第15話 一人ぼっちの製作者

 僕と桃香の家は近所に同じ年頃の子供がいない閑静な住宅地にある。だから小さい頃は僕も桃香も一緒に遊べる友達なんていなかった。僕達は人見知りな子供だった。


 学校に行っても友達が出来ない。それまで絵しか描いていなかった僕は話題も合わないし一緒に遊ぶ事も興味がない子供だった。学校が終わればすぐ家に帰ってひたすら絵を描いている――そんな僕を親は心配したのかも知れない。ある日母さんが一人の女の子を連れてきた。『隣の桃香ちゃんよ。幹雪、絵を教えてあげてね』と言って。


 最初は殆ど会話すら無かった。僕は水彩画を、彼女はクレヨンで画用紙に描くだけ。それでも少しずつ話す様になってその内僕と桃香は仲良くなっていった。お互いに『モモちゃん』『ミユ兄ちゃん』と呼び合って、まるで兄妹みたいに。


「ミユにいちゃん、これみて! ほら、これ! モモのいってる、ようちえん!」

 ある時桃香が画用紙を開いて見せた。それは画用紙に描かれた真上から見下ろした様な絵だ。遊具や建物、砂場が描かれている。だけど遊ぶ子供の姿は誰一人描かれていない。


 幼心に寂しいと思った僕は彼女に言った。

「んー……でもちょっとさみしいし……これ、僕も描いていい?」

「えー……うん、いいけど……」


 少し不満そうな彼女の前で僕は一緒に遊ぶ自分と桃香の姿を描き足していく。砂場で一緒にお城を作っていたり滑り台で一緒に滑っていたり。僕と桃香の分身だけがその絵の中で仲良く一緒に遊んでいる。そんな姿で絵はどんどん賑やかに変わっていった。

