01.02.ネオンの色

 「じゃあ、そこ右に曲がって」


 「は……はい」


 「そんなに緊張しなくても」


    緊張するなっていわれても……


 そらの路上教習はこれが二回目。昨日は初老の男性教官だったが緊張の所為で上手くいかず、散々怒鳴られた挙句に☓印を付けられた。つまりは、昨日の路上教習は失格で追加でもう1日受けないといけなくなったわけだ。男性教官でその様だったというのに今日は隣に美人が乗っているのだ、緊張するなというのが無理なのである。


 「ねえねえ、趣味は?」


 そんな緊張を和らげる為か、ゆいが趣味の話題を振る。

 しかし、そらには逆効果。担当がゆいだと知ってから何を話せば、などと悶々と無限ループしていたというのに何の用意も出来ていなかったのだ。尤も、用意していたとしてもまともに話せるかどうかは別問題なのだが。


    趣味……

    アニメ……とか、

    ゲーム……とか……

    プログラミングとか……


 思い浮かぶのは話が盛り上がりそうもない趣味ばかり。


 「女の子?」


    えっ、女の子?

    確かに二次元の女の子は好きだけど……

    そんなのいきなり訊きますか?


 「……」


    そういえば、さっき女の子みたいって言われた……

    女装? 僕に女装癖があるのかって訊いてるの?


 「女装の趣味は……ありませんけど」


 「そういう意味じゃないんだけどな」


    そういう意味じゃないって……

    まさか、風俗とかそっち系?

    確かに彼女いないし、そう見えてるんでしょうけど、

    話すのだって無理なのに初対面の人とそんな事……


 「彼女いるのかなーって」


    やっぱそうなんだ……


 「いませんけど……」


    だからって風俗には行ってませんから

    行ってないけど、面と向かってそんなの否定できないし……


 「そう、いないんだ」


 先程までとは打って変わった落ち着いた声。そんな声で答えたゆいは体ごととおるの方に向き直った。

 その変化に気付いたのか、そらも視線をゆいへと向ける。


 「こーら、運転中によそ見しないの!」


 「はいっ、済みません……」


 慌てて視線を前方へと戻すそら。だが、ゆいがドアに背を預け、体ごと自分の方を向いていることを認識してしまった。


    斎藤さいとうさんがこっち見てる……

    ちゃんと前見ててくれないと、まだ二回目なんだから……


 「ねえ、ほんとに彼女いないの? いそうに見えるけどなぁ」


 「いませんって」


 それは現在に限った事では無かった。小学校を卒業してからの7年間、彼女どころか女友達の一人もいたこともない。それどころか、こうして母親と妹以外の異性と会話するのも中1の1学期以来の事なのだ。


 「ふ〜ん。じゃあ、お姉さん立候補しちゃおうかな?」


 赤信号で停止したタイミングだった。思わずゆいを見てしまったそらには、艷やかな微笑みを浮かべているゆいの姿が映ったことだろう。その瞳はしっかりとそらを捕え、絡み合った視線を逸らすという行為を拒絶する。


 「……」


    立候補……

    えっ、何に?


 「年上じゃ興味ないかな?」


 「そんなことは……」


    年上っていっても26歳だし……

    彼女いない……

    立候補……

    年上じゃ興味ない……

    それって、僕の彼女に?

    こんな綺麗なお姉さんが僕の彼女に?

    ……何か言わなきゃ

    お願いします、でいいのかな……


 そらがそんな事を考えているうちにゆいは視線を外し、正面を向いてしまっていた。


 「青よ、次の信号左ね」


 「はい……」


 車を発信しようと慌ててシフトレバーに手を伸ばすそら。その指がゆいの膝に触れてしまう。


 「ごめんなさいっ!」


 ストッキング越しとはいえ女性の柔肌の感触はそらにとって刺激が強すぎたようだ。操作を誤りエンストを起こしてしまう。


    えっと、これはそういうごめんなさいじゃなくて……

    斎藤さいとうさんみたいな人が彼女のなってくれるなら……

    じゃなくて、足、触っちゃってごめんなさいってことで……

    ああああ、エンジン掛けなきゃ!


