第五章 チョメ子さんx絶望(ガクブ)る!

第22話 ライバルの助言

 二十四日。土曜日の午前九時、約束の時間になっても桃香はうちには来なかった。


 あれから僕は一睡も出来なかった。何度メッセージを送っても返事が来ない。スマホに電話しても出ない。もう手の打ちようが無かった。


 あの時どう言えば良かったのか、何と言うべきだったのか――それをずっと考えている。

 だけど答えは出て来ない。大切な女の子で大事な妹……それは紛れもない本心だ。


 モリグナのモリアンからは朝の内にメッセージが届いていた。運営は今朝になって返事をしてくれた様で二十五日に舞台をやれば問題は無いそうだ。

 だけど返事を出せるだけの余裕が僕には無かった。


 昔中学の頃、コンクールで僕は審査員の大人達に散々叩かれて立ち直れなくなった。

 桃香はずっと僕の部屋に来て励ましてくれた。だけどあの時僕は本当に余裕が無くて自暴自棄だったから酷い事を言ってしまった。それから彼女はうちに来なくなった。

 そして僕は高校生になった。趣味も何も無い抜け殻みたいなままで高校二年になった。


 今、僕は桃香と再会する前と同じで一人きりでアバター『X子』を調整し続けている。

 今日の舞台を考えると寝て練習した方がいいのは分かってる。だけど何も考えられない。

 今寝てしまうと本当にもう全部が終わってしまう気がする。だから一心不乱にアバターを弄り続ける。そうして昼も摂らず作業をしていると不意に画面の隅でチカチカとメッセージ着信アイコンが点滅している事に気付いて、僕は手を止めた。



 メッセージで指定された場所に行くと長い髪の少女アバター――クシナダが待っていた。

 彼女は僕を見つけるとホッとした顔に変わる。髪の毛さえ普通なら現実そのものだ。

「――こんにちは、チョメ子さん。お呼び立てして申し訳ありません」

「……こんにちは。それで……これ、どういう事ですか?」


 僕は銀色に光るカードを取り出した。メッセージに添付されていたのはサブルームチケット。マイルームを一つ余分に作れるレアアイテムだ。これは課金でも入手出来ない本当のレアアイテムで僕も今まで噂でしか聞いた事がない。クシナダは突き出された僕の手を見るとゆっくりと首を横に振った。


「それはもう差し上げた物です。それより参りましょうか、チョメ子さ――」

 けれどそう言い掛けて彼女は突然黙り込んだ。じっと穴が空きそうな位チョメ子の顔を凝視しながら不思議そうに首を傾げている。


「……なんです? 何処か変ですか?」

「あの……失礼ですがチョメ子さん、外見を変更されましたか?」

「いえ? 毎回修正や調整は多少してますけど……」

「何だか幼く……いえ、気の所為かも知れません。では参りましょうか」

 クシナダは背を向けて歩き出す。訝しみながら僕はその後に続いた。


 クシナダに連れて行かれたのは何も無い路地裏だった。誰も居ない閑散とした場所だ。

「――ここです。チョメ子さんもよく憶えておいてくださいね?」

「え? クシナダさん、一体何を……」


 その瞬間彼女の指先が宙を切った。突然見覚えのあるインターフェースが表示される。

 それはプライベートカフェの入室確認ウインドウだ。その先を見ると壁に小さなパネルが見える。それは最小規模のプライベートカフェ、エントランスの操作パネルだった。


「いいですか? 個人ブースの入り口は番号で決まっています。ブース内から出る時に番号を指定すればシークレットエントランスが利用出来ます。憶えておいてくださいね」

「え……シークレット、って……」

「さあ参りましょうか。すぐに入って来てくださいね?」

 そんな言葉の直後。彼女の姿が消えて僕は慌てて入室パネルをタップした。


 入った部屋は恐ろしく殺風景な処だ。アバター・エディターみたいに殆ど何も設置されていない。壁一面に配置されたミラー・オブジェクトと照明ツール以外に何も無い。

「……まるで、ダンスか何かのスタジオみたいだ……」

 呆然と呟くと背後からクシナダの声が返ってくる。

「ここは動作チェックで使っています。普段はこことビルダーを往復するだけで他の方がいらっしゃるエリアには私は参りませんから。今はコンテストの為に出る程度です」

「え……そうなんですか?」


 驚いて振り返るとすぐ目の前にクシナダが立って微笑んでいる。

「ええ、大きな音が出る物もここで済みます。私は『クシナダ』以外にアバターを持っていません。中等部に進学した頃に機材を頂いて、やっとここまで完成したのですよ?」

 彼女は自分の胸元を押さえてそう言った。確か彼女は今高校二年生で僕と同じ学年だった筈だ……と言う事は、まさか――


「――え、五年!? クシナダは五年も掛けて作ったんですか!?」


 驚いて思わず大きな声をあげてしまった。だけど彼女は恥ずかしそうに頷く。

「……はい、お恥ずかしいです。とても時間が掛かってしまいました……」

 まさかそんなに時間を掛けたアバターだと思っていなかった。五年も掛けたと言う事はコンテスト用ではなく僕と同じで彼女、鳳龍院サクヤも純粋に作っていただけに違いない。

「それじゃ、クシナダ……サクヤさんも一人で……」


 そう言い掛けて言葉に詰まる。

 そう――たった一人きりで。鳳龍院サクヤは一人ぼっちでここまで作ったのだ。


 だけど……僕は桃香と一緒に創る事を知ってしまった。その楽しさを知ってしまった。

 同じ様に一人きりで調整していた頃がもう思い出せない。どうしてそれが楽しかったのかも分からない。僕はこの先、一人では何も完成させられないのかも知れない。

 それでも僕は頭を振ってもう考えるのを辞めた。早く話を終わらせてしまおう。


「……いえ、それで……クシナダさんの用事は? それにチケットもお返しします」

「チョメ子さん、それは貴女だけの為ではありません。貴女とモカさん、お二人で使ってください。以前ご迷惑をお掛けしたお詫びです。ですから返して頂く必要はありません」

「え、僕と……モカの?」

「はい。チョメ子さん、ここまでのやり方は憶えられましたか?」

「えっと、ここまでって……ああ、シークレットとか言う小さなカフェブースですか?」

「これからお二人に必要になります。ここからセーフハウスを作れば人目を避けて接続出来るでしょう? シークレットブースはそのチケットでないと作れませんから」

 それを聞いて僕はストレージから出していた銀色のカードをじっと眺めた。


 プライベートカフェは自宅の玄関として機能する。これで秘密の玄関を作れと言う事だ。

 だけどもう桃香と一緒に何かをする事は無いかも知れない。そうなればこんな物あっても使い道も無い。僕だってVRワールドに入る事自体殆ど無くなるだろう。


「……いえ、これ……やっぱりお返しします。こんな物、受け取れませんよ」

 だけどクシナダはにこやかに首を横に振った。

「いいえ、もう差し上げました。今回のコンテストで貴女方は入賞されるでしょう。そうなれば同じ物が一つ配布されます。二人がそれぞれ持っていた方が便利な筈ですよ」


 そう言うと彼女は手を後ろに組んで首を僅かに傾けた。それは『返そうとしても絶対に受け取りません』と言う意志表示の様だ。それで仕方なく僕はカードをストレージに戻す。

「……分かりました。お預かりします。それじゃ……」

 そしてログアウトしようと部屋を出ようとした処で再び声を掛けられた。


「――まだお話は終わっていません。本当のお話はここからですよ?」

「え……クシナダさん、チケットの為に呼んだんじゃ?」

「それは前回のお詫びで、今回お呼び立てしたのはそんな瑣末事の為ではありません」

「さ、瑣末事って……それじゃあ一体、何の為に……」


 だけど僕はそれ以上尋ねられなかった。

 クシナダが僕を睨んでいる。表情が消えて機械人形の様にじっと。まるで値踏みするかの様に冷たい氷の視線で。今までみた彼女とは違って殺気みたいな気配を漂わせている。

 そして黙り込む僕に彼女は静かに問い掛けた。


「――チョメ子さん。私のパートナーとして共にアバターデザインをしますか?」

「……え……そんな、突然何を……」

「今のパートナー、モカさんを切り捨てる覚悟がお有りですか?」

「…………」

「そもそも『物を創る』のに不要な物は全てノイズです。私達デザイナーはそれを徹底的に排除します。クリエイティブな行動に不要な物を削ぎ落とす覚悟は必要ですよ?」


 透明感のある声がまるで氷の刃みたいに胸に突き刺さる。彼女の言葉はプロと言われる人達がよく言う言葉だ。理解は出来る。だけどその言い方はまるで『桃香が不要なノイズだ』と言っている様に聞こえた。その瞬間僕の中で煮え滾るマグマの様な熱が生まれる。

「……クシナダさん……なんで、そんな事を……」

「事実です。聞きたくない音楽は止めるでしょう? それと同じで創る上で必要の無い物は排除する。ノイズは止める。貴女にその覚悟はありますか、とお尋ねしています」


 その言葉は僕にとって耐え難い一言だった。とても聞いていられない一言だった。

 それで僕は感情のままクシナダ――鳳龍院サクヤに向かって怒鳴っていた。


「あの子がいたから『僕』はここにいる! あの子がいたから『私』になれた! あの子は絶対必要な『音』だ、ノイズじゃない! クシナダだってだからさっき――」


 そう言い掛けて僕は何かがおかしい事に気付いた。

 さっきクシナダはチケットを『僕とモカの為に』と言った。その彼女がモカを不要だと言う筈がない。だって不要なら『その為に』だなんて言う筈が無い。

 一体どういう事だ、これ……そして顔を上げるとクシナダが微笑んでいる。


「……実はモカさんからご連絡を頂きました。もう一緒に出来ないから代わりにクシナダがいてあげて欲しいと。事情は存じませんが彼女も私の数少ない『お友達』なのです」

「……どういう事ですか……」

「今の貴女は死んだ仮面の様です。心が震えません。仰る通りモカさんは重要な『音』なのでしょう。それを排除しますか? クリエイターが必要な物を捨てて諦めますか?」

「……それ、は……」

「敢えて言いましょう。貴女の友人として――ミユさん。今の貴女は『クシナダ』の相手ではありません。誰かを楽しませる? そんな死んだ目で? 一緒に絵を描くと仰ったのは嘘ですか? さっさとモカさんを呼び戻して二人で私に立ち向かっていらっしゃい!」

 何も言い返せない。それで僕は俯いて黙り込む。だけど――


「……あ、あの……ここで高笑いすべきなんでしょうか?」

「……え……?」

――と、突然自信なさげなクシナダの声が聞こえてきて僕は呆気に取られて顔を上げた。


 さっきまで威勢の良かったクシナダがオロオロとしている。ここまでの迫力は一体何だったんだと言う位に。まるで普通の女の子みたいになってしまっている。それで不意にこみ上げてきて僕は思わず笑ってしまった。


「……え、あの……お姉さまが、ライバルならそう振る舞うべきだと仰られて……」

「……ふ、ふふ……いいお姉さん、ですね……はは……」


 そして僕はひとしきり笑うと大きく息を吐き出した。そして再び顔を上げるとクシナダを真っ直ぐ見つめる。

「――そっか。有難うございますクシナダさん。ちょっとモカと話してきます」

 僕がそう言うとクシナダは少しホッとした様子でニッコリと首を傾けて笑った。


「そうですね。それがよろしいかと。それではコンテストの発表でお会いしましょう」

「はい、それじゃ! クシナダさん、また!」

 そして彼女に別れを告げると僕はエントランスに出てからグラスを外した。


 もう二度と二年前みたいな思いをするのは嫌だ。僕は自分の為に桃香を連れ戻す。

 その為なら許してくれるまで必死に謝り倒す。情けないけどそれが今の僕に出来る事だ。

 そして最初の約束通り二人でクシナダに挑んでコンテストで入賞する。

 部屋から出ると階段を降りて玄関に向かう。隣の家、桃香に会ってちゃんと話す為に。


 ……だけどこの時僕は、まだ根本的な原因があった事に気付いてはいなかった。

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