第11話 ライバルとサーバーダウン

「――時間です。出番が終わったなら舞台を降りて、次の出演者に道を開けなさい」


 凄まじい程に研ぎ澄まされたクリアな少女の声にざわめいていたブース周辺が一斉にシンと静まり返った。何もそんな大きな声じゃない。音量と言うよりも音質。声の圧力と言うべきか。一斉に周囲の視線が声がした方へと向き、僕とモカも視線を向けた。そこには一人の少女アバターが片手に楽器ケース、片手で頭の帽子を押さえて立っている。


 少女の周囲から一斉に人が離れてまるで水面の油だ。少女が被っていた帽子を取った途端するんと髪が流れ落ちて周囲の光を映しながら夜空の星の様にキラキラと瞬く。

 静まり返った中で誰かが呟く声が聞こえた。


「……く、『クシナダ』だ……!?」


 その呟きは凪いだ水面に赤いインクを落とした様に凄い速さで広がっていく。ざわめく声の波が伝わる中その少女アバター――クシナダがじっと僕達を見つめていた。その視線に気付いた人達が慌てて道を開け始める。そうやって気がつくと僕とモカがいる場所まで一直線に人垣の道が出来上がっていた。


「――貴女達の出番なのでしょう? ええと……チョメ子さん、モカさん?」


 恐ろしくクリアな声が響いて再び周囲のざわめきが沈黙へと変わった。少女の瞳は真っ直ぐ僕を見ている。周囲も成り行きを見守っている。隣にいるモカもまさかこんな形で注目されるとは思っていなかったんだろう。はっきり分かる位真っ青な顔になって俯いてしまっている。僕はモカを庇って前に立つとCPチャットをオフに切り替えて少女に尋ねた。


