第8話 致命的な問題点

 人の姿が減った広場の中を僕とモカは二人トボトボと歩いていた。


 あの少女アバター『クシナダ』の動き、自然な振る舞いは余りにも完璧過ぎてもう溜息しか出て来ない。あれはアバター製作者が目指す完成形と言っていいかも知れない。


 そんな僕の後ろをモカは思案顔で付いてくる。きっと彼女も同じアバターを作る立場だから何か思う事があったんだろう。俯きながら何やら考えている。

 そしてパートナーカフェのロビーに戻ってそのままモカの部屋に入る。床に座った僕はグラスの下でじっと目を閉じて考え始めた。


――どうすればあんなアバターが作れるんだ?


 実際の人間みたいに皮膚や脂肪があって筋肉がある。指を動かせばそれが見て分かる。

 だけどそれを一体どうやって作ったのかが分からない。僕にとって全く未知の領域だ。

 そして目を開けてみるとモカがベッドの縁に腰掛けて渋い顔で僕を見つめていた。


「……あ、えっと……どうしたの、モカ?」

「……んー……」


 だけどモカは渋い声で唸るだけでずっと何かを考え続けている。

 そりゃそうだ。あんな物を見てしまって考え込まない筈がない。僕達はコンテストに出る為に下見に行ったのにその先でとんでもないアバターを見せつけられたのだから。


――あれにはきっと、絶対に勝てない。


 そんな思いが脳裏をよぎる。僕は頭を振って浮かんだ考えを追い払う。それでもモカはひたすら無言で、ただ重い空気だけが部屋の中で流れていく。

 やがてモカががっくりと脱力した様に組んでいた足を解いて床の上に腰掛けた。


「――ねえ、ミユちゃん? 凄く言い難い事、なんだけど……」

 桃香もあれは勝てないと思ったのかも知れない。もしクシナダがコンテストに参加するなら十中八九勝てない。僕は覚悟を決めると座り直して真正面からモカの顔を見た。

 もし辞めようと言うならそれも仕方ない。そう覚悟しながら僕は返事をする。


「……うん、何?」

「……私ね。チョメ子の弱点、超気付いちゃった……」


 やっぱり――そんな思いに僕は酷く落ち込み始める。今の僕のままじゃあのアバターには太刀打ち出来ない。きっと桃香もそう考えたに違いない。

「……うん、そうだね。今の僕の腕じゃ、クシナダには全然及ばないよ……」


 だけどそう言うとモカの顔が訝しげな表情に変わった。

「……は? え、何言ってんの、ミユちゃん?」

「え? だってあのアバター、出来が凄過ぎて対抗策が思いつかないからさ……」

「別に……私、そう言う意味じゃ今のままで全然問題ないと思ってるんだけど?」

「うん、やっぱりそうだよね――って……へ?」


 キョトンとしたモカに同じく呆気に取られる僕。その瞬間それまで頭の中でグルグル回っていた苦悩が急ブレーキを掛けた。どうしよう、彼女が一体何を言っているのか全く理解出来ない。今のままでいいって一体どういう事?

 だけど彼女は思考停止した僕を他所に勝手に続きを話し始める。


「うん、それでね。これはミユちゃんの腕じゃなくて、ミユちゃん自身の――」

「ちょ――ちょっと待って? え、桃香、あの『クシナダ』に勝てないと思ったんじゃないの!? 僕の弱点!? ちょ、ごめん、桃香が何言いたいのか全然分かんないんだけど!?」


 それで僕が考えていた事を全部話しても彼女の呆れた顔は変わらなかった。何も言えずその場に正座して必死に考えているとモカが呆れた声を上げる。


「――あのさ? あんなの髪に環境光設定して最大値にすれば出来るの。別に大した事はしてないしパッと見た目には派手だけどそれだけでしょ?」

「い、いや、でも髪とか筋肉とか、リアルさとかさ!?」

「何言ってんのよ。リアルに作ればリアル、なんて当然でしょ? アバターコンテストなんだから技術勝負じゃないじゃん? 要するに『らしく見える』かが重要なんでしょ?」

「……うっ」


 そう言われて僕は呻き声を上げた。確かに何の勝負かを勘違いしていた。桃香が言う通りこれは『アバター勝負』で『リアル再現勝負』じゃないのだ。極端な話、ただリアルにするだけなら人体の骨格を作って筋肉、脂肪、皮膚を医学的に再現すれば完成して終わる。

