コロナ禍ばんざい

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

もう俺は走れない

 コロナ禍ってのも、悪いばかりじゃない。

 言ってみればこれは、全人類がいっせいに「一回休み」を命じられたようなもんだ。なら大手を振って休むべきだろう。

 かつての俺は前しか向いていなかった。何せ、モットーが「人生は毎日が火の車」だったくらいだ。火の車とは縁起が悪いが、それくらいの気持ちで走り続けていないと気持ちが悪かったんだ、あの頃は。

 そんな俺だから、就職を期に田舎町を出てからは必死で仕事を覚えて、業務が退屈に思えてきたらすぐ転職。そしてまた全然違う仕事に没頭して……と、そんな人生を送っていた。とにかくがむしゃらに前へ走り続けることが俺の生き様だった。気付けば二十代も終わりに差し掛かっていたが、この生き方は一生変わらないと思っていた。

 しかしそんな俺でも、昨今のどんよりとした雰囲気に加えて仕事まで辞めさせられたとなっては、考え方も真逆に変わるというものだ。

 久々に実家へ戻ってきた俺に対して、家族や友人たちは暖かく迎え入れてくれた。みんなは「ほら、今はこんなご時世だから仕方ないよ」「コロナ禍なんて、早く落ち着けばいいのにねえ」「動けない時はしっかり休むのも一つの方法だよ」などと言ってくれる。俺が事情を語らずとも、そんなありきたりな言葉のやりとりで片がついてしまうのだ。

 おかげさまで、俺が走るのを止めた本当の理由を隠していたって、誰も気付かない。

 コロナ禍ばんざい、ばんばんざいだ。




 実家のある田舎町へ戻ってきて一ヶ月が経った。かつての蓄えもあるので、特に不安を覚えることもなく、毎日をダラダラと過ごしていた。

 今日は昼間から商店街をうろついている。いつも子供でごった返していたはずのゲームショップや雑貨屋が軒並み廃業していて、ご老人の道楽で経営していそうな洋品店や金物屋ばかりが残っていた。

 そんな中、ある店だけは外待ちの客があった。あれは確か「和菓子のなかむら」だったか。母親がここのカスタードまんじゅうを好きでよく買っていたのを思い出した。あれは美味しかったな。

 以前の俺だったら行列に並ぶことを嫌ってコンビニスイーツでも買って帰るところだが、幸い今は時間が有り余っている。たまには親孝行でもしようかと思い、俺は列の最後尾についた。

 十分ほど経ってようやく店内に入ると、皆が口々に「柚子わらびもち」なる商品を注文していることに気付いた。なんだ柚子わらびもちって。聞いたことないぞ。新しい名物だろうか。

 ようやく俺の番が回って来たとき、店員の女性から「すいません、柚子わらびもちはさっきのお客さんので完売してしまったんです」と告げられた。

「いや、それじゃなくてカスタードまんじゅうが欲しいんですけど」

「え、カスタードまんじゅう? あれならもう何年も前に作らなくなってしまって。よくご存知ですね」

「はあ、そうですか。母の好物だったんですが」

「……あれ、もしかして早坂くん?」

「そうだけど、ってまさか中村さん!?」

 目の前にいた店員さんは、かつて小学校と中学校が同じだった中村明日香だった。

「中村さん、だいぶ印象変わったね。それに、もうちょっと人見知りするふうだったと記憶してたけど」

 そこまで話したところで、後ろに並んでいる客からの冷たい目線に気付いた。

「ああごめん、忙しいのに世間話しちゃって。じゃあ栗まんじゅうといちご大福を三つずつ買うよ」

「ありがとう早坂くん。あとLINE教えてくれる? せっかく会ったんだしまた連絡取ろうよ」

 後ろがつかえてるのに、中村さんは気にすることなくササッとLINE交換をした。

「ありがとうございました! ああ、お母さんにもよろしくね!」

「お、おう」

 なんかだいぶキャラ変わったな、中村さん。こんなにハキハキしてる系じゃなかったはずなんだけど。それに垢抜けたというかシュッとしたというか、マスク越しでも分かるくらいに容姿も変わっていた。

 家に帰り自室にあった中学の卒業アルバムを見てみたところ、当時の中村さんは眼鏡をかけていて、もうちょっとぽっちゃりしていた。休み時間も一人で本を読んでいた印象が強い。言い方は悪いが、陰気そうな女子というイメージしかなかった。

 母に手土産を渡して「店で中村さんに会ったよ。学生の時にクラスメイトだった」と言うと、いろいろ教えてくれた。

 なんでも、昔はものすごくオドオドしながら店に立っていたそうだが「和菓子屋も客商売なんだから、私も人から見られていることを意識しないと!」と一念発起したらしい。今では店の看板娘として愛想よく働いているのだとか。新商品の柚子わらびもちのヒットもあって、和菓子のなかむらは今や市内有数の店になったという。

