14.喜びと熱と


 今日もスージーと挨拶をしてからクリーム瓶を取り出す。また触れられると思うと喜びで浮き上がりそうだ。クリームを掬って手を差し出すと、手の平の上にスージーの手がそっと乗せられ、胸が甘く疼いた。指と指の間、手首、指先のふくらみへ丁寧に塗りこめていく。


「……あの、ありがとう、レオ」

「ああ」

「嬉しいんだけど、使い方はわかったし、わざわざ塗ってくれなくても大丈夫よ?」

「……え、あ」


 心臓が跳ねた。

 わかっている。これは私の我儘で、スージーには必要のないことだと。でも、嫌だ、離したくない。なんと言えば? なんと言えば、触っていられる?

 言い訳を考えているうちに、両手とも塗り終わってしまった。何も思いつかず、でもここで手を離したら二度と触れることができなくなりそうで、離すことができない。未練たらしく丸い指先をクルクル撫で続けた。

 つと、スージーが動き、離れようとする。私の手の中から逃げて行く。

 まって、行かないで、待って、お願いだ。


「……レオ?」

「あ」


 思わず、スージーの手を掴んでしまい、慌てて手を離した。


「……す、す、す、す、すまない」


 恥ずかしさに顔を上げられない。でも、それ以上に胸が痛い。

 もう触れられない。また紙を落としたら拾ってくれるだろうか? でも、こんなふうに触れることはもうできない。

 私が苦しさで身動きが取れないあいだに、スージーがクリームを掬い取る。そして、自分で唇にのせた。

 触れるなと突き離されたようで、足から力が抜けそうになる。

 本当はわかっていた。唇に触れるなんてこと、恋人でもないのにするのはおかしいと。わかってはいたけれど、許してもらえて嬉しくて舞い上がっていた。


 動揺から立ち直れずにいる私の方をスージーが振り向いた。優しく微笑んで、穏やかな低い声で話しかける。


「レオも塗る?」


 差し出された人差し指の意味がわからない。

 指で塗る? 私に、指で ――――唇に!? スージーが私の唇に塗ってくれる?

 驚きで動きが止まった私に、スージーが笑みを深くした。


「言ってみただけ。気に――」

「塗る」


 慌てたのに、私の口から出た言葉は明瞭な形を持っていた。細部までハッキリした音がスージーと私の間に広がる。私が望む、そのままの形で。


「あ、ええと、ええ、わかったわ。少し屈んでくれる?」

「ああ」


 ハッキリ話した私に驚いたのか、目をしばたいて、それから笑って言った。言われた通りに屈むと、私の頬へ優しく手を添え、もう片方の手で唇にふれた。

 触れ合っている感覚を余すところなく捕らえるために、目をつむって集中する。ラベンダーの香りがする柔らかな指にそっと触れられ、ゾクゾクと鳥肌が立った。私がクリームを塗った長い指が、私の唇の上を辿り、熱を灯していく。その手を掴んで口に含み、食べてしまいたいような、よくわからない衝動が沸き起こった。


 クリームを塗り終わった手がそっと離れていく。頬に添えられたスージーの手を掴んで頬ずりできたなら。


 衝動の余韻が残ったまま目を開けると、すぐそばにスージーがいた。

 そばかすが浮く白い肌が薄桃色に上気している。茶色の目は艶々と潤んでいるように見えた。その雫はどんな味がするのだろう。


「おしまい。つやつやで可愛い口になったわよ」

「……あ、ありがとう」


 私に背を向けて掃除を始めたスージーを眺める。スージーを目で追いながら、無意識に唇を触っているのに気付いた。

 彼女の指がふれた頬、彼女の指が撫でた唇。自分から私に触れてくれた。そのことに今気づき、喜びで全身が痺れる。


 掃除の終わったスージーが私に手を振って部屋を出て行った。

 彼女の姿は消えても気配は私から消えず、体の中で小さな光が跳ねまわり、高い澄んだ音が鳴り響く。これが祝福でないのなら、なんと言えばいいのだろう。


 ベッドの中でスージーを思い出す。白い首に垂れたおくれ毛、光に色を深くする赤毛、そばかすの散った薄桃色に染まる頬、ふっくらした唇、潤んだ茶色の瞳。

 胸が痺れて腰が重く疼き、下腹が硬く張り詰める。

 スージーの長い指、短く切られた爪、白くて大きい手を撫でた。この手でスージーの手を包んだ。

 細くて骨張って、でもふくらみは柔らかくて。スージー、その指で私の唇に触れた。スージー、もっと触れて欲しい。スージーの声が体の中に響き、触れた手の感触が肌を粟立たせる。


 おかしくなりそうだ。いや、もうすでにはおかしくなっているのかもしれない。

 閨教育で習っただけ、それだけだったのに。子孫を残すためだとわかっているが、寝起きに硬くなることも、朝、下着が濡れていることも不快なだけだった。

 でも、スージー、あなたを思い出すと体が疼く。暴れまわる熱を外に出さないとおかしくなりそうなほどに。汚すつもりはないのに、あなたに触れたくてたまらない。




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