メロスになれなかった男

木林 森

第1話 走る

「ひどいもんだ」


 この遺体を見れば、誰もが同じ事を口にするだろう。被害者は私立中学校に勤務している英語教諭。41歳独身。3年2組の担任で、進路指導や野球部の顧問を担当。ついさっき、この学校の校長から仕入れた情報だ。


 遺体の発見現場は同校グラウンドで、第一発見者は朝練に来ていた3名の野球部員。部室でユニフォームに着替え走り込みを開始した直後、グラウンド中央辺りで誰かが倒れているのを発見。周りは血の海だから、よほど怖かったのだろう。1人は全速力で逃げ出し、1人はその場で腰を抜かす。もう1人は無表情で立ち続けていたそうだ。死体を見続けてね。


 次にグラウンドにやってきた部員が、パニックになりながらもこの学校の警備員を呼び、ようやく警察に通報が入る。午前6時54分の通報だから、最初の部員が遺体を発見したのはそれより5分前といったところか。


 それにしても野球部って、こんな朝早くから練習するものなのか? 顧問も付き合わなきゃいけないんだろ? 俺だったら何が何でも顧問は拒否だね。


 通報から約7分で警察が到着。午前7時ごろだ。まぁ、捜査第一課(殺人を扱う部署)の俺が到着したのはさらに1時間後だがな。事件性が高いという事で、すぐに学校側へ休校するように要請。個人的に「事件性が高い」という表現は嫌いだ。どう見ても殺人事件だが、ストレート過ぎる言葉は避けるよう上から強く言われている。周囲への配慮とやらでね。


 県内でも有数の進学校として名高いこの私立校。1週間後に迫った体育祭のため、今日は全校生徒が一日中グラウンドでリハーサルをする予定だった。


 まぁ、人一人死んだ場所でリハーサルなんざ、普通の人間にゃ無理だ。もし出来るやつがいたとしたら、それはまともな精神の持ち主じゃない。すなわち、そいつが犯人の最有力候補となる。


「それにしてもひどい」


 改めて遺体を見ても、同じセリフしか出てこない。おそらく鈍器で殴られまくったであろう顔面はグチャグチャ。全身の腫れもひどい。新人刑事が見れば確実にゲロ吐いちゃう事間違いなし。俺の担当した事件を検索しても、これほど遺体の損傷が激しいのは初めてだ。よほど誰かの恨みを買っていたというのは想像に難くない。


 今一度ホトケに合掌した俺は、さっそく仕事に取りかかる。

 

「昨日の午後6時ぐらい、部活指導のあと帰宅したようだ」

「特に変わった様子はなかった」

「誰かとトラブルのようなものはなかった」


 同僚への聞き込みは、解決への糸口を全く与えてくれない。


「生徒の将来を考えた熱心で愛情のある誠実な指導で……」


 校長にいたっては、おそらく学校案内に書かれているであろう気持ち悪い定型文しか出てこない。とりあえず証言から見える基礎的な事実部分はしっかり抑えておこう。


 被害者は野球部の顧問として、朝練がある日は午前7時に登校する。部員も7時に合わせてくるらしいが、早いヤツは6時半にやってきて走り込みをしている。偉いね~。


 ちょうど今、現場に同行した鑑識から電話がかかってきた。「死後硬直の具合から、おそらく昨夜の時点で殺されている可能性が高い」とのこと。詳しい鑑定はこれからという事で、遺体を運び出したそうだ。


 昨夜殺された……。昨日は午後6時に帰宅しているのに、また学校へやってきたのか?


 第1第2発見者となる5名の野球部員達を校舎1階にある教室に呼び出し、そこで聴き込みを開始した。他の生徒が休みなところ申し訳ないが、こちらも全く見えない犯人の手がかりが少しでも欲しいのでね。


 本来は1人ずつ話を聴くのが基本だ。しかし俺は「周りに仲間がいる状況で、どれだけ話してくれるのか」も知りたかった。これがプラスに働くこともあれば、マイナスに働く事もある。マイナスを感じたら、個別で聴く事にしよう。


 まずは最初の質問。


「どんな顧問だった?」


 最初は「ちゃんと部活を見てた」「指導は厳しいけど、いい顧問だ」など、どうでもいい事ばかり。どうやらこの学校の生徒はいい子ちゃん達ばかりらしい。自分の事より、相手が不利益にならないようバイアスがかかっているようだ。


 だが、俺は見逃さない。部員の1人が、けしてこちらに目線を合わさない事を。非常にわかりやすいサインだ。


「今、言っておかないと君達だけでなく、死ん……亡くなった顧問も後悔するぞ」


 言ったあとで「死んだ人間が後悔するのか?」と思ったが、俺はその子に視線を突き刺した。すると下を向いていたそいつは体を大きく震わせたかと思うと大粒の涙をこぼし、おそらく最大限の勇気を振り言葉を発した。


