第5話 挑戦する覚悟
VRワールドの『アバター・デザイン』は基本的にデフォルトモデルをベースに改造していくけれど、実は慣れていないと結構難しい。だから殆どの人はエディターを使わない。
一般にはナビゲーターによる音声案内とオートデザインで簡単に作ってすぐワールドにログインする。その後の微調整もほぼオートデザインでナビを使って自動で修正していく。
絵心のある人はイラストから変換も出来るけど、そう言う大半はアニメ風のデフォルメモデルになるからリアル寄りのワールドでは浮きがちだ。芸能人やモデルの写真から作成するのは肖像権問題で禁止されていてあくまで自分の写真や姿しか流用は出来ない。だから僕みたいにモデルを調整する人間は実は圧倒的に少ない。
特に今回のコンテストは入賞作をテンプレート販売する事が告知されている。応募資格は日本在住の日本国籍保有者のみ。これは海外のフルダイブ型使用が国内では認可されていないし、きっと違法行為に繋がる可能性があるからなんだと思う。
そして最優秀賞の賞金総額は三〇〇万円。締め切りは丁度今から一ヶ月後だった。
昨日とは打って変わってうちに来た桃香はすこぶるご機嫌だ。昨日しょげていたのが嘘みたいに明るくなって――というかずっとニヤケっぱなし。昔の彼女を思い出すけどちょっと怖い。そんな桃香が作業工程の相談を終えた後に提案してきた。
「――それで出来たら『モカ』はチョメ子とセットのアバターにしたいんだけど……」
「ん? 『チョメ子』って……何?」
「だって『X子』でしょ? 『エックス子』なんて超呼びにくいじゃない?」
何だか勝手に名前を付けられている。まあ、別に構わないんだけど。
「まあチョメ子でいいや。それで桃香のアバター、『モカ』って作ってる最中なの?」
「うん……でも私、立体の上でバーテックスだっけ? あの点を移動して思った通りに配置するのが凄く苦手なの。一応作りかけ、ではあるんだけど……」
自信なさげにそう言って表示されたモデルを見て僕は思わず唸り声を上げてしまった。
全体的なイメージはしっかりしてる。正面から見る限り出来はいい。問題は正面以外から見ると崩れて別人に見える事で、デフォルトモデルから流用しているのが原因だった。
VRワールド専用アバターをゼロから作る場合、専用のモデルビルダーが必要だ。でも専用データを扱うらしくとても高い。高校生が手を出せる値段じゃない。だからこういうコンテストでは自然とデフォルトモデルを改造する。それで破綻も減って完成度も上がる。
でもはっきりしたイメージがあるとそれが逆に足枷になってしまう。例えば正面図から調整する。確かに正面から見た時はイメージ通りだけど立体概念はデフォルトのままだ。
造形は製作者自身の立体概念が思い切り反映される。それでどうなるかと言うとデフォルトモデルのデザイナーと桃香の二人でそれぞれの立体概念が干渉する。簡単に言うと桃香は正面で丸顔なのにデザイナーの横顔は四角い顔だ、と言う事だ。
「……うーん、桃香は……これ、多分元のモデルを出来るだけ崩さない様に作ったんじゃない? そうすると破綻が起きるからやるならとことんやっちゃった方がいいよ?」
「でも……元のデザイナーさんが作った物だし、出来るだけ残したいんだけど……」
どうやら桃香は『人の作品』を崩したくない、大事にしたいらしい。けど僕は首を横に振って彼女に向かってはっきりと断言した。
「これは絵じゃないし作品でもないよ。手を加えた時点で元のデザイナーのイメージと違う物になる。油彩のキャンバスを削ってジェッソで塗りつぶすのと同じだよ。だから元のモデルを作った人に感謝しながら新しい物を作る気でしないと意味がないよ」
ジェッソはアクリル系の下地材で油彩を練習する時、キャンバスを塗りつぶして再利用する時に使う。油彩は表面がでこぼこだからパレットナイフで元の絵を削ぎ落とすのだ。
しゅんとしてしまう桃香の横で僕はエディターを立ち上げた。
「……僕と桃香のデッサンは似てるから試しにエックス――チョメ子のモデルを下地に今の桃香のデータを統合してみていい? 多分今より自然になると思うんだけど……」
