第20話 かくしごと

 打ち合わせの後、僕と桃香は少しだけ一緒に練習する事になった。グラスを外す桃香の隣で早速エディターを開くと設定を確認し始める。少し思いついた事があってそれを設定出来るか試してみようと思ったのだ。だけどそんな僕を見て桃香が首を傾げた。


「ん? ミユちゃん、どしたの? 何してるの?」

「うん、ちょっと思いついた事があって、試してみようと思って。確か、マグネット設定って言ったと思うんだけど……どこだったかなあ……」


 これはモリグナの三人と話して思いついた事だ。モリアンがチョメ子の頬に触れた時に指先がぴったりフィットしていた。触れた物の質感は反応を返す事でより一層リアルに表現出来る。例えば指先が触れた部分だけが沈み込めば視覚的に柔らかさを演出出来る。


 アバターは昔の『ポリゴン』と似ていてバーテックスと言う最低三つの点で面が構成されている。面を繋いで存在を創るけれどそれに触れるのがマグネット設定だ。

 普通アバターは全身に衝突判定があって手で触れた部分だけがフィットする。腕や腰、肩、人同士が触れ合う箇所ならばしっかり吸着する。そして僕は以前町中で子供を抱いている人を見た事がある。それでひょっとしてと考えたのだ。

 そしてそのマグネット設定は思ったより簡単に見つける事が出来た。


「あった……やっぱり部位単位でマグネットの設定、出来るのか……」

 それは簡易設定じゃなくて詳細設定、更に上級者向けの項目の中にあった。


 デフォルトでは手、腕、頬等が設定されている。特に手は物を掴み、触れ、操作するから設定値も一番高くて三〇。一番低いのは頬と頭なのは対象のサイズも関係ある。その中でマイナスに設定されているのがいわゆる胸、下半身の前後。以前胸を掴んで硬かったのはこの為できっとセクシャル・ハラスメント対策だろう。マイナス三十に設定されているのは手に対して吸着しない為に同じ数値が設定されていてプラスマイナス・ゼロだ。

 試しに接触面の合計値がゼロを下回る様に設定すると陶器みたいに硬い反応になった。


「――これをね。全身に設定してみようと思うんだ」

「え、でも……そうすると他人に触られ放題とかならない?」

「大丈夫、吸着って言ってもくっつく意味じゃなくて……指で掴んだ時、触れた面だけ指先に吸着して柔らかくめり込ませて見せるって設定だよ。設定したから試してみて?」

「……う、うん……」


 そう言うと桃香は早速モカを動かした。僕達の視界で突然モカが自分の胸を掴む。

 いきなりそこに行くとは思わず無言になる僕の前で桃香は何度も揉んで見せる。

「うっわエロい……何これ……ミユちゃん、悩んでる事あるなら私、相談にのるよ?」

 そのまま可哀想な人を見る視線で桃香にじっと見つめられて僕は呆れた顔で返した。


「――いや……普通ほっぺたとかだと思ってたよ……なんでいきなり胸なの?」

「……えっ!?」


 桃香はグラスを上げて突然黙り込んでしまった。僕も同じ様にグラスを上げてじっと彼女の顔を見つめる。やがて鼻でフッと笑うと彼女の顔から耳までが一瞬で真っ赤に染まる。

「ち――違うの!! 別にエッチな事考えてた訳じゃなくて!! そう言うの多かったし!!」

「……ふうん……まあでも、桃香が僕をどう言う風に思ってるのか、良く分かったよ」

「ち、違うから!! そんな事思ってないもん!!」


 そして涙目になる桃香の頬に僕が人差し指で触れると彼女は伺う様に目線だけを上げる。

「……まあ、こんな風にね? 頬とか柔らかく見えるんだよ。今までだと指で触れても全体的に変形しちゃってたんだけど、指の部分だけ吸着するからさ。凄くリアルでしょ?」


 笑いながら言うと桃香は何とか泣かずに目元を拭って笑顔に変わる。

「……うん。凄くリアルだと思う……」

「……因みに」

「……うん……」

「お腹とか二の腕に設定すると、運動不足の人とかも演出出来ます」


 真面目な顔でそう言った途端桃香は無言で床に片手を付いた。空いたもう片方の手がしっかりと自分のお腹や床に着いた二の腕を触れた後真剣に怯えた顔へ変わる。

「……あ、悪魔の設定だわ、これ……」

 深刻な顔で言う桃香を見て僕は思わず口を押さえて笑ってしまう。

 こんな風に笑ったのは本当に久しぶりだった。


 しばらくして落ち着いた桃香が不思議そうな顔で尋ねてくる。

「――でもこんな設定、知らなかったわ。ミユちゃん、よくこんなの気付いたね?」

 だけど僕は上手く答える事が出来なかった。これはモリグナの人達と話している時に思いついた事だしどう説明しても桃香は怒りそうな気がする。


「あー……うん、まあ……ちょっとね」

「……ふぅん……だけどこれ、何の為に使うの?」


 そう言われて初めて用途を考えていなかった事に気付いた。単純に面白そうだから設定しただけで普通に使い道を考えても思いつかない。例えば他人に頬を触れられる事なんて恋人みたいな関係じゃないとありえない事だ。接触すると警告アラートが反応してしまう。

