第16話 VR音楽バンドとの出会い

 二度目の舞台周りは余りにも違い過ぎて僕も桃香も驚く事ばかりだった。


 先ずステージがそれぞれ別空間になっている。これまでみたいに隣接する舞台と干渉する事が無い。臨場感が減った代わりに広場では舞台ストリーミング配信されていてユーザーが自由に音声を選択して視聴出来る。不満の声よりも利便性とギミックで好評みたいだ。


 次に変更された中でも大きく変わったのが『観客席』の存在だ。これまでは観客席は実際に席があった訳じゃなかった。アバターで疲れないけど野外ステージみたいになっていてベンチに座れば視点も自由に変更出来る。更に演目によってはベンチの配列や高さが巨大なギミックとして変化する。現実では安全面で不可能な大規模な仕掛けが施されていた。


「……なんだか……凄いわ、これ……」

「うん……まさかこんな本気の『拡張』をするなんて思わなかったなあ……」


 ぼんやりと呟く桃香に答えると僕は新しくなった舞台ブログラムを確認した。リストは舞台予定で埋まっている。拡張後に人が詰めかけたんだろう。全体的な進行もゆっくりで時間に余裕がある。今の処僕達がラストでその後には予約が入っていなかった。

 更に僕達の名前にだけ星マークが付いていて小さく『コンテスト・エントリー中』と書かれている。観客からもイベント参加者を簡単に確認出来る様になったと言う事だ。


――そう言えば、他の参加者が辞退しているって言ってたっけ……。


 ただでさえクシナダとの一件で僕達は目立っている。前なら本気で困っていたのに今は割と気楽なのはきっと彼女と『絵を描く』約束したからだ。もう桃香との約束だけじゃない。そしてきっと僕達はクシナダと一騎打ちになる。程良い緊張と楽しさを感じていた。

 もう何をしても逃げられない。だから最後までやりきるしかない。


 もしかしたらあの時――中学最後に参加した絵画コンクールの時もこの気持ちを忘れていなければ平気だったのかも知れない。今もあの頃憶えた恐怖や諦める気持ちは何一つ変わっていない。世界は相変わらずで周囲が押し付けた物にしかなれないのが現実だ。

 それでも……楽しげな桃香を見てまだ信じられる物があると思いたかった。


 舞台袖から舞台を眺めていると次の出演者らしき四人組がやってきた。時間ギリギリだと強制的に移動させられるみたいだけど前もって来ていればそう言う事も無いのだろう。

 僕は振り返ると最初に入ってきたポニーテールの女性アバターに頭を下げた。


「どうもこんばんは。早めに来て、見学させて頂いてます」

 すると女性は一瞬ギョッとした顔に変わる。だけど僕の言葉に安心したのか笑い始めた。

「あーびっくりした。一瞬、間違えちゃったかと思っちゃったよー」

 そう言って彼らは手に大きなケースからそれぞれ楽器を取り出し始める。それを眺めながら僕は『おや?』と首を傾げた。VRではこんな風にケースを持つ必要は無い筈だ。


 ストレージから取り出せばいいしわざわざケースへ実際に楽器オブジェクトを入れるのを見た事がない。エリアで持つ人の大半はファッションで持っているだけだから少し意外だ。そんな視線に気付いたのか真っ先に入ってきたポニーテールの女性が首を傾げた。


