第一章 チョメ子さんx公開(デビュー)る!

第2話 幼馴染との約束

 僕の家は閑静な住宅地にあって同じ年頃の子供が殆どいない。だから隣の家に住んでいる彼女と仲良くなるのは割とすぐの事だった。


 宮之内桃香――それが彼女の名前だ。

 初めて出会ったのは僕が小学一年、彼女が幼稚園の年長組だった時だ。絵を描きたいとうちに習いに来たのが切っ掛けだった。阿波蓮司と言うのが僕の父さんの名前でいわゆるプロの画家だ。彼女のお母さんは両親と学生時代から付き合いがあったらしい。


 僕に『ミユ』と言うニックネームを付けたのも彼女だ。幼い彼女は僕の『幹雪』と言う名前をちゃんと呼べなかった。お陰で両親からは今でもそう呼ばれている。

『ミユ兄ちゃん』『モモちゃん』――そう呼び合って僕達はいつも一緒に絵を描いていた。


 彼女がうちに来なくなったのは丁度僕が中学三年の頃。絵画コンクールに参加してその結果に酷く落ち込んだ後からだ。きっと情けない僕を見て愛想を尽かしたんだろう。ささくれだっていた僕はそれを素直に受け入れて、自分からも彼女に会おうとしなくなった。

 あれからもう二年――そんな彼女が『相談したい事があるからVRワールドで会えないか』とメッセージを送って来たのは三日前だ。妹みたいな彼女の頼みを断れる筈がない。


――あれ? そう言えば今日だっけ? って今、何時だろう?


 そう意識した瞬間スマートグラスの中で時計にフォーカスして拡大される。グラスには脳波と視覚センサーが内蔵されていて考えるだけで操作出来るからこういう時に便利だ。

 今は夕方の六時半。約束からもう三〇分も過ぎてしまっている。それで慌ててメッセージを確認するとやっぱり彼女――モモちゃんからのメッセージだった。


《――ミユちゃん? 私着いたけど、まだ来てない?》

「……うわ、すっかり忘れてた……!!」

 それで急いで返事を送ろうとウインドウを出した途端、再び着信音が鳴り響く。


――チリンチリン。

《――あの、もしかして……ログインしてない……?》

「ちょ、連続で!? ちょっと待って!?」

 そう言えばメッセージが来た時、待ち合わせ出来る様にフレンドリストに登録したんだった! リストを見れば僕がログインしてるかすぐにバレてしまう。不味い、兎に角すぐに連絡しないと――だけどそこでまた着信音が鳴った。


――チリンチリン。

《――やっぱり、もうVRでも会いたくないよね……》

「は、早い! 返事出す隙が無いよ!?」


――チリンチリン。

《――ほんとにごめんね……》


 そのメッセージを最後に着信音は止まった。だけどそれで今度は僕の顔が青く変わる。

 女の子はメッセージのやり取りが凄く早い。モモちゃんも女の子らしく凄く早くて何も言えないまま一方的に終わってしまう。考えてみると二年前もそうだった気がする。


――これは兎に角、今すぐログインして行かないと!


 そう思った瞬間メッセージウインドウの裏側でログインが開始されたのが分かった。脳波センサーが僕の意志を検知して早速実行に移したのだ。


 VRワールドのスマートデバイスには脳波センサー、視覚眼球センサー、音声入力の他に脳波適正が無い人向けのパームカフ・デバイス、通称『コントロールグローブ』がワンセットになっている。普段使うだけならグローブは不要で僕の様にアバター調整でもしない限りほぼ使う事は無い。この直感を超えた使い易さが年配者にも受け入れられている。

 表示されたメッセージログを消すと丁度ロビーにログインした処だ。デフォルトのコミュニケーションエリア施設で酒場やホテルとも言われている。ログイン時に指定が無ければ必ずここからスタートする。初めての人が最初に訪れる場所だ。


 ロビーには結構人がいて僕はエントランスに向かって進む。『すぐ行くから待ってて』と取り急ぎ彼女にメッセージを送るとゲートをくぐって表通りへと飛び出した。

 丁度帰宅した学生が一斉に入る頃で表通りには若いアバターで溢れている。その中を避けながら広場を目指して走る。考えてみれば半年ぶりのログインで不思議な感覚だ。

 画面の中で自分が走っているのが分かる。そんな僕とすれ違う人達が驚いた顔で振り返る。実際の僕はじっとしていて全く疲れないし走りながら他の操作も出来る。僕には無理だけど慣れた人なら楽器演奏をしながら歌う事まで出来るらしい。


