第14話 救い
翌日の土曜日、僕は舞台が始まる二〇時までひたすら設定とにらめっこしていた。
チョメ子とモカの特徴は感情表現の多彩さと肌の生々しさ。モデル自体はもう調整する余地が残っていない。これ以上突き詰めるとクシナダみたいに誰も触れなくなってしまう。
ベースアバターはそこに更に手を加える事を前提にした『未完成』な『完成品』だ。
感情表現と肌の質感は色艶やバリエーションで選択出来る余地だ。チョメ子やモカの個性を完成させても意味がない。利用者が触る余地を残す為に完璧にしない方がいい。
となると問題なのは皮膚の柔らかさ、質感、存在感のオプショナルな要素だ。三人組のアイドル達が胸を柔らかくしていたから設定出来る筈だ。だけどそれが見つからない。
調べているとメッセージ着信のサインが表示される。先に向かったモカ――桃香からだ。
《――エントリー終わったよ。そろそろ準備してログインしないとマズいかも? 土日で人が凄いから気をつけて。でもミユちゃん、来たらチョービックリするかも?》
慌てて確認するともう一九時半を過ぎている。時間切れか――今日の舞台までに設定したかったけれど仕方がない。ベッドの縁に背を預けると僕はログインボタンをタップした。
見慣れたロビーが目の前に広がる。ふと見下ろすと衣装は以前舞台に立った時のままだ。
――そう言えば着替える様に言われてたの、すっかり忘れてたな……。
再び目を閉じて今、自分はチョメ子で女の子だと強く意識する。最近はログインすると必ずやる呪文みたいな物だ。最近チョメ子でしかログインしないから常に『女らしく』を意識してしまう。そうして苦笑しながら目を開いた時、突然大きな声がロビーに響いた。
『チョメ子、キター!!』
「……えっ?」
訳が分からず周囲を見回すと大勢が一斉に僕を見る。その瞬間背筋に冷たい物が走った。
舞台の上ならまだしもここはプライベートカフェのロビーだ。いつもと比べて変に人が多い。更にカシャンカシャンと言う音。これは確かスクリーンショットの撮影音だ。
思わず竦んでしまっていると今度は画面に接触アラートが次々に表示される。
慌てて身体を見渡すと近付いてきた人達が勝手にチョメ子の身体に触りまくっていた。
「――だから言ったっしょー、前にここで見掛けたんだって!」
「――ちっこい方は? 一緒に居なくね?」
「――そっちは逃げられたよ。だから絶対来るって思ったね!」
沢山のアラートと一緒に画面にフレンド申請のカウンターが爆発的に増えていく。
視覚と聴覚しかない世界で身動きが取れない。アバターは衝突判定が設定されていて捕まると動けない――そんな事考える余裕もない。
思考がフリーズする。声が出ない。アバターを上手く動かせない。
そんな中でマイクのオブジェクトを持った人が近付いてきていきなり突きつけてきた。
「――すいません、『チョメ子』さんですよね!? 『チョメ子&モカ』の!!」
「……え……あ、あの……」
「日刊VR通信の者ですが、コメントを戴きたいんですがよろしいですか!?」
良いかと尋ねながら実際は僕の意思なんて関係ない。それが当然の義務の様にマイクを突きつけられた。だけど声が出ない。それは――あの時と全く同じだった。
大勢の大人に囲まれて。けたたましく尋ねられて。だけど尋ねるだけ。誰も助けようとはしない。頭の中で血がドクンドクンと流れる音だけが響く。きっと何を言ったって誰も聞いてくれない。質問だけが返ってきて放っておいてくれない。もう、いやだ――。
そうして――いつの間にか僕は目元を覆って俯いてしまっていた。真っ暗な画面の中でザワザワと人の声だけが聞こえてくる。きっとチョメ子も手で顔を覆っているんだろう。
そんな中それでも全然心配していない声だけが頭の上から降り注ぐ。
「すいません! 大丈夫ですか、チョメ子さん!?」
――うるさい。
「チョメ子しゃがんでどうしたん? 体調悪いとか?」
――うるさい、黙れ。
「動けよー、リアルじゃねーしアバター動かすだけだろー?」
――ダメだ。頭がまともに動いてくれない。もう、何も考えられない。
胸が苦しい。呼吸が出来ない。声も出ない。気が遠く、なって、いく――。
そんな時だった。全てのノイズを切り裂く様に冷たく澄んだ声が静かに響いたのは。
「――お退きなさい。私のお友達に無礼を働く事は許しませんよ――」
その声は鮮烈に凄まじい透明感を持ちながら辺り一体に響く。決して大きな声じゃないのにやたらと耳の奥で響きながら残響音を残して消えていく。それが消えた時、それまであった全ての音が消えてシンと静まり返った。その中でやっと僕の思考が動き始める。
――お友達? 僕を……『友達』だと言ってくれるのは、誰……なんだろう?