「……うん、お願い。もう時間、無いもんね……」
まだ納得出来ないのか桃香は憂鬱そうだ。僕は共有モードで桃香のストレージにチョメ子のデータをコピーするとそれをベースに彼女の編集データを重ねる。著作権保護の確認ウインドウが表示されて許可を選ぶと即座に二つのモデルデータが統合される。
そして出来上がったアバターを見てそれまで落ち込んでいた桃香が驚いた声をあげた。
「……え、嘘、何これ!? 横からみてもおかしくなくなってる!?」
「だって僕達にデッサン教えてくれたの、父さんと母さんだもの。だから空間認識の基礎概念が似てるんだよ。言わば僕と桃香は兄妹みたいな物だし、他の人じゃ駄目だと思う」
とは言うものの上手くまとまってくれてホッとする。これなら多少調整すればすぐに使える筈だ。それに統合した所為か何処となく二人のアバターは姉妹みたいに見える。
新しく生まれ変わったアバターを見て彼女もそう思ったんだろう。
「……でもなんだかチョメ子がお姉さんでモカが妹みたいに見えるね?」
嬉しそうな反面少し悔しそうだ。きっと本当は全部自分で作りたかったんだと思う。
「まあ今回は時間もないし取り敢えずこれで行こう。正面の出来を見る限り桃香も慣れればちゃんと作れる筈だよ? 今後の課題って事にしてまた完全自作に挑戦したらいいよ」
僕がそう言うと桃香はやっと飲み込めたみたいで小さく頷いた。
一緒にやる事になって初日はこんな感じだった。桃香のアバターを準備して終わりだ。
流石に時間も遅くなり翌日の夕方から本格的に始める事になった。コンテスト締め切りまで残り時間たった一ヶ月。兎に角時間が足りないし最低限で構成して勝負するしかない。
応募要項には広場でのパフォーマンスもある。きっと販促アピールをしろと言う事だろう。となればアバター本体以外にも準備が必要になる。それに二人で出来る演目の選択も必要だしどういう方向で見せるのか、考えていくとキリがない。
そうやって翌日、自分のアバター・モカを調整していた桃香が不意に声を掛けてきた。
「――ねえミユちゃん。そう言えばチョメ子ってお化粧してないよね?」
「え、うん。そう言うのは全然してないね」
僕も手を止めて答えると彼女が何処まで進んだのかと視線を向ける。
彼女の『モカ』はチョメ子をベースにしたけど随分印象が違う。チョメ子が犬ならモカは子猫みたいだ。どうやら昨晩帰った後もモデルを弄っていたみたいで雰囲気が華やかになっている。如何にも女の子が好みそうな『可愛い』より『綺麗』な感じになっていた。
――やっぱり女の子が作ると流行とかそう言うの、取り入れるんだろうなあ……。
そんな風に感心していると桃香が背後に近寄ってきて肩越しにチョメ子を見つめた。そして自分のモカと見比べるとはっきりと確信した顔に変わる。
「……やっぱり。ミユちゃん、どうしてチョメ子にメイクしてあげないの?」
「え……だって僕、女の子のお化粧って全然分からないから……」
「まあミユちゃん、一応男の子だもんね。じゃあ私がしても良い? メイクレイヤーで」
そう言いながら桃香は既に自分のグラスとグローブを付けて準備し始めている。
メイクレイヤーはモデルに影響しないペイント出来る機能の事で肌の上に透明フイルムを付けてボディペイントが出来る。それが化粧みたいに描けるから『メイクレイヤー』と呼ばれている。共有は不要で簡単な許可だけで他人にもメイクする事が可能だ。
そう言えば――モカの肌にはまだテクスチャを貼り付けていないのにかなり自然に見える。きっと桃香はあれからすぐメイクしたんだろう。その出来栄えを見て僕は頷いた。
「うん、いいよ。どうせ僕には分からない部分だし……」
「ふふ、ありがと。チョメ子って美人さんだからちょっとやってみたかったんだよねぇ」
こういう時に本職の女の子は有り難い。僕が桃香のアカウントにメイクレイヤー操作権限を設定すると彼女は早速チョメ子の前に座ってメイクを始めた。それと入れ替わりに今度は僕がモカを預かって造形構成点、バーテックス・ポイントのチェックを開始する。
