僕と彼女のホワイトデー

葵月詞菜

第1話 僕と彼女のホワイトデー

 目の前に、ふんわりとした素材でラッピングされた包みがある。中身はとあるキャラクターの形を模した練り切りの菓子だ。元和菓子職人のおじいちゃんに習って見よう見まねで作ってみた。自分で言うのも何だが、なかなかの出来ではないかと思う。

「うお、お前相変わらずすげえな」

 いつの間にか部屋の戸口に兄さんが立っていた。僕は腑抜けた顔を見られたかと一瞬焦ったが、兄さんは僕ではなく通学鞄の横に置かれた大きな紙袋を見ていた。

 明日のホワイトデーに用意したささやかなお返しが詰まった袋である。

「よくも毎年こんなにお返し用意して持って行くよなあ。俺にはとても真似できねえ」

 兄さんは腕を組んで呆れたように息を吐いた。

「だってもらったからには一応お返しがいるくない?」

「お前は断るのが面倒くさくてもらっているのが本音だろ? いい加減びびらずに断る勇気を持て。そしたらお返しも必要なくなるのに」

「それはそうだけど」

 僕は内心溜め息を吐いた。できることならそうしたい。だが、かつて断ったがために面倒くさいことに巻き込まれ、それに懲りてからは受け取ってしまう方が楽だと思うようになってしまったのだ。そして不思議と年々数が増えていくことが悩ましい――友人のタカにそう言ったら「贅沢なやつだな!」と怒られたが。

「で、そっちはいつものか?」

 兄さんは目敏く僕の机の上にあるラッピングされた包みに目を向けた。その目には少しからかうような色が浮かんでいた。

「……そうだよ」

 答える僕の口調が少しぶっきらぼうになる。これは言うなれば僕の本命のお返し、だろうか。渡すべき相手からは別に本命でも何でもない、むしろついでのようなチョコをもらっただけなのだが。

「まず受け取ってくれるかが問題なんだよね」

「お前、本命には避けられてるんだっけか? 学年一の美男子も大変だな」

 兄さんは慰めてくれるどころかおかしそうに笑い、手を振りながら自分の部屋に戻って行った。

 僕は子どものように僅かに頬を膨らませたが、机の上のラッピングを見てすぐに意気消沈した。

「いやホント……明日、そもそも会えるんだろうか……?」

 彼女はなぜか学校では僕を避けるきらいがある。声をかけようとしても数メートル手前で気付かれ、そっと離れて行ってしまう。目が合えば鋭く睨まれて秒で視線を逸らされる始末だ。ああ、思い出すだけで泣きたくなってくる。

 それでも彼女が気になる僕はなかなか諦められずに、気付けば目で追ってしまうし、隙あらば声をかけようとしてしまう。

「やっぱりチャンスはバイトか……」

 実は彼女はおじいちゃんが店主を務める古書店及びカフェでバイトをしていた。僕が彼女に近付けるのはそのバイト時間が最大のチャンスだった。向こうは毎回うんざりとした顔をするしあまり歓迎はしてくれないけど、それでも学校とは違ってちゃんと話をすることができる。僕はそれが嬉しい。

「こんなこと言ったらまたタカに呆れた顔をされるんだろうな」

 頭の中に出て来た幼馴染の彼は「理解不能」と言わんばかりの顔をしていた。


 正直に言うと、バレンタインデーでチョコをくれた人全員を把握しているわけではない。とりあえず同級生で分かる範囲と、名前を明記してくれていた人に手当たり次第返していく。

「お前、面倒くさがりなくせに律義だよなあ」

 友人のタカが心底呆れたように言って、紙パックのジュースをペコリとへこませた。

「まあ返せるだけは返しておかないとなーと」

「それがまた来年のバレンタインに繋がるような気もしないではないけどな」

 タカは遠い目で、教室の入り口付近で僕のお返しを持ってはしゃいでいる女子たちを見ていた。

「で、あの女にもお返し渡すのか? 一応もらったんだろ」

 タカが言う「あの女」とは彼女のことだ。僕たちはみんな幼稚園からの幼馴染なのである。とはいえタカと彼女はあまり反りが合わないらしく、顔を合わせては言い合いばかりしている。僕にはそれすらも少し羨ましい。

「もちろん。椿ちゃんは特別だからね。でも……」

「学校では無理だろうな。あの女、お前のクラスに近付こうともしないからな」

 彼女こと椿ちゃんと同じクラスのタカはあっさり言う。

「でもさっき、かよと一緒にいつものアニメや漫画の話をして盛り上がってたぞ」

「ホント? かよちゃんに聞けたら聞いてみよう」

 かよちゃんもまた幼馴染の女の子だ。商店街の和菓子屋の息子の僕、青果店の息子のタカ、そして精肉店の一人娘のかよちゃんは昔から家族ぐるみで付き合いが長い。そんなかよちゃんは椿ちゃんと仲が良いのだ。本音を言うと、椿ちゃんと付き合っているのかと思うくらい一番傍にいる女の子だと思う。だからやっぱり僕はかよちゃんも羨ましい。

