たゆんたゆんと揺れる
浜能来
第1話
俺はランニングマシーンが好きだ。より厳密に言うと、ランニングマシーンの上で走る会長の、ふわふわ揺れるおっぱいが好きだ。
ふいんふいんふいんという駆動音とともに、ベルトを吐き出すランニングマシーン。最初はゆっくりと、段々とペースを早めていく、お値段五万はくだらない会長自慢のインテリジェンスマシーン。それは、会長のおっぱいの様々な表情を見せてくれる。
最初は、そのありのままの形をじっくりと。
この夏の熱気のおかげで、会長のトレーニングウェアは薄くなっている。スポーツブラと薄布一枚では隠し切れない先輩のおっぱいが、ウォーキング中の背筋を伸ばした姿勢によって強調されるのだ。
うーん、素晴らしい。
次は、その重量感をずっしりと。
ランニングマシーンの名前の通り、ついにランニングのペースでベルトが流れるようになると、当然先輩も走る。すると、おっぱいも揺れる。ぶるんぶるんというわけではなく、ふよんふよんと揺れる。その、ちゃんと見なければわからないレベルの揺れが、たまらなくリアルで、そこにおっぱいがあることを感じさせてくれる。
あぁ、マーベラス。ランニングマシーンも興奮しているのか、駆動音がうるさくなってきた。
そして、最後は慎ましく。
過負荷気味のペースでベルトが流れ出すと、会長といえどわずかに前傾姿勢気味になる。すると、トレーニングウェアが垂れてきて、おっぱいの形は微妙にわかりづらくなってしまう。
しかしそれもまた、富士山の頂上が雲に隠れるようなふぜいがあってわろし。
我がテニスサークルの会長たる彼女が、突然僕の部屋へ段ボールを担いでやってきて、「ランニングマシーンを置かせて欲しい」なんて言ってきた時にはビビったものだが、今考えれば最高の提案だったわけだ。会長が学生寮の三階に住んでいて、同時に俺が一階に住んでいて、本当によかった。
おかげで、毎朝俺は絶景を拝んでから、大学に行けている。
「ふぅ、毎朝ごめんね。助かってるよ」
「いえ、全然気にしなくていいっす!」
クールダウンを終えた会長に、俺はタオルを手渡す。大学四年生の会長は、おっぱいだけじゃなくて身体も大きい。俺より目線一個分上だから、それでランニングマシーンの上に立たれると少し見上げる形になる。
会長は顔を拭い、ポニーテールにした髪を持ち上げながら、うなじも拭き。
「だけど」
部屋を見渡して言う。
「これじゃ部屋も狭いでしょ。置かせてもらってなんだけど、嫌ならすぐに言ってくれても――」
「いやいやいやいや、イヤとかないっすよ! むしろ役得みたいな!」
「そう? 何も得させてあげた覚えはないけど」
「そ、そんなことないっすよ? ほら、いっつもサークルでお世話になってますし」
ボロを出しかけた俺に、会長は少し怪訝な顔をしたが、すぐに「なら、お言葉に甘えようかな」と爽やかに笑った。
誰も彼もを清廉潔白だと信じる彼女は、誰よりも清廉潔白な女性なのだ。おかげで、彼女が会長を務めるテニスサークルも、清廉潔白な感じになっている。
それは、テニスサークルじゃないだろう。
俺が大学に夢見ていたテニスサークルは、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをして、学生特有の軽率な男女交際があって、夜のムフフまであるサークルだった。なんか女性人口高そうだからと、事前情報なしに会長のサークルを選んでしまった俺は、飲み会の一切すらないその実態に青天の霹靂を覚えたわけである。
事実を知ったその日の夜は、涙をおいおいと流しながらアダルトビデオを見たものである。
結果、うまいこと節約して貯金している合コン費用も、手をつけられずに膨らむばかり。俺の煩悩も膨らむばかり。
その原因たる会長には、当然俺におっぱいを視姦されても文句を言える道理がない。だから俺は毎朝おっぱいを拝む。そうでなくても拝む。だってお前、たゆんたゆんなんだぞ。
つまり、俺としては満員電車のエロ親父くらいの距離感で会長に接していたはずなのだが。最近、どうも勝手が違う。
「会長、どうぞ」
「そんなに世話焼かなくてもいいのに」
それは例えば、こうして会長にスムージーのボトルを渡して、手が触れ合った時。はたまた、代わりに受け取ったタオルに、会長の体温を感じた時。
何だか妙に気恥ずかしく、胸がドキドキしてしまうのだ。
もしかして、恋……?!
だってそうだろう。
俺はもう童貞ではないのだ。大人のお店で払った三万円は伊達じゃない。立派なヤリチンである。立派なヤリチンは手が触れ合ったくらいでドキドキしない。
だのにドキドキするのは、それが性欲以外から来るドキドキだからに違いないのだ。それはもう、隠れおっぱい教の俺が、スムージーの最後の一滴まで残すまいとそらされた会長の
ただ、あくまで推察だ。
もしかしたら、俺の新たな性癖が目覚めただけかもしれない。喉フェチ。言われてみれば喉はエロい。男には出っ張りがあるのに女には出っ張りがない部位なのだ。もはや股間と同じ。WHOのみなさんも認めてくれるだろう。
そう…………
何を隠そう俺は今。
恋のジレンマに陥っているのだ!
