ヒカルの葛藤
ヒカルは,母親の会いに来てくれても,少しの間しか一緒に過ごしてくれない,すぐに帰りたがる態度には,会う度に傷つき,戸惑った。ヒカルのことが好きだと言ってくれるのに,放っとけないとも言ってくれるのに,どうしていてくれないのか,ヒカルには,訳がわからなかった。
「人間じゃないから。」や,「自由の身じゃないから。」と母親が言うけれど,ヒカルには,そういう言葉は,都合の良い口実にしか聞こえない。ヒカルは,母親が人間ではないことも,魔法に支配されていることも,少しも気にしていないというのに,母親がそういった自分とヒカルの違いばかりにこだわっているように感じる。自分には,どうしょうもないことなのに,自分が人間だというだけで,そして,魔法の世界を知らないというだけで,差別を受け、認めてもらえないと疎外感を覚え,苦しかった。
そして,とうとうある日,ヒカルのこの気持ちが爆発してしまったのだ。
「じゃ,そろそろ…。」
と母親が別れの言葉を言い出すと,ヒカルが母親を引き止めようと手を握った。
「行かないで!」
ヒカルが必死な顔で言った。
「どうした?…また会えるよ。」
母親がヒカルを慰めようとした。
「…足りない…いつも,足りない!」
ヒカルが泣き出しながらつぶやいた。
「何が足りない?」
母親が追求しても,ヒカルは,ただ静かに泣き続けた。
「時間?」
母親がさらに,追求した。
ヒカルは,頷いた。
「…きっと,どんなに時間あっても,足りないよ。」
母親が達観したような口ぶりで,ヒカルを諭した。
「なんで,いつもそんなに急いで帰るの?どこに帰って行くの?なんで,いてくれないの?人間じゃないとか,どうでもいい!魔法とかも,どうでもいい!僕と一緒にいるのが,そんなに面倒くさい!?なら,最初から,会わなかったらよかったのに!」
ヒカルの口から矢継ぎ早に,日頃の疑問が溢れ出し,止まらなかった。
ヒカルの母親は,ヒカルが自分のせいで,辛い思いをしていることがわかり、胸が辛くなった。
「…色々とごめんね,ヒカル。」
「謝らないで!ちゃんと答えて!なんでだよ!?」
ヒカルが叫んだ。
「…あなたを傷つけないため…でも,気をつけているつもりでも,傷つけてしまったんだね。」
母親が申し訳なく言った。
「お願いだから,もう帰らないで!行かないで!ここにいて!」
ヒカルが懇願した。
「ここには,居られない…。」
母親が涙を浮かべた顔でつぶやいた。
「…なら,僕が行く!どこに帰って行くかわからないけど,一緒に行く!」
ヒカルがまた叫んだ。
「…無理だよ,そんな…。」
母親が首を横に振った。
「なんで!?人間だから!?僕は,人間を選んでいないし,どうしょうもない!」
ヒカルは、涙が止まらない。
「私も選んでいないよ…でも…。」
母親が胸が張り裂けそうな思いで,息子を落ち着かせる言葉を探したが,何も思い浮かばなかった。
「ヒカル,聞いて。お母さんも,ヒカルと一緒にいたい。一緒に暮らしたい。でも,出来ないの…危ないの…だから,帰らなければならない。私も,どうしょうもない…。」
母親が息子の手を握って,言った。
「僕がこれを持っていれば,帰れないでしょう!」
母親がヒカルの手を握ろうと,うっかり手放した皮をヒカルが手にした。
ヒカルが自分の皮を持っているのを見ると,母親は,目の色を変え,表情が強張った。とても厳しい顔をした。
「返して。」
ヒカルは,首を横に振った。
「今すぐ,返して!」
母親がムキになって,怒鳴った。
母親がヒカルに怒鳴るのは,初めてだった。ヒカルは,驚き,ドギマギした。
母親は,ヒカルの困惑した様子に気付いても,毅然とした態度のまま,少しも揺るがなかった。
「私を奴隷にしたいの!?」
「違う…!」
ヒカルが涙目で言った。
「なら,返して!」
ヒカルを見る今の母親の目には,愛情の色はなかった。あるのは,憤りとパニックだけだった。
「返したら,またどっか行っちゃうでしょう,僕を置いて!?お母さんは,やっぱり,これの方が大事!」
「あなたは,何もわかっていない!返して!」
母親が怒鳴り続けた。
「これさえなかったら,家族になれるのに…捨てたらいいのに…!」
ヒカルが反抗した。
「捨てちゃダメ!これを捨てたら,私の命はないよ!…やっぱり,人間と関わるんじゃなかった!兄の忠告を聞けばよかった!」
母親がとうとう泣き出した。
生まれて初めて母親の泣き顔を見て,ヒカルはすぐに皮を母親に返した。しかし,皮を返してもらっても,母親は,泣き止まなかった。体は,震えていた。
「ごめんなさい…。」
ヒカルがつぶやいた。
ヒカルが謝っても、ヒカルの母親は,何も言わずに、皮に大事そうにしがみつき,涙を流し続けた。
「悪かった…ごめんなさい…本当にごめんなさい!」
ヒカルが取り乱している母親の姿を見るに堪えなくなって,また泣き出した。
母親が泣き止んで,ようやく落ち着いたと思ったら,ヒカルを慰めたいという母性本能をグッと抑えて,ヒカルの顔を一瞥もせずに,慌てて離れて行った。そして,一度も振り向かずに,「またね。」などと挨拶せずに,姿を消した。
ヒカルは,母親を傷つけてしまったことが心苦しくて,とても惨めな気持ちになった。きちんと謝りたいと思ったし,罪滅ぼしもしたいと思った。ところが,何度海辺へ行っても,何回母親を呼んでも,姿を見せてくれなかった。2週間近く経っても,ダメだった。
ヒカルが一人で座り込み,泣いているところをホタルがたまたま通りかかった。
「あら,どうしたの?」
ホタルが声を掛けた。
「お,お母さんが…。」
ヒカルは,泣きすぎて,呂律が回らないようだった。
ホタルは,ヒカルの横に座り,背中を優しく撫でながら,落ち着くのを待った。ヒカルがお母さんとあったことを洗いざらいホタルに話した。
「…そうだね。それだと…しばらく会えないかもしれないね…。」
ホタルは,「また会えるよ!」や,「大丈夫!」など,根拠のないことを言い並べた励まし方をし,下手に慰めない方がいいと思い,適当なことを言わないことにした。
「また会えるよ!」というのは,ヒカルが今一番聞きたい言葉なのかもしれない。しかし,また会えるかどうかわからないのに,「また会えるよ。」と嘘をつくのは,ホタルは,嫌だった。大人のこういう嘘は,幼い頃から嫌だった。大丈夫じゃない時に,「大丈夫!」と励ましたり,これ以上頑張れない時に,「頑張れ!」と応援するのは,相手を追い詰め,苦しめるだけだ。そういうことを言う大人には,なりたくないと思った。
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