 軽くパニックである。


 「気にしなくていいから落ち着いて」


 「はいっ、本当にごめんなさい……」


    はぁ……、今日も駄目なのか……


 暗い気持ちで教習車を走らすそら。ちょうど歓楽街へと差し掛かったところだった。


 「地元だったわよね、ネオンの色に惹かれちゃう?」


 そう広くもない道路の両側には飲食店などが立ち並び、ネオンで装飾された看板が掲げられている。


 「地元ですが、賭け事は嫌いなので」


 だいぶ日も落ち、辺りも暗くなってきた中でひときわ目立つ存在、店全体がネオンで彩られ眩い光に包まれているパチンコ店だ。いくつかある選択肢の中からそらが選んだのはそんなパチンコ店だった。

 ここは高校時代にこの先のゲームセンターへと通った道だ。そこには惹かれないわけでもないし、そっちを選んでいれば多少会話も繋がったのかもしれない。


 「ふ〜ん。そこ右ね」


 実際、ゆいの反応もそっけない。

 微妙な空気のまま、指示された通りに細い路地へと入っていく教習車。仮免許を取ったばかりの人間にこんな所を運転させるのかという狭さである。


    狭っ……

    大丈夫かな……


 狭い路地を少し進むと、徐々に看板の数が減っていき、様相の異なる建物が姿を現す。


 「じゃあ、こっちのネオンは?」


    ここって……


 「……」


 そらにとってはパチンコ店よりも無縁な施設だが、ここがラブホ街であることぐらいはそらにもわかる。

 そもそも条例により風俗店の営業は禁止されている上、地元ということもありこの辺りにそういう類の施設が在ることは知っていたのだ。

 つまり、ゆいが “こっちのネオン” と言っているのはラブホということになる。


 「どうなの?」


 返事を催促するゆいそらの脳裏には残念な三人組の会話が蘇る。『当たったらそのままホテル直行なのによー』という言葉が。


    ホテル直行……

    ホテル直行……

    ホテル直行……


 心臓が高鳴り、緊張から両手の感覚が無くなっていく。『犯罪だろ、それ』……、落ち着きを取り戻そうと否定的な言葉も思い起こす。


    そうだ、犯罪だ

    無理矢理連れ込むなんて……

    でも、これって……誘われてるのかな……

    態々こんな所通って、

    こんなこと訊いてくるなんて……

    誘われてるんだったら……


 「神月こうづきくん?」


    でもこの車には教習所の名前がでかでかと書かれてるんだ

    誰かに見られたら変な噂が立って……

    勤務中にそんなことしてた斎藤さいとうさんは懲戒処分になるかも……

    そんあリスクを犯すんだろうか、斎藤さいとうさん……


 「ねえ、聞こえてる?」


    ……誘わないか

    僕のことからかってるだけなんだ……


 そんな風に思った瞬間、そらの心臓は落ち着きを取り戻し、同時に気持ちも沈んでいってしまうのだった。


    そうだよ、こんな綺麗な人が僕なんかを誘うわけない……

    僕なんて誘わなくても他にいくらだって……

    最初からわかってたことなのに、

    何期待してたんだろ……


 結局、そらは何も返す事が出来なかった。

 ゆいの方もやり過ぎたと思ったのか、それともそらが答えない事を不快に思ったのか、これ以上質問することもなくなった。

 そして車内は気まずい雰囲気で満たされ、美人教官からは淡々をコースの指示が告げられるだけとなった。


 「はい、お疲れ様」


 「ありがとうございました」


 そこには『斎藤さいとう ゆい、26歳よ。宜しくね』と可愛く言い放ったお姉さんの姿はなく、淡々と事務作業をこなす教官だけが居た。

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