも、俺はおかしいと感じた。

 何がと言われると困る。

 兎に角、離れなくてはと感じた。


「おい、どこいく?」


 仲間の一人が背を向ける俺に気付いた。


「わりぃ、用事だ」

「いいのか? 上モノだぜ?」


 仲間はもう腰が疼いている。


「後でな」


 と言って俺はその場を離れた。


 角を曲がると俺は走った。

 今日はアングラな街を離れよう。

 そこで俺は女の家に泊まることにした。


  ◇ ◇ ◇


「何よ? 急に」


 チャイムを鳴らすと女はピンクのミニワンピでドアを開けた。胸の谷間に目を奪われるが、腕にある多数の注射痕にもすぐ目が入る。


 この女とは恋人でもないが肌を知った仲である。名前は山口まり。

 まりは仕事に向かう前だったのか化粧の途中であった。


「今晩泊めさせてくんね」

「は? 馬鹿なの? 私、仕事だからね。ヤリたいなら他のとこ行きな」


 まりは書いた眉を怒らせて、ドアを閉めようとする。それを俺は足を間に出して止める。


「違う。一泊するだけだ。今日だけ」

「だから仕事だっつうの!」

「留守番するから」

「は? 犬か? 自分の家に帰れよ」

「今日は帰れないんだ」

「何? トラブル?」


 まりの眉間に皺ができる。


「トラブルではない」

「帰れないのがトラブルだから」


 と言ってまりはドアノブを力強く引っ張る。


「そうだ! 一回分やるから」


 俺はポケットからパケを出す。


「三回」

「二回」

「分かった。入んな」


 俺は安堵して息を吐いた。

 部屋に入ってまりは化粧台に向かう。


「本当にドラブルじゃないよね」


 鏡越しに女は聞く。


「違うって」

「じゃあ何で自分の家に帰んないのさ?」

「今日一日、部屋を貸しててさ」


 と嘘をつく。


「はぁ、まあ、いいけど」


 まりが溜め息を吐くと鏡が曇った。


  ◇ ◇ ◇


 女が出て行って、独りになった。


 テレビを点けて、見もしない番組を流す。


 あれから一時間は経っている。

 どうなったのだろうか。


 普通なら女はまわされている最中だろう。


 普通ならば。


 でも、俺にはあの女が手酷い目に遭っているとは想像がつかない。


 ボブヘアーのさらさらの黒髪にきめ細かい雪色の肌、そして形の良い鼻、流線の眉に二重瞼のぱっちりとした目、ピンク色の唇は美しく微笑みに一役買っている。


 少ししか見たことのない女の顔がなぜか鮮明に脳裏によぎる。


「少し寝るか」


 俺は独りごちて、両腕を頭の後ろに組んで横になる。


  ◇ ◇ ◇


 闇の中、裸の女がいた。

 とても美しい女だ。

 女は背を向けていた。


 美しい背中と臀部が情欲を掻き立てる。


 その女の周りには腕があった。

 足があった。

 頭があった。

 胸があった。

 腰があった。


 どれも男のもの。

 俺の知っている顔達。


 それらは切断されていたり、ねじ切れていたりと様々で床に転がっている。


 そして赤い血溜まりが床を汚している。

 女が俺の視線に気付いて、ゆっくりと振り向く。


 あの女だ。昼の女だ。

 いや、分かっていた。


 女はやさしく微笑んだ。

 胸が弾んだ。

 ときめきか恐怖か。


 女が歩いてくる。

 豊かな胸、くびれた腰、健康的な腿、美しく長い脚。

 それら美しいパーツに返り血が付いていた。


 美しく整った頬にも血が。


 女が血溜まりの上を歩くのでぴちゃぴちゃと音が生まれる。


 ふと光り物を見た。

 それはナイフの刃だった。


 女はナイフを持っていた。どうして今、そのことに気付いたのか。


 俺は逃げなくてはと考える。でも、動かない。体が、足が、腕が、動かない。


 いや、違う。

 ないんだ。俺の体がないんだ。


  ◇ ◇ ◇


 俺は着信音で目を覚ました。


 一瞬、ここがどこだと感じたが、すぐにまりの部屋だと気付いた。


 そうだ。

 今日はここに泊まるって決めたんだ。


 うるさく鳴り響く、スマホを取り出して着信相手を確認する。


 仲間の一人だった。

 俺は通話をタップして、


「どうした?」


 だが、返事はなかった。

 もう一度問いかけようとした所で、


「見ぃーつけた」


 と女の声が。


 そして向こうから一方的に通話が切られた。


 俺はもう一度仲間に電話をするが通話音のみで出てはくれない。他の仲間にも電話をするがどれも同じ。


 どういうことだ。


 その時だ。


 ドンドンドン。


 ドアが鳴った。


 ドンドンドン。


「誰だ?」


 一拍置いて、


「私よ」


 その声はドア越しであっても、まるで直接耳朶に話しかけてられているみたいに鮮明であった。


 俺は唾を飲み、


「誰だよ!」


 とドアに向かって吠えた。


「知ってるくせに」


 女はどこか嘲るように言う。


 俺は台所で包丁を手にする。


 ゆっくりドアに向かい、ドアスコープを覗き込む。


 しかし、女の姿はどこにもなかった。

 隠れたのか。それとも帰ったのか。


「こっちよ」


 後ろから肩を叩かれた。


「わあぁ!」


 俺は驚きつつ、振り向きざまに包丁を振るう。この女はどうやって中に入った?


「あれ?」


 振るったはずの包丁は女を切ることはなかった。


 なぜなら、右手首から先がなかったのだ。


「うっ、わ、あああ!」


 焼けたような痛みと電撃のような激痛。


「あああぁぁぁ!」


 悲鳴が気に障ったのか喉が切られた。


「うぷっ」


 俺は喉を押さえ、うずくまる。


 左手で落ちた右手が握る包丁を取ろうとする。


 ボタリ。


 次に左肩が切られ、肩から下が地面に落ちる。


 女は俺の頭を掴み、軽々しく持ち上げる。


 腕がなくなったからか。

 それでも女の腕一本で軽々と持ち上げられるだろうか。


 女は口端を伸ばし、小首を傾げる。


 もしこれが日常なら、ときめいていただろう。


「恨みわないわ。これは個人的嗜好なの。あなた達だって快楽や暴力のために色々とするでしょ? それと同じなの」


 そう言って女はナイフを腹に刺した。


「さっきは人が多かったからすぐに済ませたけど。ここはあなた一人だから長く楽しめるわね」


 女は恍惚の笑みを浮かべた。


 俺は涙を流した。

 痛みと恐怖が混じった涙を。


 喉を切られたから声が出ない。


 助けて。お願い助けて。

 俺は目で訴えかける。

 それが通じたのか。


「もしかして助けてって言ってる? ふふっ、そこは見逃してくれでしょうに」


 俺は肯定として頷く。


 頭を掴まれているから上手く頷けなかった。


「駄目よ。駄目」


 女はなまめかしく首を振った。

 そして、舌で唇を舐め、


「だって私、今日はとてもたぎっているのだから」

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