第二章 チョメ子さんx歌唱(シンガー)る!

第6話 魔性の声

 今回コンテストに参加するに当たって僕は過去のコンテスト情報を調べていた。


 七年前にあった初コンテスト。その優勝者は『ウズメ』と言う女性アバターで今回の審査員にも名を連ねている。彼女もきっとそれでアバター・デザイナーになったに違いない。


 前回の結果から見える今回のコンテストで重要なのは大きく分けて二つある。

 一つはアバター自体の完成度――これは桃香が担当するメイクも含まれている。入賞作は後で一般販売や配布される事が予告されているから特に重要なのは完成度と言う事だ。

 そしてもう一つが『プロモーション』。いわゆるプレゼンテーションで大勢のユーザーに如何にアピール出来るか。これは一般に周知させる広告の意味合いが大きい。一番そのアバターの魅力を理解している製作者本人にアピールさせる事が目的だからパフォーマンス自体の出来では判断されない筈だ。じゃないと『コンテスト』である意味がない。

 だけど軽視は出来ない。ユーザーが直接商品を目にする舞台で大失敗は許されない。


 パフォーマンスは専用ブースでのユーザーイベント扱いだ。いわゆるユーザーとメーカーが一緒になって作るイベントで客入りと評価も参考にするとはっきり書かれてある。

 登録するアバターで舞台に立つ――今のペースならそれ自体は間に合うだろう。最大の問題点は僕も桃香もインドア派で特に得意な『演目』が何もない、と言う事だった。


「――ミユちゃん、やっぱり歌いましょ! それが一番手っ取り早いわ!」

「……でも……僕、人前で歌った事ないよ? それに……そんなの聞きたい?」

「……う、うーん……」


 そもそもパフォーマンスと言われても何をすればいいのか分からない。舞台と言えば普通は演劇や演奏、それに歌だと思うけど二人だと演劇は難易度が高過ぎる。演奏なんて出来ないし歌もこの有様だ。はっきり言って評価以前の状態だった。

 それに元々僕は歌が得意じゃない。それ処か過去の経験で人前で何かする事自体に苦手意識を持っている。子供の頃はそうでも無かったけど一度の躓きがトラウマになっていた。


 だけどしばらく考えた後で桃香が気を取り直した様に明るい声で言う。

「だ、大丈夫よ多分! 上手く行くよきっと! 成功するかも、もしかしたら!」

「……それ、確率下がっていってる……桃香だって僕が人前駄目なの知ってるでしょ?」


 フォローが全くフォローになってない。それで僕がいい加減へこみ始めた時。

「あ、でも……本当に大丈夫だと思うよ? だってチョメ子、あの声だもん!」

 途端に桃香は元気な声に変わる。確かに人前に出て歌うのは僕自身じゃなくてアバターだし歌声だって僕じゃない。それどころか僕の場合、アバターと性別すら一致していない。


「え……あれ? もしかして……全然平気? いけちゃう?」

「そうよ、全然平気! だって歌うのミユちゃんじゃなくてチョメ子だもん!」

「そ、そうなのかな……本当に大丈夫なのかな……」

「大丈夫大丈夫、ミユちゃん心配し過ぎ! 試しに歌いに行ってみようよ!」


 そしてグラスを掛ける桃香。うちは芸術家の家で子供部屋もしっかり防音されているから多少歌っても問題ない。それで僕達は早速VRワールドのカラオケブースに向かった。


 結論から言えば――結果は散々だった。

 考えればすぐ分かった事だ。歌が苦手と言う事はアバターを通した処でやっぱり苦手。

 声や外見が違っても音程は自分だし、緊張すれば脳波だって乱れる。だからアバターの挙動も現実より派手に動揺してしまって制御するのが大変なのだ。


「……VRで歌う人が凄い、って事だけ良く分かったよ……」

 二人で彼女のマイルームに戻ると僕はがっくりと項垂れた。


 VRワールドのカラオケなんて初めて行ったけど、まさかステージ風で観客が詰め掛ける演出があると思ってなかった。VRだけに本当の舞台みたいだ。それに歌唱力評価が付いていてスコアで観客が盛り上がったり減ったりする。もう嫌がらせとしか思えない。

