第7話 完璧なアバター

 その日は作業を一旦終えて桃香には家に帰って貰う事になった。


 この処毎晩の様にうちで作業している。幾ら幼馴染とはいえ年頃の女の子が男の部屋に入り浸りになるのは問題だしコンテストが終わるまでまだまだ作業が必要になる。高校生とは言っても僕達はまだ子供で親達大人の機嫌を損なえば全部台無しになってしまう。

 そう言って説得すると桃香は機嫌が悪くなった。だけどすぐに別の案を提案してくる。


「――んじゃあ今日は広場に行ってみよ? それならいいでしょ?」

「……んー、舞台がある処かあ。それ位なら大丈夫かな? 他の人達がどんなパフォーマンスをしてるのか見てみたいし。下見しておいて悪い事は無いだろうしね」

「んじゃ決まりね! 晩御飯とお風呂で……二時間後位、準備出来たら連絡するね」

 そう言うと何とか彼女は素直に家に帰ってくれた。


 それにしてもやっぱりVRワールドは便利だ。実際外出しないから親に文句を言われ難い。学生に人気があるのもこういう使い方が主流なんだと思う。うちは事情が違うけど。

 桃香が帰ってからざっとシャワーを浴びて簡単に食事を済ませる。それからアバターの微調整をしながら童謡の英訳歌詞を眺めていると桃香からメッセージが届いた。


 今日の目的は広場に行く事だから特に何も考えずログインする。最後がカラオケの後で桃香の部屋だったからプライベートカフェのロビーへのログインだ。

 丁度夕食が終わった頃で人がかなり多い。ひっきりなしに人が出入りする中で誰もが僕を見て立ち止まる。でもチョメ子で慣れて置かないとパフォーマンスどころじゃない。


 にしても――やたらと男性アバターが立ち止まっては僕の方を見てくる。それで何だろうと首を傾げているとすぐ傍から僕を呼ぶ声が聞こえた。


「お待たせ、ミユ、じゃないチョメ――ってなんて格好してんのよ!?」

「……え? あ、モカ?」

 声の方を見ると顔を赤くしたモカが突然抱きついてくる。モカはチョメ子より少し身長が低くて丁度鼻先辺りに頭がやって来る。


「え、いやあ……よく分からないんだけど凄く注目されてて何だろうと思って……」

「あ、あ、当たり前でしょ!? なんでシャツしか着てないのよ!?」

「……あ」

「いいから一旦部屋に入るわよ! 胸とパンツ隠してすぐ来なさい!」


 それだけ言うとモカの姿がかき消える。僕は胸元と腰を隠す様に意識しながらすぐに彼女の後を追った。そして部屋に入った途端、仁王立ちになったモカに怖い顔で睨まれた。


「――で? なんでそんな格好で来てる訳?」

「……あー、ごめん。あれからアバターの調整してて、そのままだった……」

「本ッ当に馬鹿なの!? 只でさえ物凄く目立つのにそんな格好してれば嫌でも注目されるわよ! その上シャツだけで胸のラインとか色々出まくりじゃないの! 痴女なの!?」

「ち、痴女って……そう言えば衣装関係ってあんまり考えてなかったなあ……」

「もう! 取り敢えず、私が準備してる奴でいいよね!?」

「……あ、はい……すいません。お手数お掛けします……」


 モカはプリプリ怒りながらドレッサーからチョメ子に合いそうな服を見繕い始めた。

 忘れてた僕も悪いんだけどVRワールドじゃ割と良くある事だ。日本では基本的に非体験型しか無いから体感も無い。極端な話、裸でいても自分じゃ気が付かないのだ。季節感も無くて見栄え重視。水着で歩く人もいるしパジャマ姿やキグルミの人まで様々だ。