「ん? どしたの? 何か変かなー?」

「あ、いえ……楽器ケースなんて持ち運ぶの、珍しいなって思って……」

「ああ……皆ストレージから直出しするもんねー。でもウチらはケース持ちよ? 何て言うかバーチャルでもねー、楽器大事にしたい、って思うからさー?」

「分かります。自分の大事な相棒ですもんね」

「……おお……まだ若そうに見えるのに、中々分かってるねー!」


 そう言うと女性は尻尾みたいな髪を揺らしながらケースから再び楽器を取り出し始めた。

 不思議だ。多分相手は年上で大人だ。VRワールドのアバターは実年齢の上下五歳位で自動設定される。目の前の人達は青年アバターだから大人、なのに余り怖い感じがしない。


 黙々と準備を進める四人をぼんやりと眺めていると、不意に別の一人が近付いてくる。

 ウェイブ掛かった髪の女性アバターで彼女は無言でじっと僕と隣にいるモカを見つめた。

 何を言われるのかと恐怖が突然訪れる。けれどしばらくして女性は小さく呟いた。


「……やっぱり貴女達って噂の子よね? 確か『サーバーダウナー』とか言われてる?」

 突然明るい声でそんな事を言われて僕は思いきり面食らった。

「……そ、そんな、そんな言われ方……してるん、ですか……?」

 気落ちしながら何とか答えると女性は出演者リストを見た様でニッコリと微笑む。


「ああそうそう。『チョメ子&モカ』のお二人さんね。気にしないで頂戴、臨時メンテの後にこれだけ変われば皆公式の発表通りだと信じるわ。元々時々不安定だったしね」

「は、はぁ……そうなんですか? 時々不安定って……」


 そう言って僕は相手のアバターを観察した。特に何も弄った様子のない極普通の青年期型デフォルトアバターだ。確か二〇代から四〇代くらいの人が良く使っているモデルだ。

 でもサーバーが不安定だなんて初耳だ。僕が知る限りVRワールドのサーバーはいつも安定している様にしか思えない。それにこれまでにサーバーダウンした話も聞いた事が無い。

 けれど女性は笑いながら話してくれた。


「私達は日曜日専門で今日来たのは舞台慣れする為なのよ。前から演奏してるとコンマ数秒くらい同期ズレがあって、特にクシナダが舞台に立つとね。貴方達のお友達が舞台に立って演奏すると観客が取られちゃうんだけど、いつもそう言う時に不安定になるのよ」