「……ええと、クシナダさん。どうして僕……私達の名前をご存知なんですか?」


 不思議だ。自分以外の誰かが怯えていると逆に変に冷静になってくる。隣で怯えた様に青くなったモカがいて、そのお陰でなんとか目の前の有名人に普通に言い返せていた。

 僕が尋ねるとクシナダは楽しそうに微笑んでステージの端を指差す。


「あそこに……次の出演者のお名前が表示されていますよ?」


 慌ててその方向を見ると確かに『チョメ子&モカ』と言う文字が表示されている。それで納得しそうになったけどすぐにおかしい事に気がついた。


「え、でも……どうしてそれが私達だと分かったんですか?」


 VRワールドでは他人の名前は表示されない。フレンドになって初めてやっと相手の名前を確認出来る。だから名前が分かったとしてもそれを僕達と繋げられる筈が無い。

 しかしクシナダは首を傾げて微笑むと――


「――先日、私の舞台を見て下さったでしょう? それでもしやと思ったのです。さあ、お聞かせください。その素敵なお声で歌われるのでしょう? その為に伺ったのです」


 その言葉に僕は本気で驚いた。一度だけ彼女のステージを見た事があるけど、まさかその時に見られて憶えられているとは思わなかった。だけど更に尋ねようとした時。


《――出演時間です。間もなく舞台袖へ転送します。立ちくらみにご注意ください――》


 グラスに表示が現れたかと思うといきなり薄暗い場所に『移動』させられていた。

 慌てて周囲を見渡すとすぐ傍に明るい舞台が見える。そこにはあの三人――『モリグナ』が観客席の方を睨んでいるのが見えた。それは余りにも突然過ぎて声が出せない。

 VRワールドには瞬間移動の機能は無かった筈だ。なのにまさか舞台にエントリーしていると時間になれば強制的に移動されるとは思っていなかった。


 隣で今も気分が悪そうなモカを支えていると正面から三人が歩いてくる。脇を通り抜ける時『モリグナ』の人が申し訳なさそうに声を掛けてきた。


「……マジごめんね? なんだか調子に乗っちゃったみたいで……」

「あ、いえ……」


 短い赤毛の少女にそう言われて思わず頭を下げる。だけどその後に続いた長髪の少女が目の前までやってくると突然立ち止まった。不機嫌そうにじっと僕を睨む。


「……貴女、クシナダのお知り合いか何かですの?」

「え……いえ、さっき突然声を掛けられただけですけど……?」

「本当に!? 本当にですの!?」


 訳が分からず戸惑う僕に長髪の彼女は納得出来ない顔で詰め寄ってくる。だけど言葉に詰まった僕を見て更にその後ろから続いてきたツーテールの少女がボソッと小さく呟いた。


「……モリアン、超邪魔……」

「な、何を言いますの、ネヴァン!?」

「……じゃなくて……二人共これから舞台でしょ……」

「はうっ……」


 舞台ではもっと明るくて如何にもアイドルと言った印象だったのにツーテールの子は随分と雰囲気が違う。気怠そうな顔つきで軽く頭を下げると無愛想な声でボソリと呟いた。


「……ごめんね? んじゃまあ、頑張って……」

「……も、申し訳、ございません、でしたわ……」


 結局長髪の子も不満そうなまま頭を下げる。そのまま入り口で待っていたショートカットの子と合流すると何やら騒がしく話しながら出ていってしまう。そんな光景に僕はただ呆然と口を開いたまま眺める事しか出来なかった。


――案外悪い人達じゃないのかも……桃香が思ってる程、性質が悪いって感じじゃ……。


 と、そう思った途端隣で震えるモカを思い出して慌てて顔を向けた。今もブルブルと震えて顔をあげられないままモカは僕の腕にしがみついている。

「……モカ、大丈夫?」


 自分の肩を抱いたモカはそれでやっと顔を上げた。今にも泣き出しそうな不安に打ちひしがれた表情だ。アバターは脳波によってユーザーの心象をそのまま行動に反映する。


「……モカ、出番みたいなんだけど……大丈夫? 歌える?」

 そう尋ねるとモカの細い指が自分の腕を握りしめた。がくがくと震える指先はとても歌える様には見えない。そして案の定、彼女は黙ったまま小さく首を横に振った。

 顔を向けると舞台の上は薄暗く観客もシンと静まり返っている。あんなに騒がしかったのにまるで嘘みたいに静かだ。静か過ぎて処刑台に向かう咎人の諦めた心境になってくる。

 確か出演者が入れ替わる為に五分のインターバルがあった筈だ。もしやるなら今ここで覚悟を決めるしかない。こうなるともう『無理だから辞める』なんて出来そうもない。

 そして逡巡していると震えていたモカが小さく呟く声が聞こえた。


「……ごめんね、ミユちゃん……」

「いいよ。仕方ないよ。何とかならないか考えてみるから……」

「……あ、あの時、ミユちゃん……こんな思いしてたの……知らなかった……」


 あの時――そう言われて初めて桃香が今味わっている事が理解出来た。それは僕が中学の頃嫌という程味わった事だ。大勢の知らない人達に好奇の目を向けられる『恐怖』。クシナダはきっと相当な有名人だ。そして彼女から名指しされた僕達は周囲にいた人達の興味を引いてしまった。剥き出しの好奇心には優しさも思いやりも無い。

 日本のVRワールドには視覚と聴覚しかない。だから余計に誰も遠慮してくれない。きっと桃香はそんな容赦の無い気配を感じ取ってしまったんだろう。

 泣きそうな顔で俯いたモカを僕はそっと抱きしめると、その耳元で小さく呟いた。


「――ねえ桃香、聞こえてる? 大丈夫だよ。一人じゃない。今は僕が一緒にいるから」

「……え……」

 掠れる声でおっかなびっくり顔を上げたモカは真っ青なまま酷い顔だ。だから僕は彼女を安心させる様に出来るだけ優しく励ます様に笑みを浮かべて言った。


「さあ、僕達の出番だよ。僕がメインを歌うから、出来たらサブを歌ってね?」

「……え、でも……ミユちゃん……?」


 そして僕は怯える彼女の手を引いて今も暗く照明が落ちた舞台へと足を踏み出した。

 舞台の上に立った途端観客の方からまばらな拍手が聞こえる。さっきの騒ぎの所為か観客は多いのに本当にまばらで殆どの人が興味だけで見ているのが分かる。そして最前列はハッピ姿の人達が占拠していて腕を組んで仏頂面だ。きっとアンコールを邪魔された事で怒っているんだろう。いつ罵声を浴びせ掛けられてもおかしくない雰囲気が漂っていた。