「明日香ちゃんね、あんたの話をすると喜ぶのよ」

「いや勝手に俺の話すんなよ。でも俺、中村さんとそこまで仲良くしてた記憶ないんだけど」

「あんたはそうでも、向こうはどう思ってるんだろうねえ?」

 母親のにやけ顔を見て、まんざらでもない気持ちが半分、不可思議さが半分といったところだった。

 そんなタイミングで、中村さんからLINEが来た。

「明日のお昼、空いてるかな? ご飯でも食べながらお話したいなって」

 断る理由はなかった。




「悪いね。店まで紹介してくれて」

「いいよいいよ! 早坂くん、この町に戻ってきたの久しぶりだって聞いてたから、お店もあんまり知らないだろうし」

 俺が招かれたのは、こんな田舎町に似つかわしくない小洒落たカフェだった。最近オープンしただけあって感染対策もしっかりしており、客席の半分はオープンテラスになっていた。

 おだやかな風が吹き抜けるテラス席で、俺達は和やかに会話をする。

 つもりだった。

「早坂くん、お母さんから仕事を辞めたって聞いたよ。本当なの?」

 いきなり聞かれたくない部分にぶっ込まれた。っていうかうちの母親はそんなことまで話したのかよ!? プライバシーもへったくれもない。

「あ、ああ。コロナの影響でね、会社の仕事が激減して、人員削減の憂き目にあったってわけだよ。よくある話だろ」

「本当に?」

 中村さんからじっとりとした目で見つめられる。眼鏡を外してコンタクトにしたせいか、その瞳がひときわ大きく見えた。

「あっ、ごめんなさい! いきなりこんなことまで言っちゃって……。気持ち悪がらせちゃったね」

「気持ち悪いっていうか、不思議なんだよ。正直言うけど、俺って中村さんとそんなに話したこと無いよな?」

「その、あのね。実は私、中学のころ早坂くんに憧れてたの」

「俺に?」

「あの頃、早坂くんね。よく言ってたじゃない。『俺の人生はいつも火の車だ!』って。あれが印象深くて。へこたれても、つまずいても、とにかく前だけを向いて走っていた姿が、密かに私の憧れだった。都会へ行ってもがむしゃらに仕事に打ち込んでたんでしょ? お母さんからよく聞いたよ」

「そう……だな」

「でも、今の早坂くんは別人みたいに変わってる。コロナ禍だけで、本当にそうなっちゃったの?」

「……俺の人生は、本当に火の車だったのかもな。いずれは燃え尽きて、車ごと消えてしまう運命だったってことさ。そう、コロナなんて後付の理由だよ。ある日突然、俺の中から気力の灯火が消えちまったんだ。ちょうどその頃コロナが流行って、これ幸いと仕事を辞めた」

 俺は君から憧れられるほどの男じゃないんだよ。そこまで言えなかったのは、まだどこかにプライドがあったからだろう。

「中村さんは凄いね、立派に店を切り盛りしてる」

「私は、ずっと早坂くんを見習って、お手本にして。辛いことも悲しいこともいっぱいあったけど、ようやくここまで来れたんだよ。なのになんで……!」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。頼んだパスタの味なんかまるでしない。

「早坂くん、ごめんなさい。気持ちが溢れて、好き勝手言っちゃって。いま言ったことは全部忘れて。そう、人生には休み時間が必要なんだよ。こんなご時世なんだからゆっくり休も! ほら、料理も冷めちゃうよ!」

 中村さんがその「ありきたりの言葉」を言ったとき、なぜか苛立ちを覚えた。彼女にも、そして俺自身に対しても。

 平板だった感情に、火が灯ったのを感じた。このままじゃいけない。

 俺が俺であり続けるのは、どうすればいいか。

「中村さん、このあともう少し付き合ってくれないか」




 たどり着いたのは廃校舎のグラウンド。ここは市民に開放されていて、運動場として自由に使っていいことになっている。コロナ禍、しかも平日の昼過ぎということもあってか、人気はまばらだった。

「早坂くん、どうしてここに?」

「自分でもよく分かってないんだけど、どうしてだか……走りたくなったんだ。ここの校庭を」

 すると、中村さんの顔がぱぁっと明るくなった。

「懐かしいね、その感じ!」

 この廃校舎は、元は俺や中村さんが通っていた中学校でもある。校庭の様子はあの頃とさほど変わりなかった。

「早坂くん、中学時代の百メートルの記録は?」

「十六秒だったっけ。俺、足は遅かったから」

「今なら、きっと追い越せるよ! 今の早坂くんなら!」

 今の俺なら。その言葉が俺を熱くさせた。

 普段着のうえ、マスクも着けたまま。とてもベストタイムが出せるとは思えないコンディションだ。

 けれど、なせばなるの気持ちで百メートルを必死に走った。走り抜けた。

 中村さんがスマホでタイムを図った。結果は。

「十五秒ジャスト!」

「いよっしゃあああああああああ!!」

 身体の底から、歓喜の声が湧き上がった。生きている。そう感じられた。

 中村さんとハイタッチした。カッコよかったよと、満面の笑みで言ってくれた。

 俺はマグロと一緒で、止まったら死ぬタイプの人間だったんだと思う。少しの迷いで止まっていたが、このままずぶずぶと抜け出せなくなるところだった。

「ありがとう、中村さん」

「憧れていた……ううん、違う。ずっと好きだった人が戻ってきてくれて、私も嬉しい」

 前に進むしか脳のない俺は、そっと彼女を抱き寄せた。

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