そうやって楽しそうにメイクをする桃香を眺めながら僕は昔の事を思い出していた。
桃香と知り合ったのは僕が小学校に入学した頃で桃香は幼稚園の年長組になった頃だ。
それから小学校で六年、中学校で三年。会わなかった二年も入れれば一〇年以上の付き合いになる。たった一五年の人生で半分以上一緒に過ごして本当に妹みたいだ。特に再会して一緒にアバター調整する事になってから彼女は昔みたいに素直で無邪気に戻っていく。
桃香は楽しそうに作業している。僕もモカの調整を始めながらぼんやりと小さく呟いた。
「――桃香は……たった二年で、本当に可愛い女の子になったと思うよ……」
するといきなり後ろからバタンと言う音が聞こえて来る。何だろうと思って顔を向けるとチョメ子のメイクをしていた桃香が耳まで真っ赤になりながら僕の方を振り返っている。
「――なっ――な、な……」
「ん? どうしたの? あ、もしかして昨日の夜、無理してたんじゃない?」
モカの完成度を見る限りきっと結構な時間頑張って作業している筈だ。それで体調を崩したんじゃないかと声を掛けると彼女は両手をブンブン振りながら必死に否定する。
「ちっ、違ッ――だッ、大丈夫ッ――だからッ!!」
「本当に? 無理は駄目だからね? 変な方向に集中力が向いて酷い事になるからさ?」
「わ、分かってる……ちょっと、油断してた、だけ……」
そう言うとしきりに髪を人差し指でくるくると絡めながら目を反らしている。それで首を傾げていると桃香はチョメ子の方を向いて頬をぺしんと叩いて『集中!』と声を上げた。
その背中を眺めながら作業工程を考え直す。僕も桃香も昔から夢中になると集中し過ぎて時間の感覚が失くなってしまう。それで気付かずに帰りが遅くなって叱られた事もある。
――もう少しのんびりした方がいいのかな……っと駄目だ、僕も集中しないと!
そして僕もモカに向き直ると再びチェックと編集作業に集中した。
それから小一時間が過ぎた位だろうか。桃香のアバター『モカ』の重複バーテックス・ポイントを除去してそろそろ終わりが見えた頃、後ろから『ふう』と言う満足そうな溜息が聞こえた。振り返ると頬を染めた桃香がチョメ子を前に笑みを浮かべている。僕の視線に気付いた彼女は自慢げに小さい胸を反らしながら勢い良く声を掛けてくる。
「さあ、出来たよ! どうよ、ミユちゃん!」
「……顔赤いけど本当に大丈夫? やっぱり熱でもあるんじゃ……?」
「だ、大丈夫って言ってるでしょ、しつこい! いいからほら、早く見てよ!」
彼女は赤くなった頬を両手で押さえて声を上げる。これ以上言えばきっと怒られる。それで僕はメイクされたチョメ子を見て、目を大きく開いた。
僕が調整した造形やテクスチャは何も変わっていない。なのに肌には前より透明感があって妙な生々しさがある。唇もツヤツヤしてウェット感が半端ない。
「……え、桃香……これ、一体どうやったの!?」
驚きながら唇や頬をズームしてみてもどう処理すればこうなるのか分からない。そんな僕に桃香はドヤ顔で『さあ褒めろ』と言わんがばかりに笑っている。
「リップはメイクレイヤーに環境光をちょっぴり入れたの。あんまりやるとくどいから私の好みで、だけど。アルファチャンネルで八%位入れただけなんだけどね?」
「え、アルファチャンネル? それって……僕、良く分からないんだけど……」
「あ、そっか。ミユちゃん実際の絵しかしてないんだっけ。周囲の風景や光を反射するレイヤーを別に準備してそれを透過させるの。そしたらプルプルツヤツヤに見えるのよ」
「……うん、ごめん。全然分からないよ……」
「えー? うーん、どう説明したらいいのかなあ……」
桃香は腕を組んでウンウンと悩み始める。美術用語は分かるけど僕はグラフィック関連用語に詳しくない。それに……色気って言うんだろうか? 今までは単なる彫刻みたいに無機質だったのが有機的になった気がする。まさか化粧だけでここまで変わるだなんて。