「ああ……確か『ワンマン・オーケストラ』っていう専用の楽器、でしたっけ……」

「そうそう。あれね、凄く高い音源なのよ。あの子、相当お金持ちみたいなのよねえ」


 お金持ち――彼女は『鳳龍院』と名乗っていた。鳳龍院サクヤと言う少女は恐らく運営母体の『鳳龍院ホールディングス』関係者で苗字を聞く限り大企業のお嬢様だろう。

 なら機材や技術もあって当然だしVR楽器も納得がいく。今回のコンテスト自体彼女のプロモーションと考えられなくもない。クシナダに太刀打ち出来る人はそうはいない。

 それでも僕はクシナダに限ってそれはあり得ないと考えていた。清廉潔白な性格の彼女がそれを受け入れるとは思えない。そうならわざわざ助けに来てくれた理由が無くなる。


「――それでね。あの音源、兎に角凄い数の音を使うからそれが原因じゃないか、って言う人もいるのよ。でも流石にメーカーがそんな不具合を残してるとも思えないしね」

「そうなんですか……すいません、余り詳しくなくて……」

「ま、普通は知らないわよね。オーケストラは最低三〇人、最高一〇〇人で演奏する物だし彼女が使ってるのは毎回ソロブースだしね。舞台も新しくなったしもう平気かな?」

 そう言うと女性は今もまだ演じている舞台の上へと視線を向けた。


 彼女が言う通り、これまでの舞台とはかなり違う。多目的ホールになっていて、恐らくかなり大規模なコンサートでも充分に処理出来るだけのキャパシティがあるだろう。

 僕も同じ様に舞台に視線を向けると背中からポニーテールの女性の声が聞こえた。


「――カナさん、準備オッケーよん?」

「ああ、はいはい。それじゃあ演目とタイミングのチェック開始。各楽器のチューニングも確認忘れないで。トップはクーちゃんのヴィオラのソロから、失敗しないようにね?」

「……うわ、新しい舞台でトップかぁ……緊張するわー」

「ふふ、そう言いながらクーちゃん、ヘマした事ないでしょ? それとロノくん、タイミング遅れない様に気をつけてね。カネさんはいつも通りだし全然大丈夫でしょう?」

「え、俺、遅れてるッスか!? マジで!?」

「いつもちょっと音のイリが遅いわ。コンマ〇二くらいね。緊張せず練習通りにね」

「……う、うぃーッス」

 そう言うと女性――カナさんは再び僕を振り返ってニッコリと微笑んだ。


「ごめんなさい、名乗っていなかったわ。『ナイトマーチ』のカナです」

「あ、えっと……チョメ子です。こっちの子はモカです」

 そう言いながらモカに視線を向けるとさっきから全く姿勢が変わっていない。

「……あれ? モカ?」


 そう言って声を掛けても反応が返ってこない。仕方なく僕はグラスを少し外して見ると、隣で半分口を開けたまま桃香自身も固まっている。それで肩に手を載せると――

「――うきゃッ!?」

 桃香の身体がビクンと大きく跳ねて、胸を押さえてゼイゼイと荒い呼吸に変わった。


「み、ミユちゃん……び、びっくりした……」

「……何してるの。さっきから声掛けてるのに」

「ご、ごめん……つい、舞台の演劇見入ってた……」

「次の出番の人達、挨拶してるのに……ナイトマーチのカナさんだって」

「……CP(カクテルパーティ)で言ってくれれば聞こえるのにぃ……」


 そうブツブツ言いながらグラスを掛けるのを見てから僕もグラスを再び掛ける。画面の中ではようやく動き始めたモカがカナさんに頭を下げているのが見えた。

「……あ、あの……モカ……です……」

「よろしくね、モカちゃん。何、舞台でも見てたの? そんなに面白い?」

「あ、はい……観客視点で見てたらつい、見入っちゃって……ごめんなさい」

「あら、そんな事も出来る様になったのね? へぇ……何かに使えそうね」

「なんだか録画出来るっぽい。ネットにアプるのは無理っぽいけど……です」

「へえ……なら舞台を後で確認したりチェック出来るのね。便利になったわねえ……」


 そのやり取りに僕は苦笑する。桃香はまだ人見知りみたいだ。随分マシにはなっているけど懐かしくて笑ってしまう。だけど長いと思ったら演劇だとは思わなかった。僕が見た時は歌っていたし歌劇かも知れない。きっと舞台時間一杯まで使うつもりなんだろう。

 カナさんも同じ事を考えた様で、肩を小さく竦めるとメンバーに向かって声を掛ける。


「クーちゃん、多分まだ一〇分は掛かるわ――っと、そうだわ、チョメ子ちゃん? ちょっといいかしら? 動画と言えば、初舞台を見せて貰ったんだけど……」

 僕達はまだ舞台は一度しかしていないし動画で配信されたのはそれだけの筈だ。だけど何と答えるか迷った末、結局さっき言われた事をそのまま返すしか無い。


「ああ……例の、サーバーダウンする直前のですか……?」

「……あの時、途中から入ったヴァイオリン……あれ、クシナダよね?」

「あ、はい。見かねたみたいで、飛び入りで演奏してくれたんです」

「へえ? んじゃあ今日も彼女、来る予定なのかしら?」

「あー……多分来ないでしょうねえ。さっき会いましたけど……」

「……へえ、そうなんだ? ふぅん、そっか……」


 それだけ言うとカナさんは何やら考え始める。クシナダは有名人だし同じ音楽を演奏する人間として気になるんだろう。だけど今度はいきなり別の事について尋ねられる。

「――あー、あと……ごめんね? もう一つ、いいかしら?」

「えっと……はい、何でしょうか?」

「貴女の声って多分、高校生位かしら? 男の子の声を入れてるわよね?」


 何気なく尋ねられた一言に僕は息が止まる位に驚いた。慌てながら必死に自分の言動を思い返す。僕はちゃんと女の子らしく振る舞えていた筈だ。それに男だとバレた割にカナさんの反応は少し違う気もする。僕は心を落ち着けながらカナさんに驚いた声で答えた。


「――よ、良く分かりましたね……」

 だけどカナさんはただ納得しただけの様に笑顔のまま。疑っている素振りは見えない。

「やっぱりね。なんだか細い感じの男の子かな? あと……ガラスを擦るみたいな音色と木琴みたいな物を叩く音。ノイズをわざわざ入れてるのが面白いと思ったのよねえ」


 どうやら言葉を聞く限りチョメ子の声だけでそこまで分かったみたいだ。だけどまさかそこまで当てられるとは思わなくて僕は素直に驚いていた。

「え、声だけでそこまで分かったんですか? 凄いですね……全部当たってますよ……」

「ふふっ、やっぱり?」

 そう言うとカナさんは無邪気に笑った。その後ろからポニーテールのクーさんが作業の手を止めて、何故か自慢げに笑い始めてカナさんが呆れ顔でツッコミを入れる。


「ホッホッホ、カナさんは天性の絶対音感持ちだからネ! 音楽教室の先生なのヨ!」

「もう、だから……どうしてクーちゃんがドヤ顔するのよ……」

「えーだって仲間だしぃ? 別に自慢していいじゃん? あ、チェックオッケーよ?」

 そんな二人のやり取りにやっぱり分かる人には分かってしまうんだと驚かされる。ちょっと気を付けた方がいいな――そう思っているとカナさんが再び尋ねてきた。


「それでさ? どうしてノイズをわざと入れようと思ったの?」

「あ、えとですね。嫌悪感を与える要素は一般に悪い印象ですけど、実は感覚に一番突き刺さるんです。ですから刺さった直後、緩和出来たら面白いと思ったんですけど……」

「へぇ……面白い考え方ねえ。チョメ子ちゃん、ひょっとして……芸術関係者?」

「あ、まあ……そんな感じですね。但し絵とか、身内がそっち方面なんですけど」

「ふぅん、絵画でもそう言うの、やっぱりあるのねえ……あ、そうだわ。今、グリーティング送るわね。もし良ければ受け取って頂戴な?」

「え……グリーティング、って……?」


 突然何かを思い出した様に言うとカナさんは手元で何やら操作を始めた。するとすぐに画面上で使った事の無いアイコンが短く点滅する。それを開いた途端凄まじい数の名前がリスト表示されて僕は思わず慌てた声をあげてしまった。


「う、うわ、何これ!? なんだか凄い数のリストが……」

「あら? ひょっとして今まで気付いて無かったの? 知らなかったの?」

「あの、すいません……よく知らないんです。それって一体何ですか?」

 そう聞くとカナさんは笑いながら『グリーティング・リスト』について教えてくれた。


 グリーティングリストはフレンド程親密じゃない相手にちょっと送る程度の物だ。付き合いがある限りフレンドリストとして機能して付き合いがなくなれば自然消滅する『一時フレンド』の機能だ。だからいわゆる有名人には手当り次第に送られる物らしい。

 決まった友人と遊ぶだけの人には殆ど利用されていない機能だった。


「あの、それで……何だか知らない人の名前が凄い数あるんですけど、どうしたら……」

「それは気にしなくていいわ。貴女目立つから、見掛けた人がガンガン送ったのね。目の前に居ないと申請出来ないから。ま、舞台とかスタジオ入りすると良くある事よ」

「……はぁ……だけどそれって何の為なんです?」

「そりゃあ必要な時に声を掛ける為よ。例えばそうね――伴奏が必要な時に演奏して貰ったり? 例えば私達に助けて欲しい時とか? ま、これも縁だしいつでも言ってね?」

「……え?」

「私達、『ナイトマーチ』は貴女達のご指名をお待ちしてまぁす」


 そう言うと彼女はじっと僕を見つめた。優しそうで落ち着いた印象なのにその顔に一瞬浮かんだのは挑戦的で獰猛な顔だ。そして彼女は付け加える様に言う。

「――言っとくけど、うちのカネさんはクシナダより凄いわよ? ワンオケと違ってうちは全部の音にちゃんと人が付いてる。音の厚みじゃ絶対に負けない自信があるわよ?」


 要するに……カナさんは『自分達はクシナダより凄いから呼べ』と言っているのだ。それに気付いた時、背筋に震えが走る。これが本気で取り組む人の姿勢か――そう思うだけでアバター越しに気迫みたいな物が伝わってくる。そしてそんなカナさん達と競う程のクシナダを相手に『もしかしたら』だなんて考えていた自分の甘さを思い知らされる。


「――カナ、出番だ。ロノ、クーも準備して」

「あ、カネさん……もう出番? 思っていたより早かったわね」

 突然物静かなバリトンが響きカナさんが振り返ると他の三人が楽器を手にしている。四人は舞台袖から次々に出て行く。最後にカナさんが楽しそうに僕に向かって言った。


「――じゃ、ちょっと演ってくるわね。怖いって誤解も解けたみたいだし良かったわ」

 去り際にカナさんはそう言って唖然とする僕に向かってウインクする。それで僕は再び驚く事になった。気付かれない様に注意していたのに全部声だけでバレていたのだ。

 呆然と四人の背中を見守る僕をいつの間にかモカが複雑そうな顔で見上げている。


「……ミユちゃんってさあ。大人相手だと握った手で口元隠すよねえ……」

「え……って、そんな癖、僕にあったの……?」

「うちのママ相手に最初、そんな感じだったよ? だけど知らない人とよく話せるよね」

「……っていうか桃香は人見知り、し過ぎなんだよ……」


 どうやら桃香は怖くて舞台を見ているフリをしていたらしい。でも僕も見抜かれていて何とも言えない。舞台を眺めるとカナさん達『ナイトマーチ』の演奏が始まるのが見えた。

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