顔を上げると同時に目の前にかざされたベールが取り除かれる。チョメ子が手をどけたんだろう。そしてそこには僕を心配そうに覗き込む少女アバターの顔があった。
周囲の光を映す長髪がキラキラと輝いてやたらリアルな手が僕の頬に伸びてくる。
「……クシ、ナダ……さん?」
「大丈夫ですか? もしやと思い馳せ参じたのですが……どうやら良かった様で――」
僕が名を口にすると彼女の顔が優しげな微笑みに変わる。だけどそう言いかけて彼女は驚いた顔でじっと僕の――チョメ子の顔を見つめてきた。
「……あの……クシナダさん?」
「――あ、いえ……失礼しました。もう大丈夫ですよ?」
それだけ言って僕の手を取ると彼女は起き上がらせてくれる。
そんな彼女の背後から近付いて来る影――あのマスコミの人だ。さっきの様にマイクを向けながらクシナダを睨んでいる。さっき僕に向けていた表情とはまるで違っていた。
「――クシナダさん、どうして貴女がこちらに? やっぱりチョメ子さんと関係が?」
その目に僕は見覚えがあった。昔僕を評価した大人達と同じ、否定する目だ。思い出した途端に身を竦ませる。だけど僕の変化に気付いたクシナダは振り返ると小さな声で囁く。
(……ごめんなさい、チョメ子さん。私の所為でご迷惑をお掛けして申し訳ありません)
(……え? あの、それはどう言う――)
けれど彼女は僕の質問には答えず涼やかな目のまま記者に視線を向ける。その態度に僅かに身を引く記者の男アバターに対してクシナダは独り言を言う様に口を開いた。
「――ステージ前は誰だってナーバスになるものです。あなた方は彼女を応援したいのですか? それとも邪魔をして潰したいのですか? はっきりおっしゃい」
彼女の声は激しくもなければ感情も込められていない。ただ静かに言っているだけなのにガラスを打ち鳴らした様な清冽な音色が鋭く場を満たす。その声にロビーは大勢の人達がいるにも関わらずシンと静まり返っていた。例の記者も黙り込んでしまっている。
そんな中、悠然と何もない道を進む様にクシナダは僕の手を引いて歩き始める。
「さあ、チョメ子さん。参りましょうか?」
「……は、はい……」
そう言って歩き始めた途端、ロビーを埋め尽くしている人波が一斉に動き始める。まるでモーゼの十戒(じっかい)の様に引いて、綺麗に出口まで人垣の道が出来上がっていた。
その光景にビビりながら無言でついて歩いていると不意に背後から声が掛かる。
「クシナダさん。これはチョメ子さん――彼女だけでなく、是非とも貴女にもお伺いしたいんですよ。それだけで構いませんから、どうかお答え戴けませんか?」
さっきの『日刊VR通信』の記者だ。微妙に皮肉めいた慇懃な響きが混じっているのを聞く限り、何か含む処があるのかも知れない。
「……何でしょうか?」
無視するかに思えたクシナダはその場で立ち止まって振り返る。それを見て満足げな笑みを浮かべた記者がまるで断罪者が証拠を突きつける様な顔ではっきりと言った。
「今回。クシナダさんとそちらのチョメ子さん達がコンテストに参加されると言う事で、それ以外の参加者の殆どが参加を辞退していますが、それをどうお考えですか?」
それは初耳の事で僕にはとても信じられない話だった。クシナダさんならまだしも僕達が参加するから辞退する人がいるだなんてとても信じられない。だけど記者は話を続ける。
「クシナダさんもチョメ子さん――『チョメ子&モカ』のお二人も話題をさらい過ぎたんですよ。世界で支持されるアバターが三人もいる。それがコンテストで上位入賞しない筈がない。誰もがそう考えるでしょうね――プロが独占なんて酷い話だと思いませんか?」
それを聞いて僕は記者が単にカマを掛けただけだとすぐ分かった。
僕も桃香もプロじゃない。ズブの素人だ。それにクシナダだって以前高校生だと聞いた事があるしきっと嘘もついていない。だからあの時、僕に教えてくれた様に彼女はそれを否定するのかと思っていた。だけど彼女は僕を見ると微笑んで――
