魔界なりや

妻高 あきひと

魔界に立つ

 幽之介が若い侍二人とともに走っている。

ただ身なりは小汚い、

先頭を走るのは幽之介、そして次に悪之介、最後が闇の介だ。

三人とももちろん本名ではない。


幽之介が二人に会ったのは一昨日のことだ。

雇われていた豪族が戦で負け、長屋に戻って自分のものを背負い、必死で逃げてきた。


元からの主人でもなく、銭で雇われただけだ。

最後まで付き合う恩も義理も無い。

追手の目を逃れ行く先も考えずに街道を走っていると前のほうに幕が見えた。


戦で負けた者を捕まえるための陣屋だ。

向こうもこっちに気づいて何人かが向かってきた。

あわてて横の藪に走り、坂を必死で登って後ろを見ると追手も登ってくる。

すると近くで声がした。


「オイっこっちへこい。こっちじゃ」

まさかとは思ったが、ええいままよと思って声のするほうへ近づくと二人がいた。

「ついてこい」

藪の中の道とはいえない道を走った。


振り返ると追手の姿は消えていた。

「助かった、世話になった礼をいう」

「わしらも陣屋に気づいて逃げておったところでな」

「というと、そちらも」

「ああそうよ、二人ともじゃ、わしゃお前さんを見知っておったで声をかけた。わしたちは負け犬同士よ」

「いや、これは本当に助かった、拙者は」

と幽之介が言いかけると遮っていった。


「ああ、本名は無しじゃ、こういう場合での、わしとこいつも逃げる途中で知りおうた。名を名乗って互いの出自を知っても仕方ない。万が一捕らえられて拷問され、あれこれ訊かれて話すのも辛いでの、なのでわしは悪之介と名乗っておる」


一人が笑いながらいった。

「わしは闇之介じゃよ、よろしくな。貴公はこの先、行く当てがあるのか」

わたしは答えた。

「いやないが、京までいってみようと思いながらここまできた」


