01.07.答え

 担当教官が書き出されるのを定位置で待つそら

 順調に行けば今日で卒業。そうなればゆいと接触する機会は無くなってしまうと思って間違いない。


    もし斎藤さいとうさんだったら……


 確かにそうだ。ゆいが今日の担当となれば、小一時間程は二人きりの時間が持てる。それだけあればいくらそらでも思いを伝えられるだろう。


    でも斎藤さいとうさんだったら……


 どんな顔でゆいと向かい合ったらいいのだろう。そんな心配で潰されそうになるそらなのであった。

 そして、運命の悪戯などではなく運営の計らいなのだが、さきによって仕組まれたペアリングが書き出されていく。


    斎藤さいとうさん……


 当然ながらそらの担当はゆいであった。

 そんなゆいと一瞬だけ目が合った。教習車の整備から戻ってきたゆいがボードを確認した後、一瞬だけそらの方を向いたのだ。


    斎藤さいとうさん……


 だが、その表情は固く、そらは不安に駆り立てられる。慌てて目を逸らすと足早にロビーと後にするそら

 最終枠のゆいとのドライブに思いを馳せ……、というか、どうしよう、どうしよう、と悶々と時間を潰し、夕焼けがロビーを照らす頃、再びこの場所に戻って来るのだった。


    はぁ、疲れたな……


 一日中そんな事を考えていれば多少は疲れたりもするだろう。そもそも、このところ碌に眠れてないこともあり、目の下には酷い隈ができていた。観葉植物に隠れるその姿はゆいに付き纏うストーカーと思われても仕方がないだろう。


    来た……


 そして、とうとうその時が訪れてしまった。前の枠の教習がが終わり、ゆいが姿を現した。心拍数が跳ね上がり、視界がグラグラと揺れる。


    行かなきゃ……

    今日は僕から行かないと……


 思いとは裏腹に、弱々しい一歩を踏み出すそら

 一方のゆいも、その弱々しい一歩を認識し、気を引き締める。


    いいわ、私で卒業しなさい

    それで自信が付いて、絵梨菜えりなさんに告白できるなら……

    私は……、それでいい!


 そして、そらに向かってその一歩を踏み出すのだった。


    でも、ちゃんとお願いしなさいよね

    私からはもう誘えないんだから……

    だって、二度も断られたら惨めじゃない


 互いに歩を進め、出会ったのはロビーの中央。


 「神月こうづきくんですね。宜しくお願いします」


    やっばー、ちょっと言い方きつかったかも……


 「よ、宜しくお願いします、斎藤さいとうさん」


    斎藤さいとうさん、怒ってるみたいだけど……


 ぎこちない挨拶を交わすと、そのまま教習車へと向かう二人。何の会話もないまま、路上へと繰り出したのだった。


 「そこを左に曲がってください」


 「はい」


 路上に出て10分程が経過したが、コースの指示以外全く会話がない。


    この前は済みませんでした、

    この前は済みませんでした、

    この前は済みませんでした

    ……まずは謝らないと。

    謝ればいいだけだ……


 一日考えて出した結論である。先ずは一方的に会話を切ってしまった事を謝ろうと。当然だが、いきなりネオンの色に惹かれちゃいます、なんてのは考えてもいなかった。それは、謝った後、ゆいの反応を確認してからにしようと決めていたのだ。

 一方、助手席でそわそわしている大人の女性はというと……


    あれ、お願いしてこないの?

    もう10分も経ってるのよ?

    昼休みに勝負下着に変えてきたし、シャワーも浴びてきた

    わたしは準備できてるんだよ、神月こうづきくん!


 ひっそりと職場を抜け出し、爪の先まで綺麗に整えてこの場に臨んでいるのだった。

 臨戦態勢のゆいの期待を裏切るように、更に10分の時が過ぎたがそらが行動を起こす気配はない。


    こうなったら私から……


 などと考えていた矢先、信号が黄色に変わった。だが減速しようとしないそら。一点を見つめ、心ここにあらずといった感じだ。そして、信号は赤へと変わる。


 「前見て! 前っ!!」


 「ごめんなさいっ」


 そらよりも先にブレーキを踏んだゆい


 「集中できてないみたいですね。こんな事では……」


 職務上、叱責しようとしたゆいだったが、そらが何やら呟いていることに気づく。


 「言い訳ならはっきりと言ってください」


    じゃないでしょ……、私

    これでホテルに誘ったら無理矢理連れ込んだみたいになっちゃうじゃない!


 「あの……」


 だが、ゆいの言葉に反応したのか、そらが口を開いた。


 「何でしょうか?」


    だからそうじゃないんだってば……

    はぁ、もうないかな、神月こうづきくんとは……


 「この前は済みませんでした」


 きつく当たってしまうゆいがその言動を後悔していると、そらから思いもよらぬ言葉が。


    済みません?


 「何のこと?」


 「予想外の質問だったので何て答えていいのか解らなくって……、色々考えてたら結果的に黙り込む形になってしまいました……。一方的にに会話を切ったことをお詫びします」


    えっ? そんな事?

    そんなのどうだっていいのに……

    それより、考えてくれたんだ……


 「何……考えてたの?」


 「色々と……です」


    それって、ホテルに誘った答えよね♪

    なーんだ、早く言ってよね♪

    ……いや待て、まだ肯定されたわけじゃないわね


 「……そう。で、答えは?」


 「答え?」


 「考えてくれたんでしょ? その答えを聞かせてくれない?」


    答えって……

    あの時斎藤さいとうさんに訊かれてたのは……

    ネオンの色……

    答えていいのかな、今なら……

    ええい、考えるだけ無駄だっ!

    どうせこれが最後の教習、

    たとえ軽蔑されることになっても二度と会うこともないんだ

    だったら……


 「惹かれちゃいます。その……、メチャメチャ惹かれちゃいます!」


 これまで生きてきた中でこれ程元気いっぱいに声を発したことは無かったのではないだろうか。言い切ったそらゆいを見つめる。


 「うん。いい答えね。じゃあ、お姉さんがその気持ちに応えてあげちゃうぞ。今日で卒業だね、そら


 「はいっ!」


    斎藤さいとうさんに笑顔が戻った!

    今日は宜しくねって微笑みかけてくれたあの時の斎藤さいとうさんだ!!


 「信号、青になったわよ」


 「はいっ!」


 「ねえ、私でいいの? 卒業……」


 「勿論ですっ! いえ……斎藤さいとうさんはいいんですか、僕なんかと……」


 「あら、私から誘ったのよ? いいに決まってるじゃない。頂いちゃうわね、そらの初めて」


 「喜んでっ!」


 興奮気味のそらだが、流石に教習中にホテルに直行という事にはならなかった。


 「じゃあ、8時半にここで待っててね」


 と、人通りの少ない交差点を指定されたのだった。

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