 言い訳が思いつかず苦悩していると桃香はモカの指を動かして自分の唇を触り始めた。


「……あ、でもこれ、リップとかの雰囲気凄いかも? 最近、化粧品メーカーがリップの新色を試し塗りとかVRでやってるのよね。ツヤツヤプニプニ感って凄く大事かも?」

 桃香が自分から言うのを聞いて僕は咄嗟に話題を逸らせようと画策した。

「あ、これさ。マグネットの範囲設定、メイクレイヤーで指定出来るんだよ。だけど設定がちょっと難しいから普及してないんじゃないかな? その分、凄くリアルでしょ?」

「え……あ、うん。確かにねー……そっか、メイクレイヤーなんだ、これ……」

 そう呟くと桃香は黙り込んで何かを考え始めた。その横顔を見ながら僕も黙り込む。そして微妙に緊張していると、彼女は笑顔で顔を上げた。


「――分かった! んじゃあこれ、私がやってみる。楽しそうだし」

「え……で、でも思いつきだし、手間だし……時間ないよ?」

「だーめ。私がやるの。と言うかミユちゃん、女の子の肌とか知らないでしょ?」

 慌てて言うものの、そう返されてしまっては僕も言い返す事が出来ない。まさか『知っている』だなんて言えば桃香がどんな反応を返すか……考えるだけでもう、ひたすら怖い。


「……あ、はい、そうですね……それじゃ、お願いします……」

 力なくそう答えると桃香は楽しそうに笑う。

「うん、任せといて。大体メイクレイヤーなら私の担当だしね?」

「……はい、その通りです……お願いします……」


 それ以上は何も言えず……僕は桃香に設定方法について説明する事となった。



 桃香が帰ってから僕はいつもの様に『モリグナ』の三人の部屋を訪れた。


 時間は丁度〇時を過ぎて金曜日。明日は学校が終われば桃香とアヴェ・マリアの練習をしてそれが終われば最後の土曜日だ。期末テストの勉強も大変だったけど明日で冬休みだ。

 忙しい毎日も終わりだと思うと少し寂しくなってくる。兎に角これでモリグナの相談も終わりだ……そう思って彼女達の部屋を訪れ僕は目の前に立つ三人を見て絶句していた。


「――あの、お姉さま? いかがでしょうか……?」

「ダメだ、ペケ子、反応がない……」

「……えーこれ、やっぱりダメなのかなぁ……」

「い……いや、違います! そうじゃなくて……凄い、随分思い切りましたね……」


 慌てて手を振りながらそう言うと僕は再び彼女達の新しいアバターへと視線を向ける。

 彼女達『モリグナ』が準備してきた新アバターは白く抜けた様な純白の肌でそのままだとどう見ても不自然な物だ。だけどその上から喪服の様にどす黒い衣装を着ている。それに肌は環境光の影響を一切受けていない。従来設定されている筈の光沢すら殆ど無くそれどころか影すら付いていない。完全に影を飛ばしたモデルになっていた。

 更に全員瞳の色が金色に光っていて、『人在らざる者』と言った雰囲気。

 それは――いわゆる『ゴシック』と言われるファッションスタイルのアバターだった。


 思わずため息をついて眺めているとモリアンが恥ずかしそうに俯く。

「えっと……お姉さまと同じだと勝負にならないと思って。リアルにしても絶対に勝てないと言う事で、思い切ってこんな感じにしてみたのですけど……如何でしょう?」

「……いや、凄いですよ……これ、『戦乱の女神』ってイメージですよね。そっか、こんな方法があったんだ……本当に凄くて、ビックリしました……」


 そう言いながら衣装の細かさや配色を眺める。細かいレースやひだの多い服で違うのはそれぞれが着ているスタイルだけだ。モリアンは大人っぽい雰囲気、ネヴァンは少女らしく、マッハはミニスカートだけど全員が足にリボンを巻いていたりと装飾も細かい。

「これ、衣装や方向性はミンク――ネヴァンなんです」

「……ぶい……」

 そう言いながらミンク――ネヴァンは恥ずかしそうにVサインをして見せる。元々可愛らしい系で装飾過多な傾向が強かったけどまさかこんな方向に突き抜けて来るとは思いもしなかった。少し怖い印象があるものの僕には出来ない発想だ。そして少し遠慮がちにルビイ――マッハが笑顔になって言った。