 もう二度とやりたくない――そうぼやいた隣で桃香がグラスを取って首を傾げた。


「んー、そっかなあ? ミユちゃん、そんな下手じゃないと思うんだけど……」

 それで僕もグラスを取って隣にいる桃香に視線を向ける。

「な、何言ってるんだよ……スコアが三〇点行くかどうかだよ……?」

「そうじゃなくてね? 音程は合ってるし声が小さいけどアンプで大きくすれば問題は無いでしょ? テンポが早くなると遅れちゃうから、それが原因じゃないかなあ……」


 最近の流行はハイテンポで二〇〇〇年初頭の古い歌でもクイックキャストが多い。僕はそう言うのが苦手で息継ぎのタイミングが取れなくなってしまうのだ。

 それを言うと桃香は少し考え始める。


「んー……皆知ってる曲でスローテンポかあ……」

「……いやもう、歌は……歌だけは、辞めとこうよ……?」

「もーミユちゃんってば、そんな動揺しなくても――」


 だけど嫌がる僕を見て笑った処で突然桃香の動きが止まった。笑っていた顔が不意に真面目に変わったかと思うと何やら不穏な笑みを浮かべ始める。


「――そうよ……童謡でいいんだわ……」

「ど、動揺でいいって……コミックトークでもするの?」

「そうじゃなくて! 童謡、『わらべうた』よ! それなら皆知ってるし小さい子でも音楽の授業とかで習うじゃない? それに著作権切れてるのも多いだろうし良いかも!?」

「あ、ああ……ダジャレね……ってちょっと待って? 著作権って関係あるの?」

「パフォーマンスブースは著作権あるの禁止だもん。それ以外はオリジナルだけよ?」


 それを聞いて僕は一瞬呆気に取られた。

「……え、ちょっと待って? じゃあ……なんでカラオケに行ったの?」

「えーだって、ミユちゃんの歌が聞いてみたかったから?」

「……なっ……!?」

「昔からそうでしょ? ミユちゃん絶対人前で歌ったりしなかったじゃん?」


 つまり。ただ単純に僕に歌わせてみたかったからカラオケに連れて行かれただけで、具体的にパフォーマンスでどんな演目をするかなんて全然関係なかった……。


「……だ、騙されたッ……」

「えー? 別に騙してないよ? そのお陰で『童謡』に決まったじゃない。それなら伴奏が無くても良さそうだし。どうせだしマイルームで何か試しに歌ってみる?」


 彼女のあっけらかんとした返事にもう何も言い返せる気力が残っていない。

 こうして僕達は『童謡』を演目にする事になった。但しそのまま歌ってもお遊戯だから歌詞を英語にして、スマートグラスにアンプアプリをインストールした。

 後で知った事だけど初のコンテストで最優秀賞を獲った『ウズメ』も伴奏無しのアカペラで歌った事が分かって、桃香は随分とやる気になってしまった。


 やる事も決まって後は舞台準備をするだけ――そんな時になって別の問題が発生した。

 発覚したのは桃香のマイルームでアカペラの練習をしようとログインした時だ。


 VRワールドで歌うだけならとても簡単だ。カンペを表示しながら歌っても観客には見えないからメロディを覚えるだけでいい。多分演説や演劇も同じだと思う。演奏だって楽譜を表示出来るからライブや即興だって出来るんじゃないかと思う。

 英語に翻訳した歌詞を表示して試しに一度桃香――モカと歌ってみて、その直後から彼女が何やら考え込んでしまった。深刻な様子で時々僕――チョメ子の顔を見ている。


「……ん? 桃香、どうしたの?」

「んー……なんか私、ミユちゃんの足を引っ張ってる気がする……」

「えー? 桃香は僕より凄く歌うの上手いじゃない。そんな筈が……」

 だけどそう言った途端モカは僕を指差しながら少し怒った顔に変わる。


「もー! ミユちゃん、『僕』って言うの禁止! あとこっちじゃ『モカ』でしょ!」

「あ、ごめん……ってそれ言うなら桃――モカだって『チョメ子』でしょ……」

「言い訳しない!」

「……はい……」

 僕の抗議は一方的に無視された。下手に言い返すと倍返ってくるからもう何も言えない。


 だけどこうして見ると『モカ』は桃香と雰囲気が似ている。アバターを作る上で一番難しいのは実は笑う事よりも困ったり悩んだりする表情だ。それが自然に表現されている。

 実際の桃香を見ているのと勘違いする位に自然だ。気の強そうな顔立ちだけど何処か頼りなく見える。特にメイクしているからVRなのに本当に人間を前にしているみたいだ。

 そして少しすると考え込んでいた彼女が顔を上げた。


「……んー、取り敢えず表で話すね? 多分、その方がいいと思うから」

 そう言うとモカの動きが止まった。座ったままでぐったりしている。これは正規にログアウトせずグラスを外した時に起きる現象だ。脳波を感知出来る範囲から離れるとアバターは動きを止めて待機状態になる。それで僕もグラスを外すと目の前の桃香に尋ねた。


「――それで、何が問題だったの?」

「なんかね……モカの声、チョメ子に負けてる感じなのよ」

「そうかなあ? 普通に上手いと思ってたけど……」

 だけどそう言うと桃香は拗ねた子供みたいに頬を膨らませる。


「もー、ミユちゃん! 反響オフってるから分かんないでしょ? 私だってチョメ子の声にやっと慣れてきたのに、聞いてないのに分かる筈ないじゃない!」

「あ……そっか、言われてみるとそうだね」

「兎に角ね。モカが主旋律歌ってもチョメ子が歌い出すと引きずられるのよ。特にチョメ子の声って破壊力パないから。やっぱりチョメ子がメインを歌う方が良い気がする……」


 それを聞いて僕は慌てて首を横に振った。

「いやいやいや、無理無理無理! 絶対それ無理! ただでさえ人前で歌うのが怖いのに、それに今回の主役は桃香――モカじゃん!? 僕が目立っても意味ないでしょ!?」


 だけど桃香はキョトンとした顔でボソリと小さく呟く。

「……何言ってんのよ、その為――」

「……ん? 何?」

「――そ、そうよね! 当然私が歌うわよ! 当たり前じゃない!」

「そ、そう? 分かってるならいいんだけど……」

「んーでも、このままじゃチョメ子に釣り合わない気がするのよね……」

 一瞬慌てた顔になったけどそれもすぐ収まって、再び桃香は唇を尖らせて悩み始めた。


 それで僕は何気なく尋ねる。

「んじゃあ……試しにチョメ子みたいにボイス、カスタマイズしてみる?」


 元々僕――チョメ子の声は通常ボイスじゃなくてカスタマイズした合成音声だ。通常のアバターボイスは本人の声を電子処理した物で性別に合わせてチョイスする。

 だけど桃香は一瞬ハッとした顔を上げるものの複雑そうな表情に変わる。


「んー……でもチョメ子と同じ声にしてもね。歌った時におかしくなっちゃう気がする」

 それで僕は笑いながら答えた。

「んー? それは大丈夫だよ。だって楽器と桃香の声でミキシングするから絶対同じ声にならないもの。ベースにしたい楽器とか音があればそれですぐに作れるけど……」


 それを聞いた途端桃香は身を乗り出してきた。突然身体が触れ合いそうな位に近付いてきて驚いた僕は思わず身を逸らせる。だけど彼女はそんな事全く気にしていない。


「……ほんとに!? 何でもいいの!?」

「え、う、うん……それより桃香、近い、近いって……」

「待ってて! 私、ちょっと家から取ってくる!」


 そう言うと桃香はいきなり立ち上がって呆然とする僕を置いて部屋を飛び出して行った。

 きっと自分の部屋から楽器か何かを持ってくるつもりなんだろう。しばらく戻って来ないかと思ってアバターの微調整をしていると予想より早く階下から扉が開く音が聞こえた。

 そのままドタバタと階段を駆け上がる音がする。それはまるで小さい頃みたいに。

 そして扉が開かれた時、桃香は大きな画板用のカバンを肩に下げて少し興奮した様子で立っていた。まるで幼稚園に通っていた時みたいに期待に頬を赤くしながら。


「――持ってきた! お気に入りのやつ!」

「おかえり。って言うか、何を持ってきたの?」

「えっへへー!」


 尋ねると桃香は凄く嬉しそうに笑って早速カバンの中から荷物を取り出し始めた。

 古びたトイピアノと、綺麗な装飾模様の木箱だ。ピアノはうちの母親が誕生日に贈った物で木箱も昔何処かで見た覚えがある。それを何処で見たのか思い出そうと首を傾げる。


「……桃香、その箱って……オルゴール?」

「うん! 昔ミユちゃんがくれたの! 小母様が持ってて私が欲しがった奴!」


 どうやら僕が覚えていた事が嬉しかったらしい。桃香が蓋を開くと綺麗な旋律が流れて、それで僕もやっと思い出した。これは母さんが持っていたオルゴールで桃香が好きでいつも聞かせて欲しいとねだっていた物だ。桃香の誕生日、母さんに頼んで貰った物だった。


「……これ、まだ持ってたんだ……」

「当ッたり前でしょ! 超大事にしてたんだからね!」

「うん……みたいだね。本当に大事にしてくれてたんだ……」


 アンティークのオルゴールが昔と同じく鳴る――それは単に『保存していた』と言う意味じゃなくて『きちんと整備していた』と言う事だ。確か僕が小学生の頃に渡した物だからその頃からずっと今まで本当の意味で大切にしていたんだろう。

