天使は走らない

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

天使は走らない。

 

 天使わたしたちは走らない。羽があるから走る必要がないのだ。


 だからなのかはわからないが、わたしは地上の生き物たちの走る姿が好きだ。

 足を忙しなく動かして、広い広い大地の上を、他の個体より少しでも速く、少しでも長い距離を進もうとする様が、何とも言えない高揚感をわたしにくれる。


 特に人間は好き。人間はなんにでも優劣をつけて競いたがる。当然、走る事にも。

 足の出し方、腕の振り方、姿勢の保ち方、呼吸の仕方、身に付ける物にまでこだわって、誰よりも速く駆けようとする有り様は、わたしの胸の内をこれでもかと沸き立たせてくれる。


 閑話休題。天使わたしの話をするとしよう。


 天使わたしたちの仕事は、『この世界』で死んだ人間を『わたしたちの世界』に転生させることだ。

 『この世界』では人間が溢れすぎていて、『わたしたちの世界』では人間が圧倒的に足りない。

 だから、『この世界』と『わたしたちの世界』の神様同士で話し合って、『この世界』の人間の魂を、定期的に『わたしたちの世界』に迎え入れる事になった。


 天使わたしたちの仕事は、『この世界』から『わたしたちの世界』に迎え入れる魂の選別。どの魂を連れて行くかを決めて、報告。それから『わたしたちの世界』に案内するお役目。


 『この世界』の人間が『わたしたちの世界』に安易に行き来しないよう、天使わたしたちの姿は人間には見えない。


 でも、たまに鋭いのが居る。


「……は、天使? 幻覚?」

「あ、わたしが見えるの? すごいね~!」

「馬鹿にしてる?」


 河原の土手でぼんやりしてた男の子に見つかってしまった。十代前半ぐらいの、色黒の肌の中性的な子だ。かっこつけたい年頃かな? 片膝を立てて座って、もう片方の足には黒い膝当てみたいなものを付けて斜面に投げ出している。


 投げ出した方の足の近くに、ヘンな木の棒が転がっていた。Yの字の頭をニュ~っと伸ばして、間に二本の横棒を渡してある。


「松葉杖、気に入ったのか」

「マツバヅエって言うのこれ? 何に使うの?」


 男の子が答えようとした瞬間、対岸からわー! ったくさんの人の叫び声が上がった。振り向けばなんと、カラフルな色の服を着た男の子たちが、白黒の球を追いかけて一生懸命走り回っている!


「わあ! 走ってる走ってる! ねえあれなあに? 何してるの?」

「サッカーだよ」

「『さっかー』って言うんだ! わー走る走る! あ、女の子もいるねえ!」

「少年サッカーだからな。クラブにもよるけど、は男女混合でやれる」


 『くらぶ』は知っている。同じことをやりたい人の集まり。うち、と言う事は、この男の子もあの『さっかー』の『くらぶ』に入っているんだろうか。


「君もさっかーやるの? なんであそこに混ざってないの?」

「……見りゃわかるだろ。怪我だよ。もう……サッカー出来ねえって言われた」


 男の子は顔をくしゃっとさせて、伸ばした方の足を見た。


「なんでもう『さっかー』出来ないのに、見てるの?」

「……うるせえ、関係ないだろ」


 男の子はくしゃっとした顔のままそっぽを向いてしまった。わたしはフワリと飛んで、そっぽ向いた男の子の前に浮く。


「ねえなんでー?」


 男の子はまたそっぽを向く。わたしはまたフワリと顔の前に浮く。

 そっぽを向く。フワリ。そっぽを向く。フワリ。

 三回くりかえした所で男の子は下を向いて、おっきな溜息を吐いた。


「お前にはわかんねえよ。羽があるなら、走れなくても関係ないもんな」

「それを言われるとぐうの音も出ないね」


 男の子はマツバヅエを片手に、伸ばしていた足をズリズリ引きずりながら四つん這いになってゆっくり立ち上がった。


「その羽がなくなったら、俺の気持ちもきっとわかるよ。当たり前に出来てたことが、出来なくなる気持ち。出来ないって分かってるのに、またやりたいって気持ち」


 マツバヅエに片身を預けるようにして男の子は土手の上に登っていく。


 天使わたしたちは走らない。羽があるから走る必要がないのだ。

 羽がなくなればわかる、と言うのは的を射ている。


「よし、やろう」


 気になったので早速実行。いざ、羽の実体化を解除!


