12.知らない気持ち
「この部屋に置いておくのは? ここに来たときにクリームを使うの。いつも掃除に来るんだもん、丁度良いじゃない? レオが迷惑じゃなければ、だけど」
「い、い、い、いい」
「いい? 良かった。じゃあ、瓶を見せて? すごくキレイだから触ってみたかったの。断らなきゃいけなくて、悔しかったんだから」
笑顔で差し出されたスージーの手の平にクリーム瓶をそっと乗せた。目を輝かせて瓶をクルクル回しながら楽しそうにしているスージーを眺め、安堵と喜びが胸に満ちるのを感じる。ふいに、スージーと目が合った。
「こんなにキレイで素敵な贈り物、はじめて。ありがとう、レオ」
「あ、あ、あ、ああ」
「さっそく使ってみてもいい? どれくらいかな? 硬いわね。このまま塗ればいいの?」
「て、て、て、手で」
「手?」
使い方を尋ねるスージーの手の甲にクリームが乗っているのを見て、手で挟んで溶かすのだと言おうとした私の目の前に、スージーの手が差し出された。
スージーは私が手を出せと言ったのだと勘違いしている。それで手を出した。私に触られるのは平気なのか? ……触れても?
スージーの勘違いを正さず、そっと手を受け取った。震えを押し殺し、店員に教えられた通り、手で挟んでクリームを溶かす。
スージーの手は温かくて、痩せて骨張っているのに柔らかさがあって、私の手に隠れるくらいの大きさだった。触れ合っている所から全身に鳥肌が立ち、体がゾクゾクする。
クリームが融けたら、両手でスージーの手を取り慎重に塗り込む。親指の付け根のふくらみ、長い指、短く切りそろえられた大きな爪、ところどころにある小さな傷痕。カサカサしている肌になじませるように優しく撫でる。スージーの両手へクリームを塗るあいだ、触れ合わせた肌から伝わる恍惚に支配されていた。
クリームを塗り終わったスージーの手が私から離れてしまい、自分の何かが欠けてしまったような、そんな寂しさを味わう。
「……丁寧にありがとう」
俯きがちに話すスージーの頬が薄紅色に染まり、とても可憐に見えて思わず頬が緩む。目が合うといきなり両手で顔を覆い、スージーが動かなくなった。動かないスージーは初めて見る気がする。
「……、良い匂いがする」
「ラ、ラ、ラベンダー」
「ええっ? 高いのに」
「に、似合うと、思って」
「……ありがとう、もう、まいっちゃうわ、ホント、嬉しくて。……、あ、これって唇にも使えるかな? たまに皮むけちゃうのよ」
唇に? 唇に塗っても? 触れても? 本当に?
興奮で震える人差し指に少しだけクリームを取って準備をした。スージーは目を見開いて私を見つめ、何かを言おうとしている。
「え、あ、そういう、あ、ええ?」
何を言いたいのか分からず、よく聞こうとスージーを真っ直ぐ見ると、たちまち顔を赤くした。
「あ、ええと、その、塗ってくれるの?」
「ああ」
「……ありがとう」
顔を私のほうに向け、ギュッと目をつぶったスージーの唇に指先を当てる。ふに、と手とは違う柔らかな感触をしている。閉じた口から漏れた吐息が人差し指にかかり、体中の血が指先に集まったように感じた。淡いヒナゲシ色のふっくらした下唇を撫で、上唇にも触れる。口の合わせ目に手が掛かると、熱い吐息がまとわりつくようで、それをそのまま口に含み飲み込みたい衝動に駆られた。
体中が脈打つみたいに熱く騒がしい。もっと触れていたいのに、ゆっくり動かしたのに、もう終わってしまう。もう一度、もう一度だけなぞっても?
指先を移動させようと唇から離したら、スージーがあとずさった。
「あの、ありがとう。もう、掃除しないと」
赤くなったスージーが慌てて箒を持ち、掃除をし始める。
すぐそばにあった、とても良いものがふわりと身を翻してしまった。寂しさが胸に差し込む。それでも、さっきまで触れていた柔らかさは本当で。
スージーの唇をなぞったぬくもりが残る指先を見つめ、自分の唇に当てる。スージー、と胸の内で何度も呟いた。
私を満たすこの気持ちはなんだろう。泣きたいような、笑いたいような、甘えたいような、くすぐったい気持ち。
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