 そして視線に気付いたモカの動きが一層萎縮してしまう。現実なら感情を抑えられるのに脳波じゃそれが出来ない。意識が萎縮すればアバターにダイレクトに表現されてしまう。

 だけど僕は正直、少しだけその事に感謝していた。

 隣で桃香――モカが震えているお陰で僕は冷静でいられる。僕自身歌が下手だと自覚しているし罵倒されて当然だから開き直っていられる。


 マイクオブジェクトを持っていないからこのまま歌うしか無い。仕方無くグラスの中でボイス・アンプのゲージをこれまでより三段階程上げる。簡単なスポット照明が点灯しているのはきっと自動処理なんだろう。僕達には知識が無いからとても助かる。

 準備を進める中で観客席が僅かにざわめき始めた。きっと演目が始まらないからだ。


(……あいつら、クシナダの知り合いだったのか……道理で……)

(……やっべぇだろ、あれ……下手したらクシナダより凄えかも……)

(……でもこれ、どうすんだろう? もうグダグダ感半端無いし……)


 そんな囁きが聞こえて僕は思わず笑ってしまった。中学の時に出した絵画コンクールの時と全く同じ反応だったからだ。あの時僕は親に黙って出したから誰も注目していなかった。無名の人間が出た時、世間は称賛では無く戸惑いで返す。僕は身をもって知っていた。

 観客席のざわめきが大きくなっていく。それがピークに達する頃。最前列に並ぶハッピ姿の一人が突然罵声を浴びせる様に野次の声を上げようとした。

「おいおい、何だよ! 待ってんのに歌わねぇのかよ!? さっさと――」


――よぉし、やってやる!! どうなっても構うもんか!!

 その瞬間。僕は思い切り空気を吸い込むと目を閉じたまま歌い始めた。


 歌い始めた途端、世界から音が完全に消えた。自分の声しか聞こえて来ない。

 そう言えば音声反響モードをオフにしたままだった。だけど別に構わない。雑音なんて何も聞こえない。不要な物をチョメ子の声で消してやる。音、声、言葉、雑音――全てのノイズを上書きする事だけを考えて歌い続ける。


 やがて僕の声に重なって、頼りないモカの歌声が追い掛けてくるのが聞こえた。

 パブリックドメインの童謡、『紅葉』。今はまだそれしか僕達に歌える物がない。だからこの一曲さえ歌いきればそれで終わり――だけど一番が終わる手前で突然、少し離れた処からヴァイオリンの物悲しい旋律が上がり僕は思わず薄目を開いた。


――誰だろう、これは……僕達の歌に合わせて演奏してくれてる?


 静かに聞こえるヴァイオリンの音を頼りに出処を探す。すると舞台のすぐ脇に設置されているブース――多分演劇の演奏者用ブースだ――にキラキラと虹色に輝く長髪が見えた。

 あれはクシナダだ。彼女が僕達の伴奏を演奏してくれている。あの『ワンマン・オーケストラ』は見えない。ただ古びた一挺のヴァイオリンの音色だけが静かに響く。

 そして全てを歌い切った後――世界は静まり返ったままで音が戻ってくる事はなかった。


 全てが終わった後――周囲は静かなままで喧騒どころか囁き声も聞こえてこない。

 流石に罵声すら聞こえない事に違和感を憶えて閉じた目をそっと開く。けれどそこに見えた光景に息を飲んでしまう。そこにはただ口を開けて立ち尽くす観客達の姿があった。

 誰も動かない。そして静止した世界の中で、何処からか近付いてくる物音が聞こえる。


「――ミユちゃん! ミユちゃんミユちゃんミユちゃん!!」

 突然身体に柔らかく温かい感触が抱きついてきて僕は飛び上がりそうになった。焦りながら視線を向けると画面の中でモカが僕に抱きついているのが見える。けどおかしい。フルダイブ型ならまだしも僕には『実際に抱きつかれている』と言う感覚があったからだ。

