春風に走る

2121

春風に走る

 風の音が耳を掠める。天候は晴天。風は出ていたが、汗を乾かすほどの程よい風だ。走るにはうってつけの日。

 真白の砂が春風に舞い、通りすぎて視界がクリアになっていく。

「よーい━━」

 号令と共に、スタートラインの白線手前に付いた手に重心を乗せ、足を上げて前へと出る準備をした。





 陸上を始めたのは、姉からの影響からだった。年の離れた姉が、競技場を思いきりかけていく姿が格好よくて、あんな風に私も颯爽と走りたいと思った。そうして私も同じように、中学高校と陸上部に所属する。

 今日は大会だった。けれど自信があるわけではない。

 思い起こされるのは、数ヵ月前の悪いことをした日。

 一度サボってしまったことがあった。クラスメイトが学校帰りにカラオケに行くという誘いは甘美で、しかもその日は雨が降っていて室内で筋トレばかりの予定だったから、思わず行くと言ってしまった。

 部活が嫌いというわけではない。ただ、私が欲に負けただけ。使わないジャージの入った袋を机のフックに置き去りにして、私は友達の背に抱きつき他の部員にバレないために「早く行こう」と急かした。

 友達と楽しく歌いながらも、気持ちはどこか上の空だった。歌う順番を待ち友達の歌も間奏に入ったとき、ふと今みんなは練習をしているのだろうかと、筋トレをしているだろう部員たちのことを思う。

 この間にも、どんどん私は引き離されてしまうのだろうか。とはいえ、友達と遊ぶことも捨てたくなかった。高校は三年間しかない。友達とは既に理系と文系で進路が分かれているから、大学以降は違う道に進むに違いない。だから、今という時間も大事にして楽しんでいたい。

 しかし帰り道の雨の中。案の定、罪悪感に苛まれる。

 部活をサボってしまうことは悪いことだと分かっている。筋トレをして基礎的な部分を鍛えることが大事なのだとも分かっている。

 けれど、私は確かにあの日サボったのだ。

 その事実が今の自信をすくませる。

 次の日からはちゃんと練習をした。朝の自主練もしたし、夜も遅くまで走った。あの日以外は雨の日でも筋トレをちゃんとした。遅れを取り戻すかのように、着実に練習を重ねてきた。

 クラスメイトと遊んで楽しかった日も、練習を頑張った日々も、私は肯定したいたい。どちらも私にとっては大事なものだから、どっちも取るという欲張りをしていたい。

 ここで私の気持ちが負ければ、友達と楽しんだ日も練習した日も裏切ることになる。

 自信はあるわけではない。けれど、無いわけではない。

 大丈夫、練習したことは確実に私の糧となっている。

 裏切るのはいつだって私の気持ちのみ。奮い立たせ、視線を上げて前を見る。

 春の風も、私を応援するように追い風に吹いていた。

 向かうはゴールテープ。走ることのみに集中し、ただ足を動かせばいい。

 あのときの私を否定しないよう、後悔しないよう、言い訳にもしないよう、私はこの道行きを走りきる。

 スターターピストルが競技場に乾いた音を響かせた瞬間、弾けるように飛び出した。

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春風に走る 2121 @kanata2121

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