第3話 幼馴染の頼み事
「――もう! ミユちゃん、完全にそっち側に進んだのかと思ったじゃない!」
彼女はベッドに腰掛けるなり床に座った僕を睨み見下ろした。
ここはVRワールドにあるミャモの部屋だ。VRワールドでは個人用マイルームを持つ事が出来る。そこに入場する入り口が『パートナーカフェ』と言う入場専用施設だ。
広場で項垂れたX子の手を取るとミャモ――モモちゃんは僕をここに引っ張ってきた。
パートナーカフェは全エリアにあって、例えばログイン時に設定すれば毎回自分の部屋にログインする事が出来る。そして重要なのが『自室では着替えが出来る』と言う点だ。
普通、エリア内にあるブティックのドレッサールームでも着替える事が出来るけど自室は更にアイテムや服の収納が出来る。インベントリにも限りがあるからかなり重要だ。
特に女の子は服を集めて組み合わせる為にマイルームを駆使している人が多い。そしてやっぱりモモちゃん――ミャモの部屋もドレッサーが沢山設置してあった。
僕がX子をログインデビューさせてしまった事に沈んでいると彼女が不審そうに尋ねる。
「――それで? なんでミユちゃん、女の子アバターなのよ? 会ってない内に完全にそっち側になったの? 確かに元々ミユちゃん小母様似だし、女装だってしてたけどさ?」
「じょ、女装はやらされてただけでしょ!? 単にアバターデザインしてただけだよ!」
だけどそう答えると彼女は驚いた顔に変わる。ベッドから降りて座り込む僕の前に来ると真面目な顔になって覗き込んで来た。
「え……ミユちゃん、また絵を描ける様になったの? もう平気になったの?」
そんな彼女の声に僕は苦笑すると顔を上げて首を横に振った。
「……ううん。あれから描いてないよ。僕にはもう描けないから……」
だけど彼女は納得出来ない様子で更に詰め寄ってくる。
「だけど『デザイン』でしょ? そのアバターだって……それなら……」
「いやほら、これはデフォルトモデルをちょっと弄ってるだけだから……」
「……嘘よ。だってそれ、最初に選べるのと全然違うでしょ?」
「まあ肌とかテクスチャを変更してるからね。かなり変わって見えるだけだよ」
そしてモモちゃんのアバターは僕をじっと見つめると真面目な顔で言った。
「……それでも『デザイン』よ。もしかして……ミユちゃん、今やってるアバターのコンテストに参加しようと思ってそのアバター、作ってたんじゃないの?」
コンテスト――その一言に僕は身体をビクリと震わせた。
そう言えば運営の告知にそんなのがあった気がする。第二回アバターコンテストの締め切りがどうとか。第一回は七年前にあって今回その第二回が実施されるらしい。
デフォルトのアバターを調整してオリジナルをデザインする。完全にゼロからじゃないから難易度は低めだ。だけどこういうクリエイティブ系って参加者が結構限られる筈だ。
僕は深呼吸して心を落ち着けると苦笑しながら彼女に答えた。
「……そう言うイベントがあるらしいね。でもその為じゃないよ。本当にただちょっと弄ってたら楽しくてさ。だからログインもせず延々と弄ってて今日遅刻しちゃったんだよ」
「……でも、ミユちゃんは元々描くの好きだったじゃない。だからそれで……」
それでも彼女は僕の返答に納得出来なかったらしい。僕は何も言わずただ首を竦めた。
彼女が気にしているのはきっと中学最後に出た絵画コンクールの事だ。あの事がきっかけで僕は絵が描けなくなった。描こうとしても自問自答が脳裏をよぎって結局描けなくなってしまう。僕は自分の名前通り『雪に耐える幹』にはなれなかったのだ。
黙っていると彼女は僕――と言うかしきりにX子の外見を眺めている。
「……さっきから見てて思ってたんだけど……ミユちゃん、ちょっと聞いていい?」
「……え、何? このアバターの事……?」
「うん。何処かで見たと思ってたんだけど……もしかしてそれ、うちのママがモデル?」
「え? えっと……はあ?」
それは余りにも唐突過ぎて僕は気まずくて黙っていた事も忘れて声を上げてしまった。
モモちゃんのお母さん、サクラ小母さんは優しい綺麗な人だ。うちの母さんと同じ四〇前で二人共女子大生位に見える若作り。一緒にいても親じゃなく姉だと思われる事も多い。
うちの母さんは女の子が欲しくて、サクラ小母さんは男の子が欲しかった。だから母さんはモモちゃんに超甘いしサクラ小母さんはやたらと僕に構う。モモちゃんもうちの母さんの事が大好きで僕がいなくても母さんと二人だけでよく一緒に過ごしていたものだ。
ただ、確かに僕は小母さんが好きだけど慕っているだけで異性としてじゃない。だけどX子は僕の中にあるイメージで作ったからそうだと言われても否定出来ない。何だか良く分からなくなってきた。だけど彼女のアバターは黙り込んだ僕に厭らしい顔で笑った。
「……あー、やっぱりそうなんだ。確かにミユちゃん、ママの事大好きだもんねぇ?」
心なしか彼女のアバターが怒っている様にも見える。だけど小母さんの事が好きな事には違い無いし、僕の持つ女の子のイメージに影響があっても全然おかしくない……よね?