 気がつくとそれを見ていた桃香もどんどん機嫌が良くなっていって最後には絵の中一杯に二人で描いた僕と桃香の姿が遊んでいる楽しい絵が出来上がっていた。

 その時に桃香が見せた笑顔、そして二人で初めて一緒に描いた絵。


「……モモ、はやくしょうがっこう、いきたいな……」

「来年だしすぐだよ」

「でも……ミユにいちゃん、ずっといっしょじゃないし……」

「何言ってるの、家がとなりだし、こうしていつでも会えるでしょ?」

「……そっか! ミユにいちゃん、モモをおいてどっかいかないでね!」


 そう言う桃香の笑顔はどこか恥ずかしそうで、だけど凄く嬉しそうだった。

 あの時初めて僕は桃香と一緒に笑って――本当の兄妹みたいに仲良くなれたんだ。



 目の前でシュンとしているクシナダに、僕は笑い掛ける。

「――大丈夫。僕は何処にも行かないから。だから安心してていいよ?」

「……え……本当、ですか……?」


 呆気に取られた顔で僕を見つめるクシナダ。僕はその手を取って笑う。

 きっと彼女は出会えなかった僕と桃香なんだ。どうやって触れあえばいいのかが分からない。でも僕と桃香は絵で繋がってそれをきっかけに仲良くなれた。

 きっとクシナダはアバターを作るのが楽しい事か分からなくなった。だから競う相手としてライバルが欲しいと願った。もし作るのが苦痛になればあの頃の僕みたいに拒絶する。

 僕は桃香がいてギリギリ繋がっていられた。でも彼女には僕みたいに『桃香』がいない。


「……あ、あの……チョメ子さん? すいません、私はこういう時、どうすれば……?」

「クシナダさん。僕達と一緒に『絵』を描きましょう。見た人が楽しいと思ってくれる、そんな『絵』を描くんです。まあ僕達の場合、絵じゃなくてアバターなんですけど」

「……他の方が、楽しんでくれる物……ですか?」

「ええ。さっきの子みたいに『使いたい』と思って貰える様に。そしてこうして一緒に遊んでみたいと思える様に。きっとそれが『アバター』を作る僕達の目標なんですよ」

 そう言うとクシナダは驚いた顔でじっと僕を見つめる。


「……そんな事、お姉さま以外の方に……初めて言われました……」

「え? お姉さんに、ですか?」

「ええ……少し違いますけれど……『先ずは楽しめ』、と……」

 恥ずかしそうに頬を薄っすらと染めるクシナダ。透明感のある肌がまるで壊れそうな小さな子供の様に見える。そんな彼女の手がチョメ子の手を両手で包み込むのが見える。

 現実の僕なら見ず知らずの女の子にそんな事されても絶対に困る。


――こんな処、桃香に見られたら大変だなあ……。


 やっと精神的に立ち直れたのかそんな余計な事を考えてしまった時だ。突然画面の中でCPチャットのマークが点滅する。その時の僕はそれがまさか、圏内にチームメンバーが近づいた事を示す表示だなんて知るよしもない。

 そして背後から幼さを含んだ声。聞き覚えのある声が路地に響いた。


「……もーチョメ子、あとちょっとで出番なのに何やっ――って……何、してるの?」

 そこには――フードで髪を隠したモカの姿があった。



「あ、モカ! もう大変だったんだよ……身動きが取れなくなって、それで――」


 モカは無言のまま僕とクシナダの方へと歩み寄ってくる。でもその目は僕を見ていない。

 僕とクシナダの手元を凝視している。やがてモカが頬を赤くしたまま拗ねた顔で繋がれた手を振り解く様に僕に抱きついてきた。途端に接触アラートが画面に表示される。

 そしてモカはクシナダを睨むと悲鳴みたいな声をあげた。


「――な、なぁにしてんのよ! み、ミユちゃんは、私のなんだからね!」

「ちょ――いや、モカ!? ぼ、僕の個人情報、勝手に言っちゃダメだって――」

「やかましい! ミユちゃんは私のなの! ミユちゃんミユちゃんミユちゃん!!」

「……ぐはぁっ……」


 桃香はどうもネットリテラシーと言うか決まり事を無視する事がある。一度じっくりと話す必要があるかもしれない。そう考えているとクシナダが小さく呟いた。


「――チョメ子さんは、『ミユさん』と仰るのですか……?」

「そうよ! そしてミユちゃんは私のなの!」

「ちょ、モカ!? だからリアルの情報出すの辞めてって……」

「何言ってんのよ、ミユちゃん!! 何、もしかして用事ってこういう事!? アバター設定調べるって言ってたのに……信じらんない!! こ、この……泥棒猫!! フーッ!!」

「い、今時そんな言い方するの初めて聞いたよ! それにモカの方が猫っぽいでしょ!」


 もう滅茶苦茶だ。折角いい感じで話をしていたのに台無しになった感じがする。桃香がここまで怒るとは思ってなかった。だけど出来れば桃香も彼女と仲良くなって欲しい。

 きっと友達になれば切磋琢磨しあって桃香自身も今よりずっと成長出来る筈だからだ。

 だから僕は何とかモカを押さえながら、誤解を解く為に説明しようとした。


「あの、えとね? クシナダさんはお友達になって、それで……」

「コッソリ会う『お友達』って何よ! それもこんな人のいない処で!」

「いやだから聞いてよ……ここには逃げてきただけで……」

「何、逃避行!? 愛の逃避行なの!?」

「だーかーら、なんでそんな古臭い言い方なの……」


 そんな風にモカとやかましくやり取りしている時だった。クシナダは俯いて何やら考えていたけれど、突然顔をあげたかと思うと僕とモカに向き合って小さく呟く。

「――そうですね……これから長く、良いお付き合いの為に私も名乗るべきですね」

「お、『お付き合い』って何よ!!」

「ちょ、だからモカはちょっと黙ってってば! え、クシナダさん、何を……?」

 興奮して騒ぐモカに戸惑う僕。クシナダは丁寧にお辞儀するとはっきりと口にした。


「……私、鳳龍院サクヤと申します。不束者ですがモカさんも宜しくお願い致します」

 それはどう聞いても彼女のリアル――本名だった。だけど彼女の苗字を聞いた途端、


――『鳳龍院』って……BD社の親会社!? それって……VRワールドの運営母体!?