 頬に当たる柔らかい感触に手を伸ばすと同時に小さく恥ずかしそうな悲鳴が聞こえた。

「……ひぅ……」


――モカの声じゃない。これは――。


 それでスマートグラスを持ち上げるとそこにはパジャマ姿の桃香がいた。僕の手が彼女の胸元を掴んでいる。だけど彼女は構わず僕の頭を抱き締め続けて僕は慌てた声を上げた。


「ちょ――え、も、もも、桃香!? え、なんで!? なんでここにいるのッ!?」

 軽いパニックを起こした僕の喉からは悲鳴みたいなセリフしか出てこない。

 だけど桃香は興奮気味でやがて泣き声に変わる。そのまま僕の胸元に抱きついてきた。

「……うぇぇ、よかった、よかったよぅ……」


 状況を理解しようと考えているとグラスのヘッドフォン部分から変な音が聞こえてくる。

 ブツブツと途切れるノイズと歓声の声が断片的に聞こえる。グラスをつけると相変わらず観客は動いていない。だけど声だけがブツブツと途切れながら不規則に聞こえてくる。


――これ、もしかして……VRワールドが処理落ちしてる!?


 よく見ると観客も途切れ途切れに動いては止まるのを繰り返している。今までこんなのは一度だって見た事が無い。回線が切れたのかと一瞬思ったけどその場合は即座にアバター選択画面に戻される筈だ。それに桃香のグラスからもブツブツと音が聞こえ続けている。

 じゃあこれは一体――そんな時コマ送りの世界の中で唯一滑らかに動く人影が見えた。


「……く、クシナダさん……」

 思わず名を呼んで自分の手を見ると同じく滑らかに動いている。抱きついているモカも同じくスムースなままだ。傍だけ処理を優先してそれ以外を遮断しているのかもしれない。

 僕はグラス画面に映る光景、観客を見回すと近付いてくるクシナダを見つめる。そんな僕に彼女『クシナダ』は柔らかい笑みを浮かべて話し掛けてきた。


「――やっぱり……貴女はアバター・コンテストの参加者の方だったのですね?」

「え、あの……クシナダさん……そうですけど、これは一体……?」

「申し訳ありません。私にも分かりかねます」


 手が届く処に立つクシナダは余りにも自然過ぎる。虚構でありながら実在する様でとてもアバターには見えない。そしてある事に気付いて僕は胸に抱えていた物を思わず強く抱き締めた。


――これは……クシナダはフルカスタム、独自モデルオートクチュールだ……!!


 アバターエディットには幾つか方法が存在する。一番簡単で基礎的なのがデフォルトモデルを『改造』する事だけど逆に最も難易度の高い作成方法がある。それは専用機材を使って『ゼロからモデルを作成する』、何も無い処からアバターを作る方法だ。

 VRワールドでのアバターは通常のポリゴンモデルとは違う。だから開発には専用機器と専用アプリケーションが必要だ。でも非常に高価で最低の構成でも軽く一〇〇万を超えると言われている。そんな大金を掛けられるのは原則『プロフェッショナル』しかいない。


「……クシナダさん、貴女は……プロのアバター・デザイナー、なんですか……?」


 思わず尋ねてから僕は後悔した。常識としてワールド内で相手のリアル、プライバシーを聞くのはマナー違反だ。それでも僕は尋ねずにいられなかった。現在日本でプロのアバター・デザイナーは数える程しかいない希少職だ。実際デフォルトモデル作成者は『アマノ』と言うデザイナーでそれ以外の情報が一切公表されていない。それが苗字なのか名前なのかすら分かっていないし性別や年齢も全てが非公開で『ほぼ唯一』のデザイナーだ。

 だけどクシナダは少し困った様に首を傾げると僕を見つめながら笑った。


「……いいえ。私は高等部二年です。ですがやられました。アバターもそうですが正に魔性の声、まるでローレライの様……見るだけのつもりが演奏させられていました。頭に低音が響いてきてとても心地良いと言うか、気持ち良いと言うか……抗えない感じで……」