それで何も言い返せず黙っていると彼女の顔付きが不意に真面目な物へと変わった。
「――だけど、やっぱり凄いよミユちゃん……」
「え……うん? 何が?」
「だからそのアバター。肌が凄くリアルで現実の女の子みたい。あ、ママに似てるって言うのは冗談よ? まあちょっと似てるかな、とは思ったけど……」
そう言いながら彼女のアバターが近付いて来た。どうやら本当に興味を持ったみたいでしきりに正面や横からジロジロと眺めている。それで僕も何となく落ち着かない。
それで一通り眺めると彼女はため息をついて感嘆の声を上げた。
「……それに何て言うのかな。声もミユちゃんぽいのに変に頭に響くの。最初は刺さるみたいなのに耳の奥で低い声に変わるみたいな……なんだか背筋がゾクッとする……」
どうやらX子の声に気付いたらしい。それで僕も嬉しくて思わず説明を始めてしまった。
「あ、この声さ。僕の声をハーモナイザーで音程変換してるんだ。それにグラスハープと木琴の音をミキシングしてトーキング・モジュレーターで声らしく聞こえる様に調整したんだよ。実際に自分で聞けないんだけど結構良い感じじゃないかなあ……って、あ……」
そこで彼女が俯いたままブルブルと震えている事に気がついた。自分が作った物を褒められて嬉しくてつい語ってしまった。でも女の子はこういう専門用語は嫌うって言うし、もしかして怒らせてしまったんじゃないかと思って僕は慌てて弁解を始める。
「あ、ハーモナイザーは音程だけ変更するの。ミキシングは混ぜる事で、トーキング・モジュレーターは楽器の音にイントネーションを付けて会話っぽくする事なんだよ?」
でも彼女は顔を真っ赤にしながら手をブンブンと振って恥ずかしそうに否定する。
「――ち、違……ミユちゃん、その声……やっぱヤバい。それ、長く聞いてると、何て言うか……その、気持ち良いって言うか……頭がぼんやりするって言うか……」
「え? でも……サンプルは聴いたけど変な音は混じってなかった筈だけど……」
「み、ミユちゃん、音声反響モード、オフってるでしょ!? オンにしてみてよ!?」
「あ、そう言えば……そんな設定もあったっけ。すっかり忘れてたよ……」
そう言われてやっと思い出した僕はグラスを操作すると設定画面を開いた。
音声反響モードは人間が喋る時に自分の頭蓋骨に響く効果を再現するかどうかの設定で標準ではオフになっている。現実では反響するから録音した物と自分の声が違う様に感じると言うアレだ。アバターは合成音声で明らかに自分の声と違う。だから二つの声が重なって気分が悪くなる人も多いらしくて初期設定ではオフにされているらしい。
早速設定スイッチを見つけて音声反響モードをオンにすると僕は彼女に話し掛けた。
「うん、これでよし……へぇ、X子ってこんな声な――ひゃあっ……!?」
――何これ!? 産毛を撫でられたみたいな、すっごい気色良い響きが背筋を走った……。
最初はちょっと中性的な声だと思った。でも女の子っぽい高い声が聞こえた直後、耳の奥で遅れて響く低い声。まるでオペラ歌手が歌うのを眼の前で聞いたみたいに頭に響く。
慌てて設定をオフにすると首を竦めた彼女のアバターが顔を引きつらせて笑っている。
「……ね? 凄いでしょ、それ?」
「……うん……これはちょっと……強烈だね……」
現実に絶対存在しない声。楽器と肉声を混ぜて作った合成音声。きっとVRワールドだから出来る『魔性の声』と言う奴だ。まさかそんなの僕だって予想していない。
それで二人苦笑していると彼女が思い出した様に言い出した。
「あ、そうだわ。気になってたんだけど『モモちゃん』って呼ぶの、辞めてくれない?」
「え、でも今は二人しかいないし……別にいいでしょ?」
「そうじゃなくて! 私もう高一でしょ? ちっちゃい子みたいなの、嫌なのよ!」
「えー……じゃあこれから何て呼べばいいのさ?」
まるで小さい子が背伸びしてるみたいだ。声のトーンに対してアバターはモジモジしていて妙に可愛らしい。昔を思い出しながら笑って尋ねると彼女は答えた。
「し、仕方ないし? 『桃香』って、名前で呼んでも……いいよ?」
ちょっぴり拗ねたみたいな口調。だけどアバターは微妙にニヤけて見える。それは彼女がイヤイヤじゃなくてむしろそう呼んで欲しいと言う意志の現れだった。
VRワールドのアバターは自律的行動の殆どを脳波コントロールで再現している。例えば能動的に動く時は意識しないと駄目だけど感情表現のエモートは脳波に依存している。
