第21話 閉じられた扉

 そうして金曜日の日中。遂に明日と明後日の舞台が終われば全部が終わる。モリグナの相談も無事終わって後は出来る事をやるしかない。終業式の後にうちで桃香と待ち合わせるとアヴェ・マリアの練習を始める。明日の二〇時予定だから実質一日以上時間が確保出来たのが救いだ。そして何とか形になった頃、桃香がエディターを開いて僕に見せた。


「ミユちゃん、取り敢えず大まかにやってみたんだけど見てくれる?」

「え? もうマグネット設定、終わらせちゃったの? 凄く早いね……」

「あ、全部じゃないよ? 大まかに、だから……あ、今からチョメ子にも設定するね」


 それで僕はフレンドリスト以外をまとめて共有設定にする。一緒に作業する様になってから桃香もチョメ子を弄る事が多い。基礎モデルが共通と言う事もあって互換性が高い。

 そして設定されたチョメ子を見て僕は驚いた。既にほぼ全身分が完成していたのだ。


「うわ……これ、昨日あれからやったの? 早過ぎるでしょ……」

「んー割と楽だったかなあ? メイクするより簡単だったかも?」

 桃香は褒められた事が余程嬉しいのかご機嫌で笑う。その隣で細かくチェックするに連れて設定内容が相当偏っている事に気付いた。胸や腰、腹部と唇の密度が異様に高い。

 これは果たして言って良い物かと悩んでいるとムッとした顔で桃香が尋ねてくる。


「……何よ? 聞きたい事あるなら聞きなさいよ?」

「……えー……いや、これは……」

「いいからさっさと言いなさい! ミユちゃん、男らしくないよ!」

「……んじゃあ……」

 これ以上言わないと絶対に桃香に怒られる。そう思った僕は素直に尋ねる事にした。


「怒らないでね? 桃香、なんで胸とかお尻とかお腹にこんなに設定してるの?」

「……うっ……」

 聞いた途端桃香の顔が激しく強張った。視線が泳ぎ始めて僕から顔を背ける。取り敢えず下手な事を言って怒られるのが嫌だから黙っていると逡巡の末開き直ったらしい。

「お、女の子には重要なのっ!! み、ミユちゃん、男らしくないよっ!!」

「……言っても言わなくても、どっちにしろ僕は男らしくないんだね……」


「えっとその……色々弄ってたら楽しくなってきちゃって……」

「ああ、つまり……こう、どんどん凝り始めちゃったんだね?」

「う、うん! そう! 別にやらしい事とか考えてないよ!」

「そっかーあるある。のめり込むと色々調べちゃうよねー」

「そ、そうなの! お風呂でもつい、胸にどれ位指がめり込むかとか試しちゃって……」

 それを聞いて僕は眉を寄せながらモカ、チョメ子、そして桃香の胸元を見比べた。


 僕の視線に気付いたのかキョトンとした桃香の顔が赤く染まっていく。だけど俯いたまま何も言おうとしない。それで僕はため息を付くと首を傾げて素直に尋ねた。


「――桃香、それってどう見ても挙動が不自然なんじゃ……」

「み、見た事あんの!? 不自然ってそんな小さくないもん!!」

「……まあ……そうだね。この話はもう辞めよう?」

「なんで憐れむ目なのよ!? 最低!! ミユちゃん最低ッ!!」

「だから……別に憐れんだりしてないってば……」


 そして今度は一番密集している顔部を調べ始めた。特に唇の設定が異様に丁寧で細かい。

 どうやらバーテックスの最小単位で設定しているらしい。それで昨日桃香が言っていた『化粧品』の話を思い出した。流石女の子だ。リップを使ったりするしこだわりが凄い。


 その出来栄えの凄さに彼女が拗ねている事も忘れて背中を向けたまま声を掛ける。

「――ねぇ、桃香?」

「何よ!?」

「この調子でお願い。流石桃香、凄く完成度が高いよ」

「……えっ? え、あ……う、うん……」

「桃香がやってくれて本当に良かった。僕じゃこんなの出来ないよ」

「……え、そお? えへへ……うん、任せといて……あ、そうだ。飲み物貰っていい?」


 振り返るとあんなに機嫌が悪かった桃香がニコニコ笑顔になっている。それにさっきまで二人共歌の練習をしていて僕も喉が乾いて何かを飲みたい処だ。

「うん、ちょっと待ってて。紅茶あるから持って来るよ」

 それだけ言うと僕は立ち上がってキッチンへと向かった。



 冷蔵庫からボトルを取り出しながらふと考える。そう言えば桃香用にカップを揃えた方がいいかも知れない。小さい頃は家から持ってきていたけれど今はもう無い。

 階段を上がる途中で部屋からメッセージ着信音が鳴るのが聞こえた。この音は僕のスマートグラスだ。明日は舞台だしカナさんからかも知れない。そして僕は部屋の扉を開いた。


「お待たせ。紙コップ勿体無いし、今度桃香のカップを買いに行こっか?」

 だけどそう言っても桃香の返事は戻って来なかった。


 テーブルの前に座り込んで、口を半開きにしたまま桃香は動こうとしない。

「うん? あれ、どうしたの? 桃香?」

 声を掛けるとゆっくり僕の方へ顔を向ける。だけど何か考えている様に俯いたまま。