 だけどこれは『アバター』のコンテストだ。リアルさの再現を競う勝負じゃない。


「……男の子ってそう言う部分、夢中になって突き詰めるの好きだよねぇ」

「う……ご、ごめん、つい……」


 桃香――モカは呆れながらそう言うと真面目な顔になって話し始めた。

「チョメ子もモカもアバターとしては問題ないの。それにあのクシナダって子、多分リアルも私と同じ女よ。そのお陰でミユちゃんの致命的な問題点に気付いたんだけどね?」

「……えっと、ごめん。それでも良く分からないんだけど……?」

「だからそれを説明するんじゃない。ズバリ――チョメ子の動きは女の子じゃないのよ」

「……へ? えっと……それはつまり、どう言う……?」

「だからね。チョメ子はパッと見て美人だし女の子なのよ。声も中性的で可愛いんだけど、動きが完全にミユちゃん、『男の子』なのよ。歩き方も仕草も全部ね?」

 そう言って溜息を付くと彼女は床に女の子座りをして説明を始めた。


 基本的にVRワールドでアバターは脳波コントロールで操作される。そして日本では原則フルダイブ型は禁止されていて『非経験型』しか存在しない。だから女性らしく振る舞おうにも実体験が伴わないから『女性らしい動き』が一切経験出来ない。


 例えば女性はヒールの高い靴を履く事が多い。だから『ヒールのある女性靴』を履いた状態での歩き方、振る舞い方を身体で覚えて理解しているから自然と振る舞える。

 でも男にはそれがないから分からない。ヒールのある靴を履いて歩く時に注意しなければいけない事が一切分かってないから『らしく』、自然に振る舞えないのだ。


 普通、脳波コントロールでは『歩く』事を考えれば普通に歩く。でもそれは実際にユーザーが経験した歩き方でシステムが自動的にアバターの性別に合わせてくれる訳じゃない。

 泳げない人は泳ぎ方を知らないから泳げないまま、なのだ。

 これがVRワールドでどう処理されるかと言うと不自然な挙動で現れる。

 例えば――


「――例えばね? さっき、戻って来る時に私、チョメ子の足元をずっと見てたの。そしたら男の子みたいに歩いてる上、ヒールが地面にめり込んでたのよね……」

「そ、そうか……そう言う事なのか……脳波コントロール、『非経験型』って……普通なら躓いたり転倒するのにしないから、いつも通りに歩いちゃうのか……」


 考えてみればいちいち物理演算なんてしたらスーパーコンピューターでも処理が追いつかない筈だ。現在のVRワールド利用者は既に五千万人を越えている。ユーザーの経験した事しか再現されない事が逆に『制限』になっている。だから空は飛べないしユーザーが未経験だと再現出来ない。脳波コントロールと言うシステム的な制限でユーザーはあくまで『現実』と同じ事しか出来ないのだ。

 それを理解した時、僕は……桃香が言う問題の対処方法を思いつく事が出来なかった。


「えっと……じゃあさ? ヒールがある靴を履かなきゃいいんじゃ……?」

 だけどモカは深刻な表情のまま首を横に振る。

「舞台だから無理。スニーカーとかサンダルならマシかもだけど根本的にね。大体ここで女物ってヒールがあるのばっかりよ? ミュール、ローファー、サンダルもヒールがあるの多いし」

「……く、靴でまさか、そんな問題が出るだなんて……」


「あ、当然靴だけじゃないよ? 座り方とか歩き方、腕の組み方とか? スカートだと座る時にちゃんと裾を押さえないと下着で直接座るからしない、とかね?」

「……ぐはぁっ……」

「ミニスカだと落ちてる物を拾う時、膝を揃えてしゃがむの。男の子って腰を曲げて拾うじゃない? そんなのしたら下着丸見えになるから絶対にしないし?」

「……ごほぉっ……」

「あ、他にもね。下着の上からスリップっていう下着つけてたり? そうしないと衣類が身体に纏わりつくのよ。ヒールだってつま先変形したりして色々大変なんだからねー?」

「……お、女の子って……大変なんだね……」

「うん、まあねー。色々見えない処で苦労してるのよ」

 モカはそう言うと複雑そうな顔で笑った。


 だけど話を聞いて考えれば考える程僕には怖い考えばかりが浮かび上がって来る。

 僕は何度かチョメ子でログインしてるけど、ひょっとして……とか。


 一番良いのは自分と同性のアバターを作る事だ。でもそれをするには時間が無さ過ぎる。

 もう三週間しか無い。チョメ子ですら作るのに半年以上掛かっていてもう無理だ。

 モーションコントロールでスクリプトを設定すれば……駄目だ。あれは決まった動作を再生するだけで日常の動きは適用されない。あくまでダンスとかの決まった動きを再生出来るだけで常時使える物じゃない。

 愕然として頭を抱える僕。それを見てモカは思案顔になった。


「……私もちょっと対策考えてみる。明日、学校が終わったらそっちにいくね?」

「え……で、でも、サクラ小母さんは大丈夫?」

「うん、大丈夫よ。今日も帰ったら『泊まるんじゃないの?』って笑って言われたし」

「……お、お願いします……僕も、ちょっと方法ないか考えてみる……」


 それで今日はお開きになった。本当なら舞台でどんな風に動くとか、そう言う段取りを相談する予定だったけれどそれどころじゃなかった。

 ログアウトした後も僕はベッドの中で悩み続けて、気が付くと翌朝になっていた。

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