 次の瞬間、私の身体は土手に落下。そのまますごい勢いで土手の下に転がり落ちた。


「うわああああああああ!」


 草、斜面、空、草、斜面、空! そして最後に、顔から土ぃ!


「ぶべっ」

「いや何してんのお前!?」


 土手を登っていた男の子が慌ててこっちに向かってきた。マツバヅエを使わないといけないから大分ゆっくりだけれども。


 男の子が来る前に立ち上がってみようとする。両手をついて、四つん這いになって、身体を起こして。


「……おわあ、大発見! わたし立てない!」

「本当になにやってんのお前」


 両手をついて座り込んだ状態から動けなくなってしまった。隣に下りて来てくれた男の子が呆れた顔で私を見下ろしている。普段ずっと上から見ているから、人間を見上げるのはすごく新鮮。


「いや人間ってすごいねえ! 二本足で立ててるのほんと凄い! え、ホントどうしたらいいのこれ!?」

「……飛ばねえの?」

「いや立つよ! 立って見せる! 地面に立った天使第一号に、わたしはなる!」


 高らかに宣言したわたしの前で、男の子はくしゃっとした顔で盛大な溜息を吐いた。


「……アホな事言う前に、ちゃんと足の裏地面に付けろ」


 立てない私は男の子に言われた通り、まず足の裏を地面に付けた。


「うはは! 暖かくてジャリっとしてる! ふははははは!」

「マジメにやれ」

「ふははは! はーい! 次は?」

「えっと、足の裏つけたまま、膝まげて」


 言われた通りにすると、ギュっと膝に力がかかる。太ももが伸びてピンと張った。


「体重、後ろじゃなくて前に。違う、四つん這いになるんじゃない。足裏つけて、膝まげて」

「う、うおおお? むずかしいね?」


 男の子はまた顔をくしゃっとさせて、まるで何かを探すみたいに視線を上に、下にと向けた後、わたしに向かってマツバヅエを持っていない方の手を伸ばした。


「掴んで」

「ほい」

「いちにのさん、って言ったら引っ張るから。さん、って言ったのに合わせて足伸ばして」

「わかった!」


 わたしは男の子の手を両手でしっかり握る。


「行くぞ。いちにの、さん!」


 ぐいっ、と強い力に引っ張られるのに合わせて、足の裏を付けたまま、思いっ切り足を伸ばした。


 男の顔が、すぐ、目の前。


「…………わあああああ! 立った! わたし、地面に立ったあ! あ、ああああれ?」

「おい、フラフラすんな、ちょ、あ!」


 立てた感動もつかの間、わたしと男の子は一緒になって仰向けに土の上に転がってしまった。


 視線の先には、青い空がどこまでも、どこまでも。対岸の『さっかー』の声が、顔

の上を通り過ぎていく。


「……ふふ、ははは」


 不意に、わたしの横で仰向けになったままの男の子が笑いだした。


「え? なんで? 何で笑ってるのー?」

「ふふ、いや、ははは、何でもねえ」

「ねえなんでー?」


 男の子は答えないまま、マツバヅエを持って立ち上がった。


「ありがとな。なんか、天使お前が一生懸命になってんの見たら、ふて腐れてんのが馬鹿みてえになった」

「???」


 なんかよく分からないけれど、男の子は元気なったらしい。


「出来ないのが当たり前の事に平気で挑戦するんだもんなあ。俺も、リハビリ頑張ってみるよ。今は無理でも、いつかまたサッカー出来るかもしれないからさ」

「ふうん? あ、じゃあさ、『わたしたちの世界』来てみない?」

「へ?」


 わたしは男の子にわたしの仕事を説明した。


「――という訳で、『わたしたちの世界』に来たら五体満足で生まれ変われるし、何なら一生怪我しない身体とかも貰えるよ!」

「いや要らねえ」

「即答かあ」


 男の子はニカッと笑った。


「この身体で、『この世界』で、頑張るって決めたからさ」


 男の子はそう言って立ち上がり、マツバヅエをついて去って行った。ひょいひょいと、それはもう軽い足取りで。


「んー……さて、わたしもお仕事戻るかあ」


 身体を起こして、羽を実体化。フワリ、と空へ飛びあがる。


 『さっかー』をしていた対岸から、ピピーッと高い笛の音の後、一際大きな歓声が聞こえた。


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