 でもそう言う意味だとこのままでも話題になるなら構わない気もしてくる。


「……でも、別に皆そんな感じだし……問題は無いんじゃ……」

 それを聞いた途端モカの動きが止まって振り返る。そこで本気で怒られた。


「もー、マジで馬鹿なの!? 他じゃなくてチョメ子だからマズいんでしょ!?」

「えー……あ、そっか。コンテストに参加するし……」

 けれどそう言うとモカがいきなりガシッと僕の肩を掴んでくる。

「……いい、ミユちゃん。別に他人なら放っとくけどミユちゃんだから凄く嫌なの。あとこんなリアルなアバターでこんな格好許せない。もっと女の子になりきりなさい!」

「……あ、はい……本当に、すいません……」

「分かればよろしい! んじゃはい、これ! 上から着なさい!」


 そう言ってモカが差し出した服を受け取ると黙って上から羽織っていく。彼女が出したのはデニム生地の帽子、ジャケット、スカート、それと女物の靴だ。帽子を被せられると同じ様にモカも被る。最後にチームを組んで僕達は再び部屋からロビーへと出た。


 プライベートカフェのロビーに出るとさっきより人が増えていた。どうも誰かを探しているみたいで妙に騒がしい中、僕はモカと一緒に歩きながら聞き耳を立ててみた。


「――マジヤバいのいたんだよ! くっそお、撮影しときゃよかった!」

「――えーそれマ? フレっときゃ面白かったのにー」

「――この辺にいたんだって! もンのすっごいエロい、半裸みたいなの!」


 それを聞いて僕は震え上がった。どう聞いても僕――チョメ子の事だ。周囲には水着の人もいるのにそっちは全く反応されていない。勿論そちらはデフォルトアバターだ。

 今更になって怯える僕の隣でモカが仏頂面で耳元で囁く。


(……ほら。これでもまだ大丈夫だったって言える?)

(……うん……ホントにごめん……ありがと……)


 そうして僕達は人目を避ける様に路地裏を通って広場に向かった。

 広場は前に来た時以上に物凄い人でごった返していた。

 今日は広場にあるパフォーマンスブースで行われる舞台を直に下見する為だ。コンテストまで残り三週間弱。その間にここでパフォーマンスをしなきゃならない。それもただ舞台をするだけじゃなく観客に覚えられる位に。コンクール――コンテストじゃ観客が噂する位じゃないと話題性や集客性の意味で商業的にも評価されないだろうからだ。 


 広場の人混みを抜けるとすぐにパフォーマンスブースだ。夕食後二〇時から二十一時の間は特に人が増えるらしく学生らしい一般ユーザー以外にもVR動画配信や企業関係のブースが立ち並んでいる。更に何処からか今風の演奏と歓声まで聞こえてきて、もう何でもありの様相を呈していた。

 そんな中では誰もが気を取られていて僕達もそれ程注目されない。人がごった返す中で隣を歩くモカと周囲を比較して初めて僕達が如何に浮いて見えるのかを思い知らされた。


 ベースは同じデフォルトでも圧倒的に違い過ぎる。カラオケに行った時は人もそれ程いなくて気付けなかったけどモカはモノクロの中で唯一色を持った存在みたいだ。それはつまり僕――チョメ子も全く同じと言う事だ。比較して見た事が無くて気付かなかった。

 いつの間にかモカはチョメ子の腕に自分の腕を絡めて楽しそうだ。だけど周囲の人は殆ど気付かない。それでもすれ違う人は誰もが必ず足を止めて振り返る。


――成程なあ……こんなの、そりゃ誰でも思わず見ちゃうよなあ……。


 無機質な中で唯一『人間』のモカを眺めながら初めて待ち合わせた時を思い出していた。

 考えてみれば最初の約束で誤ってチョメ子でログインした時、周囲の視線はそう言う事だったのだ。ただそこに居るだけで何もしてなくても目立つ。桃香の施したメイクがより一層存在感を強くして虚構の世界の中で実物の存在感を強く与えている。

