走る令嬢

常盤木雀

走る令嬢


「君との婚約を解消することになった」


 婚約者に呼び出されて告げられた内容に、私は頭を働かせた。

 今、私が婚約を解消するわけにはいかない。


 学園の裏庭。人目につかない場所のはずが、どこから噂を聞きつけたのか、たくさんの人に囲まれている。これでは、なかったことにはしてもらえそうにない。

 となれば、解消を受け入れる代わりに時期の交渉をするしかないだろう。

 幸いなことに、婚約者である我が国の第二王子殿下は話の通じる方である。


「分かりました。わたくしは婚約の解消を受け入れます」

「……理由は尋ねてはくれないのか?」

「決まったことでしたら、わたくしは受け入れます。しかしながら、当家としての意見ではないことをご理解くださいませ」


 ちらりと殿下が観衆に目をやる。

 この状況は、殿下にとって不本意なもののようだ。他人に聞かれたくない、話したいことがあったのかもしれない。しかし、私はこの数週間忙しかったのだ。殿下と秘密裏に会話をする時間など取れなかったし、殿下の方も伝令を出してまで話をしようとはしていない。


「……分かった。詳しい話は当主とさせてもらう」

「それから、殿下、お願いがございます」

「君には急な破棄で迷惑をかけた。できる限り叶えよう」

「ありがとうございます」


 殿下は優しい人だ。私の願いを無下にはしないと分かっている。


「明日は、わたくしの『姉』の結婚式なのです。どうか、婚約の解消はその後にしていただけないでしょうか。憂いなく結婚式を迎えてほしいのです。身勝手なお願いですが、今回の婚約解消と次の婚約のご予定に差し障りがなければ、ご検討いただけないでしょうか」


 殿下を窺うと、なぜかほっとしたような表情をしていた。


「かまわない。結婚式となれば、当主も忙しいだろう。日を置いて連絡するから安心してくれ」

「感謝いたします」


「待ちなさい! なぜ婚約破棄された臣下の分際で、図々しいお願いができるのよ。おかしいわ。今すぐ破棄しなさい」


 女性の声に目をやると、隣国の王女殿下が怒りを露わにしていた。

 私は頭を下げ、視線を落とした。王女殿下は学園に留学に来ているが、身分に厳しい方なのだ。


「イーテ王女。これは我々の問題だ。私が許したのだから良いだろう」

「良くないわ。姉の結婚式だなんて見え透いた嘘をついて、家に泣きついて画策するつもりなのよ。今すぐこの場で書類に署名させなさい」

「恐れながら、必ず帰って参りますとお約束いたします」

「信じられないわ」


 王女殿下に切り捨てられる。

 私には、王女殿下がこれほどこだわる理由が思いつかなかった。王女殿下は隣国の人間。我が国の王子殿下と私の婚約には何の関係もないはずだ。


「私が信じる。クラン、君に三日の猶予を与える。その間に結婚式に出席してくると良い。それから話の続きをしよう」

「ありがとうございます。必ず戻って参ります」

「ひとまずこの話は終わりだ。王子として、この決定は覆すことはしない」


「何なのよ。それならば、ランス国王女として命じます。そこの元婚約者に、馬車の使用を禁じる。行きたいなら歩いていけば良いわ。そして、三日後の同じ時間に、ここに出頭すること。もし命令が守られなければ、この国は王女の命令を無視する国として、父に報告します」


 王女殿下の突然の命令に戸惑いながらも、私は深く頭を下げた。

 この件と王女殿下との関係は分からない。しかし、国を人質にされてしまえば、おとなしく受けるしかない。


 何か言いたげにしている王子殿下を置いて、私は領地へ出発した。

 明日の結婚式に間に合わせなければならないのだ。無駄にする時間はない。



 私は令嬢だ。走ることはない。しかし歩いていては間に合わない。

 幸いなことに「馬車を使うな」としか言われていないため、私は馬を借りて駆けた。領地ではお転婆で良かった。馬を駆るのは慣れている。


 私は領地で自由に育った。近くの子どもたちと共に走り回り、時にはいたずらをして叱られたり、無茶をして呆れられたりした。父も母も寛容で、貴族の中にいるときに貴族らしくできれば良いと、締め付けずにいてくれた。

 明日結婚する『姉』は、そんな仲間の一人だ。姉のようであり、親友でもある大事な人。私の婚約解消を知れば、彼女はきっと結婚式を楽しめなくなってしまうだろう。そのくらい、彼女も私のことを大切に思ってくれているはずだ。

 さらに、姉の結婚相手は、将来有望な若者だ。近頃当家が力を入れている農作物の研究所の若き天才が、明日の花婿である。期待を示すためにも、当主である父もこの結婚に立ち会うことになっている。私のごたごたで邪魔をしてはいけない。


 王家との婚約解消よりも大事なことなのかと問われれば、返答に困ってしまう。

 しかし、殿下も私に実の姉がいないことは知っているはずだ。『姉』のことが分からなくても、何らかの理由で延期したいことは伝わっている。それでも許可されたのは、問題がないからなのだろう。