 表通りを抜けるとすぐに広場だ。中央に大きな噴水があってカップルだけじゃなく友達と待ち合わせにも使われるランドマーク的な定番スポットだ。

 そこに足を踏み入れると丁度広場から出てくる女の子三人とすれ違った。中学生位のアバターで多分塾に行く処なんだろう。テストがどうとか楽しげに話している。だけどその三人が僕の傍に来るなりいきなり立ち止まって驚いた顔に変わった。

 そう言えば来る途中も何だか変に見られてた気がする。でも今はそんな事よりモモちゃんを見つける方が先だ。それで僕は広場の中に入って行った。


 ピークタイムの所為か広場では大勢の人が待ち合わせしている。デフォルトのアバターをそのまま使っている人も多い。それに半年前と随分雰囲気が違う。企業のキャンペーンブースなんかも並んでいてまるでお祭り会場みたいだ。

 それに待ち合わせの人だけじゃなくてストリートライブらしき物までやっている。

 平日にどうして人が多いのかと思ったらその演奏を聴きに来ている人も多いみたいだ。


 ワールドでは携帯電話みたいなリアルタイム通話が準備されていない。基本メッセージだけで、負荷が増えるから目の前の会話しか出来ない様になっていると聞いた事がある。

 仕方なく僕はフレンドリストからモモちゃんをマップに表示させる。うろ覚えで操作するとすぐ近くの噴水前にマークが表示された。それを頼りに歩いていくと噴水前に設置されたベンチで一人だけ座る少女アバターを見つけた。中高生風のポニーテールアバターだ。

 たった一人で誰かを待っている様子で不安そうな顔をしている。周囲には他に誰もいないしマップのマークも彼女を指している……と言う事は彼女がモモちゃんに違いない。


「――えっと、お待たせ。ええとモモちゃ……ミャモ? 久しぶり、遅れてごめんね?」


 思わず名前を口走りそうになって慌てて彼女のアバターネームを呼ぶ。ワールドではゲームみたいに相手の名前が表示されない。メッセージの記名欄にあったのがアバターネームの筈だから合っている筈だ。そして彼女は泣きそうな顔を上げて僕に飛びつこうとした。


「……もう、ミユちゃん! 私、凄く待――」

 脳波コントロールって実は結構怖い。現実なら抱きついたりしないけど脳波センサーの前では抑制が効き難い。その時の感情や心境が行動意志として勝手に動いてしまうのだ。

 だけど……おかしい。彼女は抱きつく直前に凍りついたまま動かない。


「……あの、ミャモ? 出来たらリアルのニックネームは辞めて欲しいんだけど……?」

「…………」

 待っていてくれた事にホッとしながら僕は苦笑して彼女に手を差し出す。だけどその時視界に入った自分の腕を見て今度は僕の思考が停止した。


――あれ? このスキン・テクスチャって……このリアルな質感の皮膚は――。


 肌色の単色に赤と青のノイズを混ぜてモザイク処理したランダムパターンは確か昨晩苦労して作った物だ。それにこの造形構成点、バーテックスポイントも見覚えがある。

 そして腕をよく見ようと視線を下ろすと今度は自分の胸元が見える。デフォルトよりも少し小振りに再調整した少女アバターの胸――それで自分が何をやらかしたのか気付いた。


――そ、そうだ! 僕が最後に選んでたアバターって、『X子』だったじゃないか!!


 皮膚の貼り付け処理が終わった時に父さんから電話があって、部屋に戻ってすぐモモちゃんのメッセージに慌てた僕はそのまま脳波コントロールでログインした。左スロットの少年アバターを選ばず……つまり今、僕は黒髪の異性アバターでログインしている!

 その瞬間今までの苦労とか後悔が脳裏をよぎってそのまま地面に手をついてしまう。


「……こ、こんな適当な名前で……ログインしちゃったら変更出来ないじゃん……」

「……えっ? あ、あの……」


 項垂れた僕――X子を見て我に返った彼女が遠慮がちに声を掛けてくる。だけど僕はもうそれどころじゃない。自分がやってしまったミスにショックを隠せなかった。


「……くああっ……名前の変更権、二〇〇〇円もするのに……節約してたのにィッ……」


 その瞬間画面に『マーケットプレイスを表示しますか?』と言う確認ウインドウが現れた。『いいえ』を押す気力も無く項垂れていると頭の上から彼女の声が聞こえてくる。


「……えっ……もしかして、ミユちゃん……なの? え……ええっ、嘘おおッ!?」

 そして人が集まる広場の中、彼女の驚いた大きな声が響いたのだった。

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