「――それは私共が預かり知らぬ事です。参加も不参加も自由ですよ? それに私が参加してもチョメ子さん達の様に……諦めず参加を選ばれた方だっていらっしゃいます」
彼女が静かにそう告げた途端記者は再び黙り込んだ。
だけど――なんだろう? さっきからクシナダがやたらと僕の顔を覗き込む。それを見ては笑顔を見せたり心配そうな顔をしたりと反応している理由がよく分からない。そんな事を考えていると例の記者が憤慨した様な大きな声を突然上げた。
「……あ、貴女方がプロだと言う噂も出回っているんですよ!? プロが参加する事は違反じゃない、でも場を荒らすのはアマチュアがプロになる道を奪う事になりませんかね!?」
それは感情が込められた悪意とも言える一言だった。
糾弾する為の悪意は簡単に周囲に感染していく。事実を知らなくてもそれが悪い事だと思われれば人は簡単にその悪意に同意する。そうなれば悪意は悪意でなく『正義』だ。僕はそれを中学最後のコンクールでされた。最初は何を言われているのか訳が分からなかった。だけどそれを周囲が納得し始めて気が付くと僕が間違っている事にされていたのだ。
――クシナダだって、こんな事を言われたらきっと……。
彼女は僕の視線に気付いて振り返った。その表情は険しかったけど僕を見た途端驚いた顔に変わる。細い指先が僕の額に触れると優しく撫でる。同時に彼女は安心させる様に優しげな――いや、自信に満ち溢れた笑みに変わった。
「……それは随分と愉快なお話です。プロだと思われるなら参加してはならないと仰るのですか、貴方は? 私共が努力していないと? 才能があるからやるなと? だからこの程度の事で逃げ出す方に道を譲り、立てるべきだと? 愚かしいにも程がありますね?」
それを聞いて記者アバターは怒りの感情を浮かべた。デフォルトでそれだけ分かると言う事は相当頭にキてるんだろう。静かだった周囲にいる人達もザワザワとざわめき始める。
「……それが本音ですか? プロとしてそう言うお考えだと、そう言う事ですね?」
まるで念を押す様に記者の口元が楽しげに開いた。周囲からも戸惑いの声が出始める。
そんな時、クシナダがさも楽しげな顔になってポツリと声を漏らした。
「……真に残念ですが」
「おっと、もう遅いですよ? 既にこちらは生配信されていますからね!」
だけど声を遮られながらもクシナダは満面に穏やかな笑みを浮かべる。
「……残念ですが、私もチョメ子さん達もプロではなく素人です。努力と研鑽を重ねた上でようやくこの場所まで辿り着けました。これからコンテストも佳境、プロ相手にどれ程通用するか分かりませんが皆様、どうぞご声援賜ります様謹んでお願い申し上げますね」
クリアな声がそう告げて記者アバターは呆然とした顔に変わった。開いた口が塞がらないと言うのはどうやら本当らしい。アバターの口が半開きになったまま微動だにしない。
笑みを浮かべたままクシナダは再び歩き始めた。手を引かれたまま僕も黙って続く。
そしてロビーの入り口を出て表通りに足を踏み出した時だった。不意に背後からチョメ子の名を呼ぶ知らない声が聞こえてきたのだ。
「――チョメ子ちゃん、頑張って! 私もそのアバター、使ってみたい!」
クシナダに引っ張られながら振り返るとロビーの入り口に身長の低い少女アバターが立っていた。声も少し幼くて中学生位だろうか。そんな風に言われた事が無い僕はどうすればいいのか分からずクシナダの顔と後ろを交互に見る。そんな僕を見てクシナダは楽しげに笑った。
「……ふふ、チョメ子さんは人気者ですね。私はそんな事、言われた事がありません」
そう言って彼女は立ち止まり僕に微笑み掛ける。その顔が『応えるべきだ』と言っている様に見えて僕は後ろを振り返ると頭を下げて大きな声で答えた。
「――はい、頑張ります! 有難うございます!」
そして再びクシナダと僕は歩き始める。後ろから女の子の喜ぶ声と共に大勢の拍手が聞こえたけれど、それがあの女の子の勇気に向けられた物なのかまでは分からなかった。