「殴られた」


 そこからは芋づる式だった。他の部員も堰を切ったように語り出す。


「実は……」


 止めどないネガティブな証言が出るわ出るわ。簡潔に言えばこうだ。気に入らない部員には徹底的に言葉の暴力、そして拳の暴力もあった。日常的な暴力だけじゃない。部員の体をベタベタ触ったり、性的な誘いを迫ってきた事もあるという。


 同性かつ未成年、しかも教師が生徒に? と思うかもしれないが、学校という閉鎖的な空間ではけっこう起こりうる事だ。こういう仕事をしていると、性犯罪に関する情報も多く入ってくるからな。


 「教師から生徒へのセクハラ」なんて言われるが、俺に言わせればセクハラを通り越して性犯罪。時々報道されるこの手の騒動は氷山の一角と言ってよい。どの学校のどの生徒も、教師から性的暴力を受ける可能性はある。


 被害側の生徒が声を上げづらいという点が、この問題の根っこを深くに追いやっている。犯罪まがいの事をされても「助けて」の一言が言えず、苦しむ思春期の子ども達。やっかいな事に加害者は、そういう生徒を目ざとく見つけ出して狙ってくる。


 部員達から新たな証言が出るたび、顧問のクズっぷりに腹がたってきた。同僚の先生や校長の話だと、絵に描いたような教師像―熱血で生徒からも慕われている超いい先生―だった事がさらに腹立たしい。


 「こいつは死んでしかるべきという」という本心は表には出さず、俺は考える。


 殺したのは恨みを持った生徒だろうか?


 被害者は顔面を何度も何度も殴られている。非力な生徒が例え数名で犯行に及んだとしても、そんな事が可能だろうか? ましてや、こんないい子ちゃん達に。 


 とにかく顧問のクズっぷりはわかった。こういう時は、ベクトルを反対にした質問が有効になる時がある。


「逆に、君らにとってよくしてくれる先生はいるかな?」


 部員達はお互い目を合わせ、首をかしげた。おいおい、この学校はクズ教師しかいないのか?


「先生じゃないけど……」


 どの生徒も「いい人」と評価する人物が1人だけいた。警察に通報した警備員だ。「優しい」「自分達の事を真剣に考えてくれる」「誠実」など、さっき校長がクズ教師を評したような言葉が出てきた。校長と生徒、どちらの言葉を信じるかと言われたら迷う余地は無い。


 その警備員は現在、2階の教室で俺の後輩が聴き取りをしているはずだ。部員達にはもう少しここに留まるよう指示し、後輩に電話をかけた。警備員から何か有効な情報が得られているといいが……。


「トイレに行ったきり、戻ってこない?」


 15分も? なのにお前は、ただ座って待っているだと?


「バカヤロウ!」


 死体と遭遇した人間の心的ストレスがどれほど重いものか、俺たちのような人間は何人も直接見てきたはずだ。少しでもおかしな行動に気づいたら、すぐに対応するのが基本中の基本だろ!


 15分。胸騒ぎを助長するには絶妙な数字だ。凄く嫌な予感がする。そして俺の場合、嫌な予感ほど高確率で的中する。後輩にすぐ警備員を探すよう指示し、部員達に質問する。


「最上階にあるトイレはどこだ?」


 場所を聞くと、俺は今いた教室を飛び出した。後輩は2階のトイレに向かっているはず。もしもの話だが、警備員が「見つかりたくない」と思って姿を消したのなら? 外に出るか最上階に行くかの2択のはずだ。


 校舎外へ出ていたら手遅れと思いつつ、俺は最上階へ向けて走り出した。


「ハァ、ハァ……」


 エレベーターのない校舎は、みじめになる程己の老いを感じさせる。階段を駆け上がりながら、激怒した男が全力で走る物語を思い出した。結末は確か、殺されかけた友人を助けて大団円だったはずだ。


 最上階のトイレに到着した俺は、1番奥の個室が閉まっているのを見つけた。休校中の校舎、最上階のトイレ、扉の閉まった個室……。見えない何かが、俺の心臓をわしづかみにする。


 ――。


 首をつった状態で発見された警備員は心肺停止の状態で救急搬送され、そのまま死亡が確認された。発見現場には遺書も残されており、日常的に生徒を苦しめていた野球部顧問を殺した事が書かれていた。


 あと5分早ければ……。


 後に「容疑者を自殺においやった」として警察は猛烈なバッシングを受ける事になる。俺にとって、そんな事はどうでもいい。生徒に慕われていた人間の命を救えなかった事の方が……。


 誰よりも全力で走った結果、突きつけられた残酷な現実。俺は……メロスになれなかった。

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