つまり感情は嘘を付けない。現実と違って脳波だけだから余計本音は隠せない。これはアバターの調整をしていて表情の動作確認をしていた時に気付いた事だ。
「……わかった、今度から桃香って呼ぶよ。でもワールドじゃ名前は呼ばない様にね?」
でも僕がそう答えると彼女は途端に不満そうな表情に変わった。
「何言ってるのよ。私は桃香なんだから、桃香は桃香でいいでしょ?」
「いや、だから……VRやネットで本名呼ぶのはマズいでしょ……」
「……えー……むー……」
「だからほら。二人だけの時とかね? そう言う時は名前で呼ぶからさ。だから桃香も僕の事を人前で『ミユちゃん』とか呼んじゃ駄目だよ? 個人情報なんだからさ?」
「えー……も、もぅ……仕方ないなぁ……」
彼女――桃香はそう答えながらアバターはやたら嬉しそうに満面の笑みだ。それを見て僕は『やっぱりVRって怖い』と思った。気を付けないと感情が垂れ流しだ。
そんな事を思いながら僕はため息交じりに笑うしかなかった。
*
それから僕と桃香はお互いの近況を話して、やっと本題に入る事になった。
大体何故VRワールドで会いたいなんてまどろっこしい事をしたのか。僕達の家は隣だし会おうと思えばすぐだ。こんな回りくどい事をしなくても相談なんてすぐ出来る筈だ。
だけど僕がそれを言った途端、桃香のアバターは複雑そうな表情に変わる。
「……その……えっと……ミユちゃんに、お願いしたい事が、あって……」
そう言うと彼女は耳元の髪を指先でクルクルと弄り始めた。それを見た途端僕は警戒し始める――と言うのもそれは桃香が子供の頃から持っている癖だったからだ。
こういう時彼女は絶対に何かを企んでいる。大人に叱られても絶対本当の事は言わないし何をされても答えない。願い事を言葉にすれば叶わなくなるみたいに徹底している。
まあ悪意がある訳じゃないから良いんだけど、こういう態度も脳波だと自然に表現されちゃうんだなあ、なんて感心しながら僕は尋ねた。
「取り敢えず言ってみてよ。聞いてみないと何とも言えないし……」
「え、えっと……えーっと、その……」
そして彼女は一〇分くらい散々躊躇した挙げ句、俯いたままでやっと口を開いた。
「……あ、あのね? 私と一緒に、『アバター・コンテスト』に出て欲しぃ、んだけど」
だけどそれを聞いて僕は顔から血の気が引くのを感じた。咄嗟に声が出てこない。目の前が急に暗くなった様に感じる。昔、中学の頃に言われた言葉がリフレインする。
『――阿波先生のお子さんなのに、個性も独創性も無いのがちょっとね――』
絵画コンクールで佳作に選ばれた時、審査員の大人達は中学生の僕に口を揃えてそう言った。そんな事を言われて耐えられる中学生なんていない。『親と違ってお前の描く絵には全く価値が無い』――そう言われたみたいでそれから僕は絵が描けなくなった。
それに表彰式の観客も皆それに納得するだけだった。知らない高校生が優秀賞を獲って僕はその評価の道具に使われた。個性があって独創性も高い――そんな言い方で。
それから僕は何もやる気が起きない。人間も信じられず一線を引いて見る様になった。
だけど黙る僕に桃香は俯いたまま、一生懸命言い訳をする様に続ける。
「私ね、コンテストで入賞したいの。そしたら将来の夢に近付けるし。私が知ってる人で凄いのってミユちゃんだけなの。昔も一緒に描いてたし……だから……その、駄目?」
――駄目だ、絶対に断った方がいい。僕なんて何の役にも立てない。
でもそう思いながら声が出ない。二年前、彼女がうちに来なくなった原因は僕にある。
コンクールの結果に落ち込む僕を彼女は一生懸命慰めようとしてくれた。けど僕はそれを受け入れられず酷い言葉で拒絶した。また彼女を泣かせると思うと怖くて言えない。
そんな僕に気を使ってくれたのか彼女は明るい調子になって楽しそうに話題を変える。
「ま、一緒にするかは置いといてさ? 今日、これからそっちに行ってもいい? 出来たらそのアバター、エディターで直接見せて欲しいんだけど……」
「……え……あの……モモちゃん……」
「だーかーら! モモちゃんじゃなくて、もーもーか!」
「……あ……その……ごめん……」
沈んだ僕に彼女のアバターは楽しげに笑う。それは中学の時会わなくなる前に見た彼女みたいに楽しそうだった。それで僕は流されるまま頷く事しか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます