第六章 チョメ子さんx告白(コク)る!

第25話 絶望の結果発表

 僕は迷走していた。迷走している自覚があった。だけど分かっていながら辞める事が出来ない。クリスマス舞台が終わって一週間、僕は兄妹恋愛物の漫画や小説を漁っていた。


 青年向け、少女マンガに小説、映画に必死に目を通す。だけど結局どうすればいいのか全く分からなくて最後には頭を抱える。どんなお話も最後にはハッピーエンドっぽくなるけど実の兄妹が結ばれる事はない。何処か嫌な後味が残る物語がとても多かったからだ。

 そうこうしている内に今日はもう一月一日、元旦――運命の日はもう明日だった。



 年末の深夜〇時を過ぎた頃、喉が乾いて階段を降りると照明が点いているのが見える。消し忘れたのかと思ってリビングに行くとそこには父さんと母さんの姿があった。


「……あ……おかえり……」

「おーミユ、ただいまー。ってか明けオメー」

「……あ、もう年明けたんだ……うん、明けましておめでとう……」


 ソファーでぐったりしながら顔だけを向ける父さんに返事すると僕は冷蔵庫から紅茶のボトルを取り出した。だけどその途中いきなり後ろから軽く蹴られて振り返る。そこには不機嫌な顔の母さんが立っていた。本気じゃないから痛くはないけど思わず愚痴を漏らす。

「……もう、何……母さん、いきなり蹴らないでよ……」


 だけどコップに紅茶を注いで口を付けると母さんは僕を睨んだ。

「ミユ、あんた……まだモモちゃん、押し倒して無いんだってね!?」

「――ぶふっ!?」


 吹き出しそうになって慌てて口を抑える。咳き込んだ僕に母さんは憤る声で続ける。

「お前男でしょうが。私もサクラもいいってんだから手ェ出せよ、このチキンが!!」

「……む、無茶苦茶言わないでよ……」

 そう言ってコップを置いた時丁度やってきた父さんがペットボトルを手に取ってそのまま口をつける。中身を全て飲み干すと母さんに向かって苦笑した。


「まあ玲子ちゃんも無茶言ってやんなよ? 幾らモモちゃんを娘にしたいからってミユにだってほら……色々都合もあんだろ? まだ学生だし、背負わせるのは可哀想だろ?」

「だって蓮司くんだって知ってるでしょ? こいつがモモちゃんを妹扱いした所為であの子、二年も会うの我慢したのよ? 折角最後だったのに、何とかしてあげたいじゃん?」

「あー……まあなぁ……確かにきっついわなぁ……」

「息子が鈍感男でモモちゃん泣かすのが許せない。顔が私に似てるだけ余計ね!」

 もう好き放題言われて何とも言えない。両手で顔を覆ってしまう。特に『鈍感男』の下りはかなり気にし始めていただけにグサグサと胸に刺さってきてキツくて仕方がない。


「……その、反省……してます……」

「私に反省してどうすンのよ! つーかお前サクラに『何処に突っ込むか』って聞いたんだってね!? 相手の母親に聞くとか馬鹿なの!? てかモモちゃん剥いて調べろよ!!」

「ち、違うよ!? それ、小母さんが勝手に勘違いしただけで……」

「はぁ? お前もういっそ、ついてるモン取れば? 息子じゃなくて娘になる? そんなんだから、ちょっと絵でボロクソ言われただけで立ち直れなくなんのよ!!」

「…………ッ!」


 母さんの言葉が抉る様に僕の奥にあった古傷に突き刺さった。俯いたまま声も出せない。

 やっぱり僕は居ない方がいい――そんな風に考え始めた時父さんの真剣な声が聞こえた。


「――玲子、そん位にしとけ」

「え――あ、ごめん……私……」


 父さんの少し怒った声に母さんが黙り込む。それでも僕は顔を上げられない。

 泣きたい気持ちなのに涙すら出てこなかった。そんな僕の頭に父さんは手を載せる。

「……ま、そりゃ俺らもな。ちゃんと教えてやってねえし、俺らが親だった所為でミユも辛い思いしたんだしよ。知らねェ事で責めンのは、流石に可哀想過ぎンだろ……?」

「……うん……ごめんね、幹雪。母さんもちょっと、言い過ぎたわ……」


 母さんが沈んだ声で呟く。だけどやっぱり心が麻痺したみたいに動いてくれない。

 桃香をまた泣かせたのは事実だ。だけど父さんの一言が頭にこびり付いて離れない。

「まあ、玲子ちゃんガチでモモちゃん大好きだしな! 隣の家の子、好き過ぎだろ?」

「えー、だってモモちゃんマジ可愛いんだもん! あの子ミユの為に最後に……っとと」

 父さんと母さんはいつもみたいにすぐ仲良くじゃれ合っている。そんな中で僕は父さんに向かって小さい声で尋ねた。


「……あの、父さん……僕に、教えてくれなかった事って……何?」

「ん? ああ、さっき言った事か?」

「……うん」


 すると父さんは口元に手を当てて何やら考え始めた。絵を描いている時みたいに真剣な横顔を僕は黙って眺める。やがてチラと視線を向けると父さんは真面目な顔で話し始めた。


「例えば……俺とミユは違うだろ? ま、親子つったって別の人間だしな?」

「……うん」

「当然、絵を描いても俺とお前じゃ違う。俺は……そうだな、この辺りにフワッと浮かんでる奴をこう、ギュッと掴んでガッとキャンバスに載せる感じなんだよ」

「……え? えっと……何、それ……?」


 そう言いながら父さんは頭の斜め上辺りの空間をまるで手で撫でる様に動かす。だけど当然僕には訳が分からない。首を傾げていると更に父さんは続ける。

「んー分かんないよなあ? でも俺にすりゃあ、お前の描き方が分かんないんだよ」

「そんな事言っても……どう描いたら喜んでくれるかな、って……」

「まあ誰とまでは聞かねえよ。要するに俺とお前の描き方は違う。俺は俺が思った通りに描いてるだけだ。でもミユは誰かの為に描いてたんだろ? それ自体はちっとも間違ってねェよ。だけどな。お前の世界で俺が通用しない様に、俺の世界じゃお前は通用しない」

「……え? それって……どういう事……?」

「うーん……モモちゃんは俺に近いんだけど、でも考えはミユ寄りなんだよなあ……」


 僕が尋ねると父さんは手を目元に当てて考え込んでしまった。本気でどう言えばいいのか分からないみたいでウンウン唸っている。そしてそんな処に母さんが割り込んでくる。

「そう言えばあの子、モモちゃんって才能あると思うわ。昔、ミユと一緒に描いてた幼稚園の絵、あったじゃない? あれ見た時は驚いたわ。普通、子供に描かせたら横から見た絵を描くのに真上から見下ろした絵を描いてたのよね。モモちゃんは感性が特別だわ」

「……あー、ンな事あったなぁ。ありゃ俺もビックリしたけど、ああいうのはミユと一緒に描いてる時だけなんだよなぁ。二人一緒だとすげえ面白ェんだけど……なあ、ミユ?」


 母さんと話している最中、父さんがいきなり僕を呼んだ。僕はこれまでにこんな感想を二人が言っているのを聞いた事が無くて、ぼんやりして反応が遅れてしまう。

「――え、えっと……何? どうしたの?」

「お前、正直なとこモモちゃんの事、どう思ってんだ?」

「え……えと、それは……」

「ああ、別に好きとかじゃなくてよ? 一緒にいたいとか、離れたくないとか? まぁ親の都合でチビん時に会わせたから『妹』なんだろうけどよ? でもこのままじゃモモちゃん、イツキさんとサクラちゃんと一緒に引っ越して、多分もう一生会えなくなんぞ?」

「……え……」

「だってイツキさんの転勤先、海外だしな。あっちはフルダイブが基本だし学校とかでも授業に使うらしいからネットでも会えねぇし。玲子ちゃんは会いに行くだろうけど――」


 だけどもう……その後の父さんの言葉はそれ以上頭に入って来なかった。

 もう一生会えない――その一言が頭の中で響く。彼女が引っ越すとしても又会えるかも知れない――僕はそう思っていた。だからそんな最悪の展開、考えていなかったのだ。


 黙り込んでしまった僕を見て父さんは母さんと顔を見合わせる。

「――ミユ? 三日、パーティに招待されてんだけどお前も来るか? 泊まりだから明日の昼には出るけど、何ならモモちゃん誘ってもいいぞ? どうする、男を見せるか?」


 だけど頭の中が真っ白で何も考えられない。咄嗟に返事が出てこない。

 それに明日はコンテストの結果発表がある。桃香と最後の約束――それだけは絶対に、死んでも守らなきゃいけない。だって……僕は、桃香と約束……したんだから。


「……いい……明日は、大事な約束……あるから……」

 それだけ言うとフラフラと自分の部屋へと向かう。

 父さんと母さんは僕の背中にため息を付くとそれ以上は何も言っては来なかった。



 翌日――目が醒めるともう両親は家にはいなかった。確か昼には出ると言っていた筈だ。

 気怠い身体を起こすと同時にインターホンが鳴る。仕方なく階段を降りて玄関の扉を開くとそこには桃香が立っていて――僕はぼんやりとしたまま声が出せなかった。


「――来たよ。ミユ兄ちゃんとの、最後の約束……だから……」

 最後の約束――それは中学の頃、コンクールで散々罵倒された言葉より深く突き刺さる。

 泣きたい気持ちなのに涙も出てこない。言葉も出て来ない。何もない、ただの空虚だ。


「……酷い顔。ミユ兄ちゃん、最後くらい笑っててよ?」

 苦笑する桃香に僕は上手く笑えなかった。無言のまま僕と桃香は階段を上がる。二人一緒に過ごしてきた部屋で僕達はいつもの様に座るとグラスとグローブを身に着けた。



 ログインするとプライベートカフェのロビーが目の前に広がって大勢の人達が待ち構えるのが見えた。だけど近付いて来ようとはしない。優しい顔で僕とモカを見守っている。

 だけど……歩きたくない。このまま会場に行けば時間が来てしまう。父さんの言った言葉が、『もう一生会えない』と言う一言が重くのしかかって上手くコントロール出来ない。


「……ほら、チョメ子……行こ?」

 そう言ってモカが僕――チョメ子の手を取ると引きずられる様に歩き始めた。

 人波の間を抜けて歩く時、誰かが話す声だけが聞こえてくる。


(……チョメ子ちゃん、体調悪いのかな? 顔色真っ白……)

(……バカね、VRじゃ体調関係ないって。だけど怖い位綺麗ね……)


 そうしてゆっくりと表通りを歩きながら僕達は広場までやってきた。

 発表会場はあのユニットブース。凄い観客で溢れかえっている。その中をモカに連れられながら僕はトボトボと続いて歩く。やがて待機ブースまで……遂にやって来てしまった。

 時間がギリギリだったみたいでクシナダやモリグナの三人の姿が見える。入って真っ先にクシナダは近付いてくると僕達に向かって笑顔を見せた。


「……チョメ子さん、モカさん、お久しぶりで――」

 だけど僕の顔を見た途端彼女は驚いた顔で黙り込んでしまう。そんな彼女と僕の顔を見比べるとモカは苦笑した。そのまま挨拶する声が聞こえて来る。

「――クシナダさん、この前はごめんね? なんだか変なメッセージ送っちゃって……」

「――いえ……ですが、何事ですか? チョメ子さん、どうされたんです?」

「……ああ、うん……まあ、ちょっとあって……」

「ちょっと、って――すいません、少しチョメ子さんをお借りしても?」

 顔色を変えたクシナダがそう言うとモカは少しだけ考えて、

「……うん、んじゃ私ちょっと挨拶してくるから……」

 そう言ってモカはモリグナの三人の方へ行ってしまった。クシナダはその後ろ姿を見送ると心配そうな問い詰める目になって僕に尋ねてくる。


「……どう言う事ですか、チョメ子さん。何とかなったのでは?」

「……ダメだった……」

 顔をあげてボソリと答えるとクシナダの顔が僅かに強張る。

「ダメだった、って……モカさん、いらしているじゃありませんか?」

「今だけ……でももう、会えなくなる、から……」

 そう口にした途端やりきれない気持ちが溢れてきた。自然と愚痴が漏れ出してしまう。


「……僕らは結局子供で、大人の都合に合わせるしか無いんだよ。どんなに頑張っても絶対、最後には大人が決めた事に従うしかないんだ。僕達はどうしようも無く子供で……例えVRワールドだとしても、それは変わらない――変わらないんだ、クシナダさん……」

 そう言いながら僕はモカとモリグナの三人に視線を向けた。


 確かモリグナの三人も言っていた。成功しなければ親に従うしかないから頑張りたいと。

 だから必死に大人に抗っている。だけど最後には結局大人の言う通りするしかない。

 モカ――桃香だって必死に抗おうとしたけれど結局ダメだった。僕がもっと上手くやれていれば多少は変わったかも知れない。だけど最後には結局引っ越しで全部ご破産だ。


 僕も中学の頃大人に認められなかった。大人が認めない世界は存在する事も許されない。

 何もかもが大人に決められて最後には必ず頑張った事も無かった事にされてしまう。

 だけどそう言って項垂れた僕に向かってクシナダは固い声ではっきりと断言した。


「……頑張れば必ず報われる? その様な場所、何処にもありませんよ。それに……大人が決めた通り? 何を当たり前の事を……世の中とは大人が作っているのですから、それを覆すなら超えるしか無いのです。貴女が今大人ならば、大人を超えられるのですか?」

「……え……僕が今、大人なら……?」

「それに貴女は本当に『やるべき事をやった』のですか? やっても居ないのに頑張っただなんて誰でも言えます。結果を出した者は『頑張った』とは言いません。そう言う者は必ず『やる事をやった』と言うのです。貴女には失望しました。絶対に……負けません」


 そう言うとクシナダは踵を返して行ってしまった。僕は彼女が『鳳龍院』の名を背負っている事を忘れていた。彼女を羨む人も多いけど実際は重荷を背負わされている一人だ。

 それは例えば僕も同じで絵に関しては必ず親を通してしか見て貰えない。彼女はきっと僕以上に常に自分の力が及ばない事を意識しているのだろう。


――僕は本当に……最低だ……。


 もう立ち直れない位に僕がへこんでいる中で舞台は幕を開けた。

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