「さて、私はもう一走りするけど。君はどうする?」
「どうするって……」
「いやほら、いっつも近くで見てるけど、そんなに私って見てないと心配?」
「いや、心配とかじゃないっすけど」
心配とかじゃない。むしろ俺は自分の心配をしているのだ。深刻な問題である。
「会長の走りを見る必要が、あるんです」
「あれ? 私たちのサークル、陸上サークルだったっけ」
何か変な捉え違いをしている気がするが、むしろ好都合。苦笑しつつも会長は、再びランニングマシーンを走らせる。そして、おっぱいを揺らす。
あぁ、やはりおっぱい。
会長がランニングマシーンに乗ってしまえば、結局俺の視線はおっぱいに釘付けになる。ガン見だ。いや、会長にはバレてないからチラ見ということで。
とにかく、ガン見にしろチラ見にしろ、恋している相手に「キミのおっぱいしか目に入らないんだ!」などと告白する相手はいないだろう。
となれば、俺の童貞は思いのほか高潔で、大人のお店で数多の金と精を吸ってきた悪魔的お姉さんには屈服せず、心の童貞として残っているのかもしれない。
このトキメキは性欲ということで。
だがしかし。
俺の心の中の反対勢力が叫ぶ。恋している相手に「あなたの全てが好きなんです」ということは、往々にしてあるじゃないか。
あなたの全てということは、当然そこにおっぱいも入っており。そのセリフがたとえ少女漫画の中のキラキラしたイケメンのものでも、あなたの全てが好きイコールあなたのおっぱいが好きの関係が成り立つ。
愛の告白とはつまり、おっぱいが好きだと告白することなのだ。
その前提でもう一度、たゆんたゆんのおっぱいを見やる。やっぱり好きだ、おっぱい。
あんまり揺れると、クーパー靭帯が切れて垂れてしまうというが、それでも揺れてるおっぱいが好きだ。会長の将来を心配しつつも、その儚さに俺は――
ここで、俺はある重大な事実に気づいた。
「どうしたの? そんなはっとした顔をして」
「あぁいえ、会長の(おっぱい)は本当に素晴らしいなと思いまして」
「そう? あんまり(走りを)褒められることなんてないから、よくわからないけど」
つい大きくリアクションを取ってしまったので、上の空で誤魔化した。それよりも、俺は重大なことに気付いていたのである。
俺は今、会長を心配していた……?
これは本当に重大な事実である。満員電車のエロ親父の立ち位置だったはずの俺が、心配をしたのだ。
冷静に考えて、例えば会長で痴漢されそうになっていたら、エロ親父はぐふふと興奮するだろうが。俺は違うということだ。心配して、会長と痴漢の間にすっと体を割り込ませるポジション。
それすなわち、彼氏では???
そう気づいた瞬間、俺の頭の中は冬の澄んだ晴天のようにクリアになった。
ありがとうクーパー靭帯。
ありがとうおっぱい。
そうと決まれば話は早い。
「会長!」
「ん? どうしたの?」
愛する人のおっぱいを堪能し切ってから、俺は声をかけた。先輩は肩で息をしながら答えてくれる。
「俺、実は――」
身体は大人、心は童貞。そんな俺のハイブリッド脳みそが、最適な告白を演算する。
いきなり好きだと言われても、怖いだろう。関係というのは徐々に深めるものである。
とはいえ、俺と会長は赤の他人ではない。毎朝こうして顔を合わせ、それなりに親愛度は稼いでいるはず。
ならば、ここでの最適解とは。
「会長、よかったらこれから毎朝」
二人の時間を拡大させ、なし崩し的に交際関係に持ち込むことである!
「毎朝、俺とランニングしてください!」
「毎朝、君と!?」
上半身を四十五度に折り、右手を差し出す俺。完璧だった。
毎朝二人でランニングするなんていうイチャイチャ行為を外で見せつければ、勝手に外堀が埋まり、結果会長は「付き合ってるんでしょ?」と攻撃を受け、必然俺を意識し、晴れてカップル成立だ。
「それは嬉しいけど……」
嬉しいのか?!
予想外の会長の返答に心が跳ねた。躊躇いみたいなものが見えるが、それはアレだろう。立場的なアレ。完全なテニサーを運営してる以上、アレみたいな。
「本当に、いいの?」
ということは、ここで押せばいける!
「もちろんです!」
「わかった! そこまで言うなら!」
会長が俺の手を握ってくれる。俺はばっと顔を上げ、会長の顔を見る。
「高いけど、ランニングマシーンを一緒に注文しよう!」
「…………え?」
そこには満面の笑みがあって。俺にはその笑顔を壊すことなんて出来なかったのサ。
さらば、俺の五万円……。
たゆんたゆんと揺れる 浜能来 @hama_yoshiki
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