それで僕は今も説明で悩み続けている桃香に呆然としながら声を漏らした。
「……こんなに凄くなるなら、僕もお化粧をちょっと勉強し――」
してみようかな――そう言い掛けて僕は言葉を飲み込む。桃香の目がにやりと物騒な光を放った様に見えたからだ。女装の上に化粧まで覚えたら喜ぶのは桃香と母さんだけだ。
「……えー? 何なに? ミユちゃん、お化粧が……何?」
「な、なんでも無いよ! それより……」
言葉を濁しながら再びチョメ子を眺める。これなら桃香は充分入賞出来そうだ。厭らしい笑みを浮かべてしつこく聞いてくる桃香を他所に、僕は現実的な事を考えていた。
コンテストは総合的な優劣で最優秀賞が決まる。だけど桃香の目的は『入賞』する事で最優秀賞を取る事じゃない。コンテストには細かく部門賞があってその中に『ベスト・メイク』という項目がある。制作過程かと思っていたけどメイクアップの事だったんだ。
この出来栄えなら桃香が引っ掛かる可能性もかなり高いだろうし、他の部門賞にだって相乗効果で残る確率が随分と上がる気がする。
正直な処、桃香のアバターが未完成の状況でテクスチャだってこれ以上密度を上げる事が出来ないからどうしようかと迷っていた処だ。でも桃香が僕に出来ない部分を担当してくれれば僕自身の作業も大幅に減って、その分モカの完成度を上げる事だって出来る。
「――桃香。アバターの調整だけど『モカ』の分も僕がやるよ」
「えっ? でも、だけど……」
それまで厭らしく詰め寄っていた桃香が驚いた顔に変わる。僕は真面目な顔で続けた。
「代わりに桃香にメイクを頼んでいい? 出来れば顔だけじゃなくて全身。具体的な配色は任せるよ。ウェットでナチュラルな方向でお願い。勿論チョメ子とモカの両方ね?」
「でも……それって、私はアバターをやってないって事になるんじゃ……」
そう答えると桃香は渋い顔に変わった。彼女は自分の作品は自分だけで作らないと駄目だと思っている。だから自分の作品を大事にする様に他人の作品も大事にしようとしてデフォルトモデルの体裁を保とうとしたんだろう。でもそれは今回の場合邪魔なだけだ。
「……桃香、僕達は『チーム』で参加するんでしょ?」
「え……うん、そうだけど……」
「このコンテストはさ、コンクールじゃないんだよ。チームで参加する『プロジェクト・ディレクション』を競う物であって個人能力で競う物じゃないんだと僕は思ってる」
「それって……どういう事?」
「酷い言い方をすればモデルを作れなくても構わない。役割分担していいから商品に出来る物を出せって事。うちの父さんや母さんは『画家』だから個人の腕が重要になるけど今回の目的は『作品』じゃなくて『商品』なんだよ。自己表現より需要を優先するんだ」
そう言った自分の言葉が胸に突き刺さる。元々僕は『誰かに喜んで欲しい』から絵を描いていた。でもそれで結局、自分自身が折れてしまったんだから皮肉な話だ。
だけど――今回はそれで間違っていない筈だ。僕は胸の疼きを堪えながら言葉を続ける。
「……もし桃香が本気でデザイナーになりたいんなら、そういう割り切りも必要だよ?」
絵を見た誰かが喜んで、楽しんでくれる事を最優先に――だけどもしかしたらそれで桃香も僕みたいに傷付く事になるかも知れない。そう思うと心がズシンと重くなっていく。
だけどこれは僕が折れる前、諦める前にずっと信じていた考えだ。それ自体は間違っていないと思う。単に認められないから僕は世の中と大人に対して諦めてしまっただけだ。
それに桃香は僕と違って『父さんの子』じゃないから父さんと比べられる事も無い。
「――そっか……うん。私はずっとミユちゃんと一緒だもん。誰かが楽しんでくれたらそれでいいよ。だから私、デザイナーになりたい。だからミユちゃん、一緒にがんばろ?」
真剣な顔で答えると桃香はにっこり笑う。それで僕も一緒になって笑った。
桃香を入賞させてデザイナーの夢を掴み取らせる――それが僕自身の目標になった。
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