 テーブルにトレイを置いてその正面に座るとやっと彼女は小さく口を開いた。


「……ミユちゃん、あの……メッセージ……」

「ん? ああ、メッセージ来てたみたいだね。誰だろ、カナさんかな?」

「……その……ごめんなさい……見ちゃった……」

 そう答えると再び彼女は口を閉ざしてしまった。心做しか肩が落ちて妙に元気が無い。

 スマートグラスは脳波でロックされるから本人以外が勝手に操作出来ない。だから他人が使おうとしても操作自体が出来ない。但し――アカウント単位で共有していない限りは。


「あ、そっか。共有したままだっけ。まぁいいよ。見られて困る物も別に何も無いし。それで誰からだった? カナさんかな? 明日は舞台だし、何かあったのかな?」

 でも桃香は何も言おうとしない。僕は怪訝な顔になって自分のグラスを手に取った。


「……どうしたの、桃香? 何、誰からだったの?」

「…………」

「メッセージ、誰からだったん――」


 そこまで言い掛けて僕の指が空中で止まる。

 新着メッセージの差出人は――『モリグナ』のリーダー、モリアンからだった。


 メッセージには日程の問題が記されていた。彼女達は僕達との勝負でアバターを初公開するつもりだったらしい。だけどそれだと『締め切り一週間前までにパフォーマンス』の条件が満たせない。彼女達は前回の舞台でコンテストにエントリーしている。だけど『参加アバター』では舞台に立っていないのだ。勝負は二十五日で締め切りは年末の三十一日。

 運営に確認を取った方がいいとだけ短く返信を返すと僕はグラスを取って桃香を見た。


「あの……えっと、さ?」

 桃香は既にグラスを外して項垂れている。声を掛けても俯いたまま反応しようとしない。

「……その、黙っててごめん。だけど、モリグナの人達も色々事情があってさ?」

「…………」

「それで相談に乗って、アドバイスだけしたんだ。他は何も手伝ってないよ?」


 だけど桃香は黙ったままで、延々と重い沈黙が続く中で僕は自分の迂闊さを呪っていた。

 何もかもが上手く行って僕は調子に乗っていた。桃香の為に――そう言いながら相談しなかった。クシナダは仕方ないとしてもモリグナに関しては話すべきだったのに。


「……どうして……」

 桃香の掠れた声が聞こえる。それで僕は弾かれた様に顔を上げた。彼女の顔にぼんやりと失意が浮かんでいる。今にも泣きそうでいつか見たのと同じ表情に咄嗟に声が出ない。


「……私、ミユちゃんと……一緒に……」

「桃香聞いて! クシナダさんの仲間だと思われただけで、誤解が解けたんだ! でも事情があって! それで相談に乗ったんだ! 相談だけで何も手伝ってないから――」


 僕の言い訳に、だけど桃香は小さく首を横に振る。

「……違う……そうじゃ、なくて……どうして、何も言ってくれなかったの……?」

「それは……桃香に心配、させたくなくて……」

「……私、もう……だって、パートナー……だもん……」

「ごめん! ちゃんと相談しなくて、本当にごめん!」


 僕は必死だった。頭が真っ白でまともに考えられない。あの時と同じで二度と桃香が来なくなる――そんな恐怖が心を染め上げる。頭を下げる僕の耳に鼻をすする声が聞こえて少しして消え入りそうな桃香の声が聞こえた。

「――ねえ、ミユちゃん。私……ミユちゃんにとって……何?」


 その瞬間僕の頭の中で桃香に対する思いが嵐の様に駆け巡る。

 桃香は幼馴染。大事な友達。守るべき女の子。そして――大切な『妹』。例え二年間避けられても頼まれれば断れない相手。思いついた事を素直に言うしかない。


「……僕にとって、桃香は大切な女の子で――」

 そして桃香は救われた様な顔になって。

「――本当に大事な、妹……だよ」

 そして桃香は――大きく目を開いた。ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちて頬を伝う。

 彼女は目元を拭うと何を言わず立ち上がった。僕はその姿を無言で見上げる。

「――ごめん、ミユ兄ちゃん・・・・・・……私、帰るね」


 そして泣きながら昔みたいに無理に笑うと一言だけ言って部屋を飛び出した。

 桃香の震える声が聞こえて背筋に冷たい物が走る。彼女が扉を出て階段を降りる音が聞こえてくる。それでやっと僕は我に返ると声を上げた。


「――ッ、待って、桃香!!」


――ダメだ! ここで帰らせちゃ、ダメだ!

 そんな焦る気持ちだけが僕を駆り立てる。階段を駆け下りた処で桃香の背中が見える。


――あの時と同じだ! 二年前と同じセリフだ!

 必死に止めようと手を伸ばす。だけど届かない。

 そして目の前で扉が閉まった。離れていく足音がすぐ聞こえなくなる。


 僕は玄関に力なく座りながら――項垂れ続ける事しか出来なかった。

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