 そう言うとクシナダは恥ずかしそうに両手で顔を覆ってしまう。隙間から見える顔が赤く染まっている。それは驚異的な事だ。アバターがこんな反応を見せる事はあり得ない。

 ここまで完成度の高いアバターを作る人に褒めらるのは素直に嬉しい。むず痒い感覚を感じながら思わず抱きしめる腕に力が入ってしまう。

 少ししてから咳払いすると、再びクシナダは口を開いた。


「……お恥ずかしい処をお見せしました。それであの……チョメ子さん。大変不躾で申し訳ありませんが……その、貴女……私の好敵手ライバルになって下さいませんか?」

「……へ? えっと……はい?」


 いきなり言われて僕は呆気に取られた。まさかそんな事を言われると思っていなかった。

 だけどクシナダは真剣そのもの。大体こんな腰の低いライバル宣言なんて聞いた事も無いし僕の腕は明らかに劣っている。なんとも言えず黙っていると彼女は表情を曇らせる。


「あの、駄目でしょうか? すいません、私余りこう言った事が得意では無くて……」

「え、あ、そうじゃなくて。えっと……普通ライバルなんてもっと自然になる物ですし、こんな風に『お友達になりましょう』みたいに言う物なのかなって考えてしまって……」

 困りながら何とかそう答えると今度はクシナダが惚けた顔つきに変わる。


「え……お、『お友達』ですか? それは……考えた事もありませんでした……」

「あ、まあその……ライバルって仲良しな友人同士になったりしますし?」

「そう言えば私、こんな風に……普通にどなたかとお話したのは初めてですね……」


 彼女は俯きがちに恥じ入る様に小さく呟く。その仕草を見て以前桃香が『クシナダは自分と同じ女だ』と言っていた事を思い出していた。

 人見知りの女の子――一緒に遊ぶ友達がいない。周囲にも誰もいない。そんな境遇にあった桃香と出会って仲良くなった。僕は初めて桃香と出会った時を思い出してクシナダをじっと見つめる。思わず笑みを浮かべながらそのまま僕は彼女に右手を差し出していた。その手をじっと見つめながらクシナダは良く分からないと言う顔で首を傾げる。


「――先ず、お友達になりましょう? そこから競い合うライバルになれますから」

「……え……そ、そう言う物なのですか?」

「ええ、知らない人同士じゃライバルになりません。最初に相手を意識して仲良くなってからお互いに切磋琢磨するんです。それで良ければ、お友達になりましょう?」


 僕がそう言うとクシナダはまるで小さな女の子が初めてそんな事を言われた様にキョトンとした表情に変わる。だけどそこから何とも言えない嬉しそうな笑みに変わると、


「は、はい! それではよろしくお願い致します! チョメ子さん、今後私と貴女達はお友達でライバルです! 不束者ですがどうぞよしなに、幾久しくお付き合いください!」


 そう言って差し出した僕の手を恐る恐る掴んだ。だけどその手を見て再び驚く。現実の様に掌には関節のシワが見える。ここまで作り込んだアバターは見た事も聞いた事もない。


「……凄い、ですね……これ、一体どうやって作られたんです?」

「はい? ええと……何がでしょうか?」

 尋ねても彼女は分かっていないのか不思議そうな顔で首を傾げるだけだ。


 だけどそんな時、突然グラスの画面から映像と音の全てが消滅した。

 余りにも唐突過ぎて反応出来ずにいると続いて視界にメッセージテキストが表示される。

《――負荷軽減の為、臨時メンテナンスを実施致します。どうぞご了承ください――》


――やっぱりサーバーが処理落ちしてたのか……。


 ため息を付いてグラスを外す。しかしそこに現れた現実を目にした途端ぎょっとした。

 僕の腕の中で抱きしめられた桃香がうっとりとした顔で頬を朱に染めていたのだ。それも全身から力が抜けていてまるで気を失った様にぐったりと身体を僕に預けている。とても幸せそうに薄ら笑いを浮かべながら。


「――ちょ、え……も、桃香? あれ? えっと……お、おーい?」


 ……結局。僕は何故か力尽きてしまった桃香を介抱する羽目になってしまった。

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