 空いた口が塞がらない。だけど桃香は気付かずに興奮したまま止まらない。

「……な、なんで嫁入りみたいな自己紹介なのよ!? 何、私に対する挑戦なの!?」

「ま、待ってモカ! ちょっと待って! 今、彼女――」

「うっさい!! ミユちゃん、今からそっち行くから待ってなさい!!」

「――え、いやでも……ちょっと落ち着いてってば!!」


 そう言い捨てた途端モカの身体から力が抜ける。恐らく桃香がグラスを外したんだろう。

 傾くモカの身体を慌てて受け止めるとそれを見ていたクシナダが楽しそうに笑った。


「本当に仲良しですね。小さな姉妹みたいで微笑ましいです。ミユさん――失礼致しました、チョメ子さんを取られると思われたのでしょうね。やはり先程見た時も――」

「まあ似た感じですけど、だけどクシナダさん。リアル情報を言っちゃ駄目ですよ?」

 僕が困った顔で笑いながら言うとクシナダは小さく首を振ってやっぱり笑う。


「いいえ、初めてのお友達です。偶然にしろ知ってしまったのですから私もきちんと名乗るのが礼儀です。そう言う事ですので、どうぞ今後共よろしくお願い致しますね」

 だけどそれだけ言うと彼女は頭を下げて一人、僕に背を向けて路地を立ち去ろうとした。


「えと、あの……どちらに?」

「パートナーの方がいらしたのですし、私はこれにて。ステージ、頑張ってくださいね」

 嬉しそうに微笑むとそれだけ言い残して彼女は立ち去ってしまった。


 やがて――クシナダが立ち去って路地から姿が見えなくなった頃。ドカドカと勢いよく階段を駆け上がる音がしたかと思うと部屋の扉が思い切り激しく開かれた。そこには手にグラスを掴んだ桃香が立っていて怖い顔をしている。額にグラスを上げたまま何も言えずに居ると彼女は僕の背中に飛びついて、首筋に腕を回すと優しい声で尋ねる。


「――ねえ、ミユちゃん? ちゃんと説明して? どうしてあの女と一緒にいたの? もしかして……私に言えない事とかあるの?」

「だ、だからさ。ロビーで人に囲まれて動けない処を助けてくれたんだ。気分が悪くなって身動き出来なくて。クシナダさんが助けてくれなきゃ多分今も出られなかったよ?」

 何とかそう答えると彼女の顔つきが変わった。


「え……人に囲まれた、って……どう言う事?」

「ネットで書かれたみたいだね。いつもあの場所を使ってたから。マスコミの人まで来てちょっと大変だったよ。きっと怖い思いをしただろうから、桃香がいなくて良かったよ」


 流石に泣いた事とかその辺りは話す訳には行かない。言っても桃香を心配させるだけだ。

 でもそれを聞いた桃香の顔から血の気が引いて首筋に回された腕からも力が抜けた。


「え、大丈夫だったの!? ミユちゃん、気分が悪くなったって……!?」

「うん、今はもう平気。だけど現実じゃなくて人混みに酔うなんて思って無かったよ。割と強い方だと思ってたんだけど画面と音だけでもかなり酔っちゃう物なんだねえ」


 なるべく心配しない様に答えると僕は笑って見せた。まさかアバターの身体を撫で回されたとかマスコミに尋問されたなんてとても言えない。それを聞けば今の反応を見る限り桃香は絶対に突撃するに違いない。そう言う行動力があるのは今回散々思い知らされた。

 取り敢えず話題を変えないと――それで僕はわざと明るい口調で尋ねた。


「それより……舞台は? まだ時間は大丈夫なのかな?」

 桃香はハッとすると、グラスを掛けてホッとため息を吐き出す。

「……うん、まだちょっとは大丈夫。でもそろそろ行かなきゃ。さっきいた路地ってね、新しくなった舞台のすぐ近くなの。ブースの仕組みが変わってるし、早めに行こ?」

「そっか。んじゃあ急いで行ってみようか」


 そう答えると僕もグラスを掛けて再びあの路地へと戻った。

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