題名のない灯

三衣 千月

題名のない灯

 祖父は、細工職人でした。

 祖母や母が呼びに行っても、いつも生返事だけ返して工房にこもりきりで。


 だから、私が呼びにいくのが役割みたいなものだったんです。ええ、祖父は孫の私には甘いトコロがあるって、祖母も母も言っていましたし、私は私で、それにかこつけて祖父の工房を覗きにいけるのが嬉しくって。


 工房は、あの頃の私にとっては本当に宝石箱みたいな場所でした。

 薄く延ばされた金箔や、光を透かしてキラキラ光るビロードの粒の入った瓶。何に使うかもよく分からないワイヤーの束に、持ち手がどこかも分からないへんてこな形をした工具類。

 全部、全部がまるでおとぎ話に出てくるような魔法の道具みたいで。


 一度、私が誤って工房にある大きな置物を倒してしまったことがあるんです。当時の私の背の高さくらいだったので、たぶん、1メートルちょっとでしょうか。

 すごく重たそうな色合いのものだったから、寄りかかっても大丈夫だと思ったんでしょうね。

 想像してたものと違うって、パニックになりません? ほら、重たい荷物だと思って勢いよく持ち上げようとしたら実は軽くて、勢い余って転んじゃう、とか。え、あ、はい、今でもたまにやっちゃいますね、えへへ……。

 それで、その置物がほんとに、思ってたよりもとても軽くて。今でもあの抵抗なく倒れていく置物の様子を思い出せます。


 倒れた置物、箔にした銅で作ってあったんですけど、見事に歪んじゃって。絶対怒られると思ったら、祖父はまじまじと私と歪んだ置物を交互に見て。

 置物を立て直してから「悪かぁなか」って。親指の腹で下唇をなぞりながら言ったんです。祖父の癖で、良いものを見た時は必ずそうで。怒られるとばっかり思っていたので、びっくりしました。


 あ、今でも見られますよ。私がへこませたところも、そりゃあばっちり残ったままです。見たことあると思いますよ。ええ、ほんとに。

 市役所の入り口にある、あの――そうそう! その、奇妙な形のオブジェです。あああ、いえいえ、私も思ってますから。芸術家の目なんて、そんなもんですよ。身内のあれこれであったとしても、その良し悪しが分かるわけじゃないですから。

 あの作品の本当の価値は、あれを完成させた祖父にしか分からないんじゃないかな。


 あ、はい、どうぞ。なんでも聞いてくださいね。

 と言っても、取材なんか初めてで、何をお話ししていいか全然分からなくて。大丈夫ですか? 要領の得ないことしゃべったりしてませんか? 私。

 ああ、それならよかった。


 え、と。それで、細工師を継ごうと思ったきっかけ、でしたっけ。

 これは、少し違ったお答えになると思うんですけれど、私の、原体験に近いもので、細工師を意識しだした瞬間というか、あ、それでもいいですか。それじゃあ。


 高校の時ですね。もうあんまり祖父の工房にも行かなくなってて、私は私で、当時は部活で忙しかったのもあって。あ、水泳部です。県大会でいいところまで行ったんですよ。意外でした? そうですよねえ。もう運動なんてしないから、すっかりふくよかになっちゃって……。

 いや、いいんですよそんな私の体型の話は。どうでも。


 珍しく、祖父が私を工房に誘ったんです。見せたいものがあるからって。


 工房は、小さな時のままでした。道具や材料の一つ一つを見ても、ああ、金箔だな、とか思っちゃうくらいには純粋さを失ってましたね。

 祖父は、作業椅子に座って作り出したんです。私に見せるといったものを。


 作ってるあいだ、祖父の背中はぴくりとも動きませんでした。

 ただ、節くれ立った指だけはせわしなく動いていました。


 竹を削って、和紙を貼って。何を作っているのだろうと思いましたが、声をかけられませんでした。それほど祖父の顔は真剣で、どこか鬼気迫るものがあって。

 出来上がったのは、円筒型の回り灯篭でした。ええ、回り灯篭。こう、筒が二重になってて、内側の筒に絵や模様を入れるんです。明かりをつけると、内側の筒が回って、透かした絵が外の筒に映るんです。あ、よかったら後でお見せしますよ。


 工房を暗くして、祖父がその回り灯篭に明かりを灯すと、影絵が一つだけ壁に映って。これ、珍しいんですよ。

 それで、その影絵が工房の壁じゅうをゆっくり回って。馬のかたちの影でした。光の草原の中を悠々と走るみたいに、くるくる、くるくる部屋を回って。


 その数日後に、祖父は亡くなりました。

 最期に見せておきたかったんだと思います。何だろうな、作品というか、細工師としての自分、みたいなものでしょうか。

 回り灯篭って、別の呼び名もあるんですよ。ええ、聞いたことあると思います。


 ――走馬灯。


 だからかな。なんだか、託されたような気に勝手になっちゃって。分かりませんけどね。祖父の本心なんて。

 それでも、いっぱしの細工師になってこうやってインタビューを受けるくらいにまでなったのは、間違いなく祖父のおかげなんだと思います。


 え、と、どこにしまったかな。

 ああ、あったあった。たまに灯は入れてるので、ちゃあんと動きますよ。ほら、二重になってるでしょう? 中の電球が熱を生み出して、上昇気流でここの羽根が回って、それで筒が回転するんです。おもしろいでしょ。


 あ、はい。

 馬、一匹だけじゃさみしいかなって。勝手に一匹増やしちゃいました。この作品は、ずっと完成しないので。


 作品が完成するときっていつだと思います?

 ああ、その見方も素敵ですね。芸術は、見る人がいて初めて完成する。そういう側面も確かにありますから。


 それとは少し違って、芸術になる前の段階。世の中に産み落とすには、ってところの話ですね。


 はい。題名をつけるかどうかです。

 形に名前をつけることで、はじめて一個の存在になるんです。


 祖父は、この回り灯篭にだけは題名をつけようとしませんでした。

 だからこの回り灯篭は祖父の作品でもなくて、私の作品でもなくて。ただこの工房で祖父と私をただ見ているだけの題名のない灯です。


 私も、いつかこれを誰かに託す日がくるのかもなんて思いますけど、とりあえず、今は私の番ってことで。それまでは、くるくる走っていこうと思います。


 いえいえ、こちらこそありがとうございました。

 最後に写真、ですか? 工房は散らかってるからヤだなあ。あ、市役所まで行きましょうか。へんてこオブジェの前で一枚。


 そうしましょう、そうしましょう。




   〇   〇   〇




 ――月刊Art/美 三月号 

 特集、世界に認められた細工師・日野 由馬͡仔ゆまこより抜粋

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

題名のない灯 三衣 千月 @mitsui_10goodman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