第2話 2126年 1月16日 10:52 状態:生存
生き残るためのマニュアル
地表では基本的に支給したガスマスクを着けて行動してください。
高放射能下ではガスマスクを閉鎖し、携帯酸素ボンベで呼吸してください。
地表からシェルターに帰還する際は必ず汚染除去シャワーを通過してください。
◇
二重のエアロックを抜け、地表へと続く長い梯子を上る。梯子の通る竪穴はマンホールに偽装されているだけあってかなり狭い。丸腰で通るには問題ないかもしれないが、今の俺は全身を厳重に守った上で登っているのだ。バックパックが擦れて登りにくいことこの上ない。
下水管を通るドブネズミの様な気分になりながらも何とかマンホールの蓋まで辿り着き、重い蓋をずらして地表へと這い出た。
百年ぶりに見た地表の光景は、俺の想像を遥かに超えていた。
ひしめき合っていた高層ビルは軒並み崩壊し瓦礫の山を形成するか、骨格たる鉄筋を露出し、アスファルトで舗装された地面は至る所に深い亀裂が走っている。道路は焼け、タイヤが溶けた車の列で大渋滞を起こしていた。
この車列は、きっと我先にと核の炎から逃れようとした人々の痕跡だ。核シェルターに入る事が出来たのは上位数パーセントの超富裕層と幸運な市民だけだった。当選できなかった人々は当然、不平等を政府に叫んだが、自分たちの発言が何ら世間に影響を与えない事を思い知り、生存の道を模索し始めたのだ。
目に付いた車の一つをのぞき込んだ。ハンドルに力無く身体を預けた白骨死体に、助手席で安らかに眠っている一回り小さい白骨死体が見える……親子だったのかもしれない。
静かだ。余りにも静かすぎる。先程から聞こえるのは風の音ばかりで、鳥の囀り一つ聞こえやしない。
これ以上ここに居たくなかった。車の合間を縫うようにして通り抜け、少しでも人の痕跡が残っていそうな場所へ行くことにした。が、まだ遠出は危険だ。ポケットから地図を取り出し、近くのホームセンターに狙いを定めた。
百年前の地図が何処まで通用するか疑わしかったが、その疑いは正しかった。多くの道が崩壊したビルの瓦礫で埋まっていたし、ある道はクレーターと化していて、底に溜まった水から放たれた放射線がデバイスのガイガーカウンターの針を忙しく動かしていた。
クレーターを迂回し、瓦礫の山を乗り越えてホームセンターの前に辿り着いた。白骨化した遺体が散らばる駐車場から極力目を背けながら入り口に立ち、中を窺った。店内に吹き飛んだガラスの破片とドミノ倒しのようになった棚が見える。素晴らしく開放的な窓から日光が届く範囲は明るかったが、店の奥は完全な暗闇だった。
AK12の右サイドレイルに取り付けたフラッシュライトを点灯し、静かに店内に踏み込んだ。コンバットブーツがガラスの破片をすり潰す音が店内に消えて行った。店内には風の音すら届かない。今聞こえるのは俺の心音とガスマスク越しの呼吸音だけだ。
駐車場とは打って変わって死体一つ見つからない。ガサリ、と足元で音がした。目線を向けると、新聞を踏んでいた。拾い上げて辛うじて読める見出しを読む。『強毒性インフルエンザ大流行。WHOがワクチン開発に着手』とあった。古いニュースだ。どうやら世界は百年前から止まっているらしい――俺を残して。
八千ルーメンの光が闇を円形に切り取る。心音が嫌に激しくなってきた。完全な暗闇がこんなにも恐ろしいとは思いもしなかった。
店の奥のペットフードを陳列している棚まで来たが、棚にはドックフード缶一つ残っていなかった。注意深く進んで行くと、一体の白骨死体を見つけた。傍らには民間向けバックパックが落ちていて、開いた口からは袋入りドッグフードが姿を覗かせていた。
それから隅々まで店を探索したが、あの白骨死体以外に人の痕跡は見つけることが出来なかった。俺は落ちていたバックパックを拾い、今日の地表活動を終えた。
◇
今日から日記を付けることにした。この日記には日々の発見や思ったことを書くつもりだ。
今日初めて外へ出たが、外の様子は想像を絶する物だった。だが、俺は諦めない。
生物とはしぶとく生き残るのだ。海洋無脊椎動物の九十%以上が絶滅したP-T境界ですら一部は生き残ったんだ。大丈夫……大丈夫さ。
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