「チョメ子さんの『ノイズ』がヒントだったんです。三人で相談してたら調子に乗っちゃって。アンズ――モリアンが青、ネヴァンが緑、私が赤で光の三原色でまとめたんです」

「ええ、本当に凄いです。インパクトも強烈ですし、アイドルとして舞台に立つとしてもこれ以上無いって位に破壊力バツグンです。と言うかこれ、何か賞取れるかも……」

 僕が驚いたまま笑顔で答えると三人は大喜びだ。


「……うぇーい、ペケ子に褒められたー!」

「やったね、ミンク――じゃない、ネヴァン!」

 そしてアンズ――モリアンが笑顔のまま、

「それで調子にのるついでに勝負曲もバロック風にしようと思ってます。バロックは歪な真珠と言う意味ですし、イメージ的にクラシック・アレンジが似合いそうですから」


 そんな歌唱曲についてまで話し始めて僕は慌てて止める。

「いや……そこまでネタバレするのは、ちょっとどうかと思いますけど……」

「……あ。ごめんなさい、つい私……でもお姉さまに褒められて嬉しくって……」

 モリアンは口を押さえて落ち込む。だけどはしゃぐのも分かる。少し手を加えただけでこれまでと圧倒的に違う。それだけデフォルトモデルが凄いんだけど素直に感心していた。


「……聞いてしまいましたから言いますけど、僕達はクリスマスソングを歌う予定です。今まで家族連れも結構いましたし、時期的にもピッタリですからね」

「え……まあ! お姉さまが歌われるんでしたらきっと素敵です! 絶対聞きます!」

「……いやいや、そうじゃなくて……何を歌うかまでは内緒にしてくださいよ?」

「あ……その、色々とお気遣いして戴いて、本当に申し訳ありません……」


 そう言ってモリアンは憂鬱になるけど三人共それ程落ち込んでいない。本当にギリギリだったけど彼女達はちゃんと自力で仕上げた。それが嬉しくない筈がない。

「これならもう、アドバイスは必要無いですね……本当に、間に合って良かった……」


 でも僕がホッとして小さく呟いたのが聞こえたのか、三人はショックを受けた表情になってしまった。そのままモジモジしながら三人共、何か言いたそうに頬を赤くしている。やる事ももう無いしそろそろ帰ろうとした時、モリアンが思い詰めた顔で迫ってきた。


「あの――お姉さま、私達と是非、フレンドになって戴けませんか? 私達、こんな風に相談出来る人がいません。その……これからも、お、お付き合いを……ダメですか?」

「え、でも……三人はプロデビューされるんでしょう? マズくないですか?」

 だけどそう言って尋ねると今度は残る二人が笑顔で迫ってくる。

「大丈夫。だってペケ子信用出来るし。オフで会ってもいいくらい?」

「え……い、いや、それは……」

「チョメ子お姉さんが居なかったら多分私達、こんな事出来なかったです。だからもし御迷惑で無ければ、私達とフレンドになってこれからもお付き合いして欲しいんです……」

「……う、うーん……」


 フレンドリストには今モカとクシナダしかいない。リストはアカウントかアバターで使い分けられるから登録自体は問題ない。でもカナさん達もまだでそれが少し気になる。

 だけど脳波コントロールで表現された表情を前に僕は断る事なんてとても出来なかった。


「……分かりました。それじゃあ、登録しましょうか……」

 そう言った途端、三人の顔がパッと明るく変わる。

「ほ、本当ですか、お姉さまっ!?」

「わーいやったー、流石ペケ子!」

「よ、良かった……」

 そう言って三人からフレンド申請が届く。僕はそれを確認して同時に驚いた。


 そこには『アンズ』『ミンク』『ルビイ』と言う本名が表示されていたからだ。

 それ処か三人の名前から登録しているフレンドまで表示されている。芸能事務所らしき名称まで。これはリストの共有がオンになっている所為だ。一覧に事務所と三人の名前だけで胸を撫で下ろす。もし他に登録していれば情報流出どころの騒ぎじゃない。共有しているとメッセージなんかも一緒に覗けてしまうしプライバシーも無いも同然だ。


――他の設定は兎も角、最低でもフレンドリストの共有は解除させないと。


 喜んではしゃぎあう三人を見ると僕は硬い声で説明を始める。

「……とりあえず三人共、本名で登録するの辞めましょう。それとフレンドの共有もオフにしてください。名前は……設定でアバターの名前のみに出来る筈ですから……」

 僕は三人のアカウントネームを非表示にさせたりアバターネームでのフレンド表示を変更させたり、共有の解除方法を説明したりとそんな事ばかりする事になった。


 考えてみれば桃香も最初はアカウントネーム表示に設定したままだった。クシナダはちゃんとアバターネームで設定してあったけれど桃香にしろモリグナの三人にしろ、どうも女の子はそう言う事に無頓着で危機感が無さ過ぎて物凄く怖い。


 三人に感謝されながら僕は『桃香が知れば絶対怒るだろうな』なんて事を考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る