「そういえばタカも椿ちゃんからおこぼれでチョコもらったって言ってなかった?」

「こーんな小せえの押し付けられた挙げ句、あんなんでお返し取るとか詐欺だろ」

 タカはけっと舌打ちして、「ないない」と手を振った。

「どうせ向こうも気にしてねえよ」

「まあそれはあるだろうけど」

 タカが渡すならそれに便乗したいという思いもあったが、どうやらそれも無理そうだった。


 彼女からもらったチョコ――正確にはガトーショコラは、本当に「ついで」のチョコだった。

 というのも、彼女はそのガトーショコラを僕のためではなく、彼女が昔から大好きなとあるキャラクターのために作ったからだ。チョコの写真を撮ってその画像を好きなキャラ宛に送ると、ゲームで使えるレアグッズとキャラオリジナルボイスをダウンロードでき、しかも抽選でスペシャルグッズが当たるという企画があったらしい。

 彼女は切実な表情で言っていた。

「だって私の推し、マイナーキャラだから出番少ないんだもん!」

 つまり椿ちゃんはその企画に応募するために、好きなキャラ宛の凝ったガトーショコラを作ったわけだ。そしてその恩恵に預かったのが僕である。彼女はバイト先のおじいちゃんのカフェでガトーショコラを作り、そのまま置いて行ってくれた。念のために言っておくが、ちゃんと僕が食べて良いと言付けがあった。


「で、結局椿ちゃんには会えなかったわけだけど……」

 すっかり空になった紙袋を折り畳みながら階段を降り、昇降口で靴を履き替えた。勝手にため息が漏れ出て来る。やはり学校では顔を合わせることはもちろん、声をかけることもできなかった。

「あとはバイト先かあ」

 一番可能性があるのはそこだ。

「あ、みのり。丁度いいところに」

 振り返ると、かよちゃんが立っていた。彼女はまだ部活があるのか帰宅する出立ではなかった。

「あんたのことだからどうせお返し用意したのに渡せてないでしょ?」

「その通りだけど」

 自分で言っていて悲しくなる。かよちゃんは眉を下げて苦笑した。

「今からあんたのおじいちゃんのカフェに行くつもりなら、今日椿ちゃんバイトないらしいよ」

「え!?」

 素で声を上げてしまった。周りに誰もいなくて良かった。

「もしかして別のバイト……?」

「ううん。今日は完全オフだって。多分家に直行してると思う」

 かよちゃんは妙に自信たっぷりに言った。

「もう家に帰ってるかな……?」

「それがまだ十分程前に出たばかりっぽいから、追いかけたら間に合うかもね」

 かよちゃんがナイスなアドバイスをくれる。

 問題は椿ちゃんに追い付けたとして、彼女が逃げずにいてくれるかどうかだが。

 逡巡した僕の考えを見通したらしいかよちゃんが腕を組んだ。

「もう一つアドバイスしとくと、多分椿ちゃんめっちゃマッハで帰ると思うよ?」

「え? どういうこと?」

 何か急用でもあるのだろうか。でも今日は完全オフだと先程言っていなかったか。

「今日はあるゲームのイベントがあるのよ。……椿ちゃんのお気に入りのキャラが出てる」

 ああ――察した。それは一刻も早く帰って取り掛かることだろう。

 僕はかよちゃんに「ありがと」と一言残して踵を返した。早く彼女を追いかけなければ。

 校門を出てもすでに彼女の姿は見つけることができなかった。

「いつもの道で帰ってますよーに!」

 それだけを祈って、僕はただひたすら必死に通学路を駆け抜けた。


「椿ちゃん!!」

 追いついたのは商店街も終わろうとする所だった。僕の家の和菓子屋もとうに通り越してしまっていた。

 椿ちゃんは振り返り様、明らかに眉間に皺を寄せた。来やがったなこの野郎、的な感情が窺える。

 何かをとやかく言われる前に、鞄からラッピングされた包みを取り出した。ずいと彼女の前に差し出す。

「これ! お返し!」

 さすがの彼女も呆気にとられたようにポカンとしていたが、勢いにつられて受け取った。よし、受け取ってはもらえた。僕はもう返却は受け付けませんとでも示すように手を後ろに回した。

 椿ちゃんは少しの間ラッピングされた包みに目を向け、小首を傾げた。

「もしかしてホワイトデーの?」

「もしかしなくてもそうだけど。お返し期待しててね、って言ったよね僕」

「……そうだっけ?」

「あんな立派なガトーショコラをもらってお返ししないとかないでしょ。椿ちゃんがあんなに手を込んで作った〇〇のための――」

「稔、ストップ。それ以上言うな」

 キャラクターの名前を出したところで止められた。彼女はコホンとわざとらしく咳をすると、軽く腕時計に目を遣った。

「あ、もうこんな時間。――とりあえず、ありがとう」

 彼女からのお礼の言葉を聞くだけで嬉しい気持ちになる僕は幸せ者だ。

 椿ちゃんは包みを鞄にしまうと、早くも背を向けた。

「じゃあ」

「うん、また。頑張ってね、イベント」

「!?」

 一瞬、驚いたように彼女が振り返る。何であんたが知ってんの、とでも言いたげだ。

 僕は黙って微笑んだまま手をひらひらと振った。

 彼女はこれからイベントを疾走するのだろう。その束の間の休息にでも、僕の作ったお菓子を味わってくれると嬉しい。

 彼女がそのキャラクターを模した菓子を見てどんな反応を見せるのか、想像すると楽しくなった。

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