 とんでもないな――そう思って横顔を見つめていると気付いたモカがこっちを見た。


「ん? どしたの? ミユ――じゃない、チョメ子?」

「ううん、なんでもない。本当に凄いなって思って……」

「ああ、凄いよねー。広場全部がライブ会場みたい。まるでお祭りみたいよね」


 どうやら桃香は自分がやった事に気付いていないらしい。まるで艶やかな花びらが周囲の光を浴びてより一層輝く様にモカは楽しそうに笑っている。

 桃香は本当に凄い。僕だけじゃきっとここまで凄くは出来なかった。


「僕――私、最後まで頑張るよ。モカが望んだ通りになるまで……」

 それを聞いた途端モカが驚いた様に目を丸くして黙り込む。やがてその顔が嬉しそうな、楽しげな笑みに変わった。それはまだ楽しかった頃の、懐かしい笑顔と重なって見える。


「……うん! よぉっし、頑張ろうね!」

 彼女が元気よく答えるのを聞いて僕も笑いながら頷く。

 そして僕達は人混みの中をパフォーマンス会場に向かって進んで行った。



 広場を少し進むと周囲の空気が突然変わった。喧騒は変わらない。だけどその質が違う。

 グラスの中で画面と音しか無いのに空気みたいな物を感じる。静かな喧騒――そんなそれまでの『騒がしさ』と違う、熱気を感じさせる気配とでも言うんだろうか。


 広場の中央と違って何処か薄暗く、その中で色とりどりの光が舞っている。そして少し先に見える高台――ステージでは逆光の中でアバターらしきシルエットが見えた。


 一体何が始まるんだろう――そう思った矢先に突然周囲がシンと静まり返る。だけど次の瞬間、耳に凄まじい音の奔流が駆け抜けた。それは予想していなかった『音楽』の波だ。

 それに続いて赤、青、黄色の光が舞台から飛び出して目がチカチカする。それまで静まり返っていた筈なのに周囲から一斉にとてつもない声援が上がった。


《――チョメ子? 私達もあそこで二人だけで同じ事をする事になるよ?》


 意識が飽和しそうな中でやけにはっきりとモカの声が聞こえて我に返る。隣ではモカがじっとステージを見つめている。訳が分からず横顔を見ているとモカが僕を見て笑った。


《CP――カクテルパーティチャットよ。雑談しても周囲に聞こえないから迷惑にならないの。離れると無理だけど舞台でも打ち合わせ出来るらしいよ? 試しにやってみて?》


 彼女の声が聞こえる間だけは周囲の歓声や音が抑えられる。どうやら合成音声だから出来る機能らしい。画面を見ると『カクテルパーティ』と言う項目があってそこにスイッチが見える。オン・オフのトグル式で一度選ぶと機能がアクティブに変わった。


《……これで、いいのかな?》

《うん、そうそう。映画館とかライブの最中でも会話出来るから便利よ?》

《へぇ……こんなの使った事無かったよ……》

《広場で待ち合わせの時とかね? これで大声で呼んだりするらしいよ?》

《そんな事、出来たのか……》

《うん、だけど実際に大声を出すからリアルでご近所迷惑になっちゃうと思うけどね?》


 そう言うとモカは再び舞台の上を見た。そこでは丁度一曲目が終わった処でアイドルみたいな華やかな衣装を着た三人組の少女アバターがポーズを決めている。何度かクラシックのコンサートに連れて行かれた事があったけどそれに比べて音が攻撃的で鋭い。それに身体には響いていない筈なのに凄まじい音圧が頭に響いて意識を直接叩かれたみたいだ。


 まさか下見に来てこんなのを参考に見るなんて思わなかった。と言うかこんなのをやらないと駄目なのか……そう思って眺めていると舞台の上で少女の一人が声を張り上げる。


『――皆さん、こんばんはー!! VRアイドルユニットの、『モリグナ』でェーす!!』


 アンプに乗せた大音声が響いてそれに続いて観客から一斉にどよめきと歓声が上がった。

 それで頭がクラクラして耳を押さえるとモカが心配そうに声を掛けて来る。


《……大丈夫、チョメ子?》

《……うん、だけどこれ……凄いね……》


 色んな意味で凄い。舞台の上に立つ少女アバターの衣装はパッと見て気付かないけどかなり露出度が高い。装飾で普通に見せているだけであちこちから肌色が覗いている。

 アバター自体は大した事のないほぼデフォルトのままだ。メイクはしている様には見えるけど桃香ほど専門的な技術は使っていないみたいだ。唯一髪型と衣装だけは気合が入っていて、どうやらその部分だけに絞ってカスタマイズしている様にも見える。

 個人的に気になったのは妙に幼い顔なのに不自然に大きな胸で少し動くだけでブルンブルンと気持ち悪い位に揺れている。それで僕は思わず顔をしかめてしまった。


 一般的に『女性の胸は大きい』と強調され易い部位だ。だけど若干の違いはあっても構造として男女で共通している。身体バランスが重要で『大きければ良い』のはセックス・シンボルとしての意味合いが強い。つまりそれだけではちっとも『美しく無い』のだ。

 でも世間では大きければ良いと言う風潮がある。実際舞台に立つ少女三人組は三人共が不自然に大きい。僕は何となく黙ったまま隣にいるモカの胸元に視線を移した。


《ん? どしたのミユちゃ……って何見比べてんのよ!?》

《いやあ……僕はモカの方が自然で綺麗だと思うよ?》


 肉体には過去の経験と成長の痕跡が現れる。不自然に見えると言う事はそうなった経緯が不自然だから。簡単に言えば『らしくない』。『らしくない』物は『美しくない』。

 だけど真面目に言ったのにモカは頬を薄っすら赤く染めて俯いてしまう。


《……な、な、何言ってんのよ……自然とか、綺麗って……》

《本音だよ。桃……モカはとても自然だよ。『それらしい』から違和感が無いし見ていて安心する。あの人達はいびつで、多分現実なら日常生活もまともに出来ないと思うよ》


 モカはチョメ子をベースにしているけど構造自体は桃香がデザインした物だ。僕も可能な限り近づけたし桃香も自分の願望をアバターに押し付けてはいない。


《あ、当たり前じゃん! それらしくないと誰も認めてくれないでしょ!?》


 だけど何気なく彼女が答えた一言。それが僕の中で何かに引っ掛かった気がした。

 そんな時、すぐ近くから突然別の大音響が流れ始めた。聞こえてくる音色は一つや二つじゃない。クラシック・コンサート並に複雑で重厚な旋律に思わず首を竦める。

 隣ではモカも何事かと驚いた顔で呆然としている。僕も一緒になってその方向に視線を向けるとすぐ近くから観客のざわめく声と小さく興奮する話し声が聞こえてきた。


『――お、来た来た! 例の『ワンマン・オーケストラ』だ!』

『――え、なあにそれ? あっちって確か、ソロブースだよね?』

『――知らねえの? 確か一〇万位する高級VR楽器だよ!』

『――あれはクシナダだよ。モリグナが演ってるといつもぶつけてくるんだよなあ』

『――おい、見に行こうぜ! クシナダやべーんだよ! キレッキレでさ!』


 そして僕達の周囲が一斉に動き出す。その中に巻き込まれる形で僕達も音色に向かって流されていく。やがて波が収まって気がつくと僕達は小さなステージの前にいた。そして舞台に立つ一人きりの少女アバター。それを見て僕とモカは黙り込んだ。


 狭く小さなステージに立つ少女。その髪は異様に長く足元に届きそうだ。しっとりとした色艶を浮かべ、だけど周囲の色を水面に映す様にキラキラと変化している。髪の毛がさらさらと広がる様はそれがテクスチャじゃなくて一本一本独立したオブジェクトと分かる。


 そんな少女の周囲には巨大な武装の様にスピーカーらしい物が浮かんで付き従う様にくるくると回っている。その中、少女が持っているのは古びたデザインで骨董品の様に見える一挺のヴァイオリン。右手の弓が上がり前髪を払う動作を見て僕は溜息をついていた。

 一連の動作が恐ろしく自然でそれこそ生きた人間にしか見えなかったからだ。


 やがて少女の目が伏せられヴァイオリンを構えると弦の上で激しく弓が動き始めた。その動作は機械的ではなくちゃんと筋肉が動いて肉体が重力に抗っている。動作にはちゃんと緩急があって物理演算と重力再現を行っている。普通アバターはあくまでデータで重量を無視する事が多いのにその少女アバターにはそんな不自然さが一切見当たらない。


 更に演奏しながら歌う声――それはチョメ子やモカとは方向性が全く違っていた。

 クリア過ぎてノイズらしいノイズが一切混じっていない。囁くような歌声なのに周囲に響いてはっきり耳に届く。後日それが『ウィスパリング』と言う歌唱法だと知ったけれど、その時の僕は純粋にその少女アバターの動きと声に魅了されていた。


《……凄い……完璧だ……》

 素晴らしい演奏とアバターの動き――やがて全てが終わった時、僕は小さく呟いていた。

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