 そもそも、私と殿下は良好な関係だった。

 延期を引き出すのを優先してしまったが、殿下にも何か公にできない理由があるに違いない。恋愛感情とは言えずとも、穏やかな信頼関係を築いてきた。婚約解消など、普段の殿下であれば丁寧な説明なしに口にすることはない。


 結婚式を済ませて学園に帰ったら、邪魔の入らない場所できちんと話をしなければ。




 結婚式はつつがなく行われた。

 小さいころからの『お姉ちゃん』は一足先に『夫人』になってしまった。それが何だか寂しくて、祝いながら泣いてしまった。彼女は涙ぐみながら、

「泣かないでちょうだい。結婚してもわたしがあなたのお姉ちゃんなのは変わらないわ」

と笑って言った。

 子どものころから変わらずに接してくれる貴重な親友。門出に立ち会える時間をくれた、『元』になるかもしれない婚約者には、感謝してもし足りないと思った。



 結婚式の翌日、父と共に馬を駆って、王城へ向かった。

 期日まではもう一日ある。学園に行く前に、殿下と話をしたかった。


 王城で用件を告げると、私は殿下から呼ばれて父と別れた。父は父で、大人同士話をするようだった。

 通いなれた殿下の応接間で、向き合って座る。


「殿下、ただいま戻りました」

「クラン、申し訳なかった」


 挨拶をするとすぐに、殿下に謝られた。

 謝られる理由が分からず首を傾げると、婚約解消の話だと告げられた。


「わたくしこそ、延期していただいて申し訳ございませんでした」

「いや、むしろ助かったんだ。おかげで時間が稼げた」


 殿下の話によると、実際に婚約を解消するつもりはなかったらしい。仮に解消しても、再婚約の予定だったそうだ。

 原因は、隣国の王女殿下だった。

 彼女は王子殿下を気に入ってしまった。そして、殿下に婚約者がいると知って、帰国すると言い出した。彼女の留学に合わせて、隣国からは役人や研究者が訪れている。特に研究者たちは水害について共同で研究をしており、大きな成果が得られる見込みだが、王女殿下が帰国すれば、彼らも帰国しなければならなくなる。せっかくの研究を投げ出さずに済むよう研究者だけでも残れないか、隣国の王の許可を取る時間を作りたかったのだという。


「本当は朝のうちに君に話をして、口裏を合わせておくつもりだったんだ」


 殿下はすまなそうに眼を伏せる。


「わたくし、あの日は午後からまた領地に戻る予定でしたので、あちこち手続きをして回っておりました」

「そうだったのか。全く話のできないままで、しかも君は理由も聞いてくれないから、君は婚約を解消しても平気なのかと思ったよ」

「まあ。だって、決まってしまったことなら覆せませんもの」

「少しは足掻いてほしい」

「次回がありましたら、そういたしますわ」


 信用できる者たちを観衆として集め、王女殿下の目の前で婚約を解消する。婚約が解消されたと思わせれば、彼女は滞在を続けるに違いない。観衆はこちらの手の者にすれば、婚約解消が表沙汰になることもない。

 そのような筋書きを持ってきた研究者たちに、王子殿下はあっけにとられたという。しかし真剣な研究者たちを前に、笑い飛ばすことはできなかった。国王陛下に相談すると、陛下は呆れながらも許可をくださった。水害の対策は治国に重要なため、王子殿下の婚約に多少の傷をつけてでも可能性が欲しかったのだ。

 一方で私は、一部の研究者に領地の研究所を案内したり、研究所の手伝いと学園の往復をしたりで、それらの情報を知らなかった。農作物の改良は、飢饉を防ぐために隣国でも注目されているそうだ。


「君のおかげで、イーテ王女は君が戻る期限までは滞在が確定された」

「それでは、研究者たちの想定通りだったのですね」

「想定よりずっと良かったよ。彼女の気分を損ねないようにふるまわなくても、彼女が自分から滞在していてくれたんだから。それに、今日中には隣国から研究者の滞在許可を携えた使者が着く予定になっている」

「それは良かったです」


 顔を見合わせて笑う。

 何もかもうまくいきそうで、本当に良かった。我が領地で農作物を研究し、王都で水害を研究すれば、我が国の災害のほとんどが防げるようになるかもしれない。我が国も、隣国も、協力して豊かになっていける。


「君は、どうだったんだ? 本当に馬車を使わずに帰ったのか?」

「ええ、馬車は使いませんでしたわ」


 私は令嬢である。馬で道中を駆け抜けたことは言わない。知られていそうな気もするが、自ら明らかにしようとは思わない。


「『姉』――親友の結婚式は、とても素敵でした。彼女は幸せそうで」

「……次は、君の番だ」

「ええ。……いえ、そうかしら?」

「え?」

「父はお許しになるかしら。計画では、事前に私が父に理解を求めるはずだったのでしょう? 婚約解消に怒っていらしたわ」


 殿下は困った顔をしてから、微笑んだ。


「そうしたら私は認められるまで足掻くよ。君と違って」

「わたくしだって、次はきちんと抵抗しますわ」

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