 蓋を閉じてオルゴールの曲が鳴り止むと桃香は笑う。


「……実はミユちゃんがチョメ子の声を作った話を聞いてね? 私、これで声を作ってみたいなって思ってたの。私、このオルゴールの音がすっごく好きだから……」

「なんだ、ならもっと早く言ってくれれば良かったのに……」

「だって自分で作れないと駄目だって思ってたんだもん! それで忘れてたのよ!」


 そう言いながら桃香はトイピアノの鍵盤を指で押さえた。ポロンと言う綺麗な音が響く。

 確かこっちは母さんが海外に行った時、アンティークのトイピアノを見つけて桃香にプレゼントした物だ。父さんも母さんも昔から良く海外に出掛けていてお土産を買ってきた。

 実は僕は余り貰った覚えがない。その代わり画材道具だけは凄く良い物を揃えて貰った。


「……桃香ってさ……うちの母さんの事、かなり好きだよね?」

「決まってるじゃない。私小母様大好きよ? 勿論うちのママも大好きだけどね!」


――イツキ小父さんや父さんが出資者なのに、そう言って貰えず二人共可哀想に……。


 そんな事を思いながら溜息を付くと、僕は早速『音』の取り込みを開始した。

「……調整の方法はチョメ子と一緒でいい?」

「うん、だって私そう言うの全然分かんないし。ミユちゃんにお任せするね?」

「んじゃあ桃香の声も録音するよ。グラス付けてドレミを順番に発音してみてね?」


 スマートグラスのマイクでアナログデータをデジタルに取り込んでノイズ除去を掛けると次はミキシングだ。僕の場合耳障りな音を必ず一つ混ぜる事にしている。これは人間が綺麗な物を並べても良いと感じない為だ。トーキング・モジュレーターのアプリに加工データを取り込んで電子音声化する。そこに桃香の声をミキシングして調整すれば完成だ。合成音声データを早速モカのアバターに組み込む。これで次から新しい声になる。


 桃香が早速試してみたいと言って僕達は再び彼女のマイルームにログインした。

 VRワールドにある部屋に桃香――モカが入って追いかける様に僕もログインする。

 モカは一度深呼吸すると静かに口を開き、新しい歌声が流れ始めた。


「……The red leaves illuminated by the sunset.

 Many leaves are deep and pale color.

 Maple and ivy which let autumn feel,

 beautifully decorate the foot of the mountain……」


 童謡の『紅葉(もみじ)』。それを英語に翻訳した物だ。パブリックドメイン、つまり既に著作権が切れている曲で翻訳も僕だからパフォーマンスで歌っても問題ない。


 それよりもモカの歌声は背筋を撫でられる様で僕は首を竦めた。身震いする様なずっと聞いていたい声で『エンジェルボイス』と言うのが一番しっくりする気がする。


 ひとしきり歌い終えた処で桃香――モカは恥ずかしそうに頬を赤くする。

「……何か凄いね、これ……チョメ子とは違う意味で……」

「かなり凄いと思うよ? 多分トイピアノとオルゴールの音、どっちも金属っぽい音だからだと思う。それに桃香の声が入って緩衝材みたいにマイルドにしてる感じだね」

「んーでもこれ、何ていうのかな。キャンディボイスって言うか……子供っぽくない?」


 桃香は複雑そうな顔だ。確かにそう言われると小さな女の子の声に聞こえなくは無い。

 だけどそのインパクトは凄く強烈だ。チョメ子がアルト系の低音だとすればモカの新しい声はソプラノ系の高音域。刺さる声なのに嫌な感じがしない。チョメ子と完全対応だ。


 どうやら子供っぽいと言うのが一番引っ掛かっているんだろう。それで僕は言った。

「ベタッとせず乾いた感じだよ。アニメ声でもないし聞いてて背筋がゾクッとするよ」

「えっ……そ、そうかな。ミユちゃんがそう言うならこれ、結構いいのかなあ……」

「多分チョメ子の声が魔性の声ならモカの声はエンジェルボイスって感じだね」


 そう言うとやっと納得したらしく桃香の機嫌が突然良くなる。

 だけど二種類の楽器に肉声をブレンドするとこんな特徴的な声が作れるとは思っていなかった。個性が出し難いアバターでも簡単に特徴が付けられると言う事だ。特に楽器を使った為か歌った時にその特徴がかなり強く出ている気がする。


――これは……組み合わせを試すと面白い事が出来るかもなあ……。


 機嫌良くモカの歌声を再び確認する桃香を眺めながら僕はそんな事を考えていた。

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