01.03.初恋の記憶

 いつものように担当教官が現れるのを一人ロビーの入り口で待つそら

 あの日から数日が経つが、ゆいそらと目を合わそうともしないし、そもそも敢えて避けているような素振りも見せている。


    慣れてるからいいんだけど……


 そんな事を思いながら、一人ぽつんと観葉植物の葉を眺めていると、ニヤケ面の男が近づいてきてそらの肩をバシッと強めに叩いたのだった。


 「よう、カミツキじゃねえか、久しぶり。相変わらず暗い顔してるな」


    誰、こいつ

    そもそも、カミツキじゃないし

    ……そう読めなくもないけど


 いきなりパーソナルスペースに踏み込み、あろうことか接触までしてきた男に不快感を隠そうとしないそら。ちなみに、そらのパーソナルスペースはかなり広い。


 「俺だよ、俺、鈴木すずきだよ」


    鈴木すずき……

    ありがちな名前だな


 実際、鈴木すずきは同じ中学の同じ学年、隣のクラスに居たのだが、他人に興味のないそらにはそんな認識すらなかった。当然ながら、懐かしむような関係でもないし再会を喜び合うような関係でもない。そらにとってはどうでもいい存在なのだ。

 だから、気のない返事をする。


 「あぁ」


 と。

 これで興味を失って去ってくれれば幸いと言わんばかりに。ただ、鈴木すずきは諦めなかった。


 「あぁ、じゃねえよ。そうだ、新井あらいっちも居るぞ?」


    新井って……


 その名前には心当たりがあった。そらが初めて好意を寄せた相手なのだから。


 「おーい、新井あらいっちー、カミツキが居たぞー」


 鈴木すずきの声に反応したのは茶髪でソバージュ、派手な服に見を包んだ女だった。化粧もかなり濃い。


    知らない人だ……


 それもそのはず。そらの知る新井あらいという女性は黒髪のストレートで清楚な雰囲気の憧れの存在だった。入学式で初めて見た時のドキドキを今も覚えている程に。起伏に乏しい顔立ちで唇も薄く、睫毛の長い綺麗な顔だった印象が強い。


 「へー、神月こうづきかぁ」


    嘘だ……

    全然ドキドキしない

    頼むから別人だって言って


 「こいつ、さっきから、 “あぁ” とか “はぁ” とかばっかなんだぜ?」


 鈴木すずきの話に耳を傾けることもなく、そらの事を足の先から頭の天辺までまじまじと見た後、もう一度視線を下の方へと移していく派手な女。


 「変わったなー、神月こうづき。へー、こうなるんだー」


    何処見てるの……

    こんなの新井あらいさんじゃないっ!

    ないよね……

    新井あらいさんだったら嫌なんだけど……


 「あの……新井あらいさん?」


    違うよね……


 「そうだけど?」


    苗字が同じだけかも……


 「新井あらい 絵梨菜えりなさん?」


 「面影ないかぁ?」


    ない……

    これっぽっちもない……


 だが、そらの名を知っていて、本人も新井あらい 絵梨菜えりなだと言っている。受け入れたくなくても、初恋の思い出が壊れてしまおうとも、これが現実なのだ。


 「わりい、この後路上なんで時間ないんだー。そだ、連絡先でも交換するか」


 「はぁ」


    この人と交換してもな……

    性格も別人みたいだし、綺麗な思い出が壊れてくんだけど……


 そんな気分で連絡先を交換していると、三人の元へとゆいが近づいてきた。


    斎藤さいとうさん……

    笑顔だ……

    ここ数日、僕には見せてくれなかった笑顔……


 期待と不安でドキドキしながらゆいを見つめるそらだったが、ゆいの視線がそらへと向けられることは無かった。


 「新井あらい 絵梨菜えりなさんかな?」


 「はーい」


 まるでそらの事が見えていないかのように自然に。


 「佐藤さとうくんと知り合いなんだー。斎藤さいとう ゆいよ、今日は宜しくね♪」


 「こちらこそ、よろしく。じゃあまたな、神月こうづき


 三人で居たにも係わらず、鈴木すずきは認識していたにも係わらず、敢えてそらの事を無視する。


    クローキング……

    僕は誰にも見えないんだ……


 透明人間にでもなってしまったかのように全く意識されないまま ゆいが去っていく。


 「いいなぁ、新井あらいっち。替わって欲しかったなー。カミツキもそう思うだろ?」


 当然ながら、ボッチを極めたからといって透明化の能力を獲得できるはずもなく、鈴木すずきにはしっかりと認識されているようだ。

 初恋の人があんな風に変わってしまったという現実を突きつけた男は、認識できるはずなのに無視しているというもう一つの現実までもを突きつけ、傍らでニヤけているのだった。


 「そうだな……」


    あの時、お願いしますって言ってたらどうなってたんだろう……


 「いいよな、斎藤さいとうさん。セクシーだよなー」


 「あぁ」


    あの時、惹かれちゃいますって答えてたら……


 「そうだ、俺、佐藤さとうに苗字変わったんだったわ」


    どうでもいいよ、そんな事。


 「あと、静江しずえっちも居るぞ。今度紹介するよ」


 「いや、いいよ」


    これ以上僕に係わらないでくれ


 「何でだよ。お前ら噂になってただろう。あっ、紹介するまでもないってか?」


 北川きたがわ 静江しずえ鈴木すずきと同じクラスの女子で、今のそらの性格を決定づける一端となった人物だ。


 「もしかして、まだ付き合ってんのか?」


 「話したことも無いんだけど」


 「じゃあ、何で噂になってんだよ」


 「さあ」


    こっちが訊きたいぐらいだよ


 そらにとっては思い出したくもない事なのだが、中学に入学して早々、周囲がそらの事を『静江しずえちゃん』とか『しーちゃん』とか呼ぶようになった。当時は何の事かもわからないまま気にもしていなかったそらなのだが、同じ小学校出身の女子に『神月こうづきくんって静江しずえちゃんが好きなの?』などと問われ、実在する人物、しかもそれが隣のクラスだということを認識した途端、その名で呼ばれることが物凄く恥ずかしく思えるようになり、そういう呼び方をするクラスメイトと徐々に距離を取るようになっていき、気付いたらクラスの誰とも話さなくなっていたのだった。


    こいつが僕に掛けた最初の言葉も『静江しずえちゃん』だったな……

    どうでもいいけど。


 「じゃあ、教官来たみたいだから」


 「おう、今度飯でも行こうぜ」


    やだ


 そう思うそらだったが、鈴木すずき改め佐藤さとうは翌日以降もしつこく付き纏い、佐藤さとうの友達だという男女六人に混みれてポツンと一人食事をするという意味不明な事件に巻き込まれるそらなのであった。

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