憎しみ

ホタルが一人になりたくて、海辺のベンチに一人で座っていた。


すると、後ろに人影が現れた。


「大丈夫?」

人影が訊いた。


ホタルが振り向いてみると、ヒカルの母親が後ろに立っていることに気づいた。


ホタルは、何も言わずに、肩をすくめた。


「座っていい?」

ヒカルの母親が尋ねた。


「どうぞ。」

ホタルが言った。


「ご両親のトラブルは、落ち着いた?」

ヒカルの母親が訊いた。


「…口を利いていない。」

ホタルが素っ気なく答えた。


「誰が誰と口を利いていない?」

ヒカルの母親が追及した。


「母と英介は、互いに口を利いていないし、私は、母とも、英介とも口を利いていない。」

ホタルが説明した。


「そうか。それは、静かな家になってしまったわね…。」

ヒカルの母親が言った。


これに対して、ホタルは、何も言わなかった。


「ホタルも、板挟みになって辛いね…。」

ヒカルの母親がさらに言った。


「…もう、何もかもがめちゃくちゃで、どこか遠いところに行きたい…あの家から居なくなってしまいたい。」

ホタルがつぶやいた。


ヒカルの母親は、ホタルの話に耳を傾けながら、頷いた。


「母のことも、もちろん嫌いだし、英介も、死んでしまった父も嫌い…なんで、あの騒ぎを起こしてしまったのか、理解できない。」

ホタルが続けた。


「みんなのことを嫌いにならなくてもいいんじゃないの?」

ヒカルの母親が考え深く言った。


「好きになれない。あんなひどいことをする人たちを好きになれない。」

ホタルが反論した。


「家族のいざこざに巻き込まれ、迷惑を沢山かけられたホタルの気持ちもわかるけど、みんなは、決して、ホタルを傷つけたくてやったことではないし、恨むことで傷つくのはホタルだよ。赦した方がいいよ…お母様でも、英介さんでも、兄のためでもなく、自分のために。」

ヒカルの母親が言った。


「…赦せるわけがない、あんなこと。ひどすぎる。あまりだ。」

ホタルが言い捨てた。


「お母様は旦那様に相手してもらえない寂しさに負けて、私の兄を巻き添えにし、酷いことをした。英介さんも、長いこと、お母様の気持ちを蔑ろにし、苦しめ、傷つけた。兄も、言われるままに動き、何ができることがあったのかもしれないのに、何もしようとはしなかった。みんなは、被害者でもあり、加害者でもある。兄は、罪の結果として死んでしまったし、お母様と英介さんも、これから一生自分の過ちの重さを背負って生きなければならない。


でも、ホタルは、誰をも裏切っていない。誰をも傷つけていない。あなたには、罪がない。ただ、ここで、憎しみに負けて、恨みを抱いてしまうと、それが重荷になる。ホタルまでが、家族の過ちに一生苦しめられなければならなくなる。そうなってもいいの?」

ヒカルの母親がホタルに問いかけた。


「…いや、嫌だけど。」

ホタルが小さな声でつぶやいた。


「なら、恨むな。お母様と話して、事情を尋ねてみて。理解は出来なくても、赦してみて。ホタルは、その方が苦しまなくていいから…。」

ヒカルの母親がそこまで言うと、立ち上がり、海辺を去った。

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