*
表通りから細い路地を抜けて幾つもの角を曲がった処でクシナダは立ち止まる。僕は後に続きながら俯いて泣いていた。悲しいんじゃない。ただ嬉しかったからだ。
これまで僕はこんな風に助けて貰った事がなかった。それにあの女の子アバター。あんな風に声を掛けるのは勇気が必要だった筈だ。あの子は僕の為に勇気を振り絞ってくれた。
俯いた頬に手を触れられて僕は顔を上げる。クシナダは僕を見て驚いてから微笑んだ。
「貴女の表情に人は惹かれます。それはここには無いから。でもまさか涙も流すなんて」
「え……僕、今……泣いて、ますか?」
「ええ。嬉しそうに笑いながら。だけど辛そうに。涙が流れています」
僕は慌てて目元を拭う。そう言えば喜怒哀楽の表情をつける為に設定に無かった泣き顔と涙もエフェクトに入れたんだった。まさかこの場面で表現されるとは思って無かった。
と言うか……物凄く恥ずかしい! 桃香が嫌がる理由を思い知らされた気がする!
彼女がずっと僕の顔を気にして見ていたのはそう言う事だったのか!
「……あ、あの……僕、ロビーにいる時から泣いてました……?」
「いいえ? 辛そうでしたけど涙はあの女の子に応援された後から……でしょうか?」
一瞬ホッとしかけて『辛そうだった』と言う一言で再びダメージを受ける。女の子の前で泣くだけでも恥ずかしいのに辛そうだったと言われるともっとキツイ。もう消えたい。
だけど両手で顔を覆って悶える僕にクシナダは申し訳なさそうな声で告げた。
「――チョメ子さん、本当にごめんなさい! 全部、私の所為です!」
「……え? えっと、あの……クシナダさん?」
さっきまでの毅然とした態度がまるで嘘みたいに彼女は普通の女の子っぽく変わった。
「……私、お姉さまに叱られたんです。チョメ子さん達に近付いた事がバレてしまって、きっとこうなるって。私、舞い上がっていたみたいです……本当にごめんなさい!」
「えっと……お姉さん、ですか? でも叱られた、って……?」
「……私の知人だと思われれば世間の皆様はきっとチョメ子さん達に必要以上に興味を持たれてしまいます。この『クシナダ』はとても有名になってしまいましたから……」
彼女は胸に手を当てて言い難そうに話す。それを聞いて事情が理解出来た気がした。
彼女、『クシナダ』は謎の多いアバターだ。インタビューを受ける事が無いしすぐに姿を眩ましてしまう。神出鬼没で外見も凄まじいインパクトがある。その彼女が突然僕達の舞台で演奏してくれた。その後話している場面も目撃されてその時の画像が出回っている。
つまり僕達はクシナダの煽りを受けて異常に注目されてしまった、と言う事だった。
道理であんな滅茶苦茶な目立ち方をした訳だ。桃香が知れば怒るかも知れないけど理由がはっきりして僕は少しスッキリした気分だ。
「こちらこそ、クシナダさんには助けて貰ってばかりで。本当に有難うございます」
だけど晴れやかな気持ちで僕がそう言うと、彼女は逆に少し沈んだ様子へと変わる。
「……チョメ子さんはこんな私と『お友達』になってくださいました。ですからお姉さまが仰ったみたいに……チョメ子さんは、居なくなったりはされないですよね?」
「え? えっと……居なくなる、って……?」
「……ずっといてくださいますよね? 姿をくらましてしまわれないですよね?」
しっかりした女の子と言う印象とは違う、まるで小さな女の子が初めて出来た友達と会えなくなる事を恐れている様な……そんな少し怯えの混じった表情に僕は言葉を失くす。
それは昔、桃香が言った言葉に似ていたからだ。
今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て僕は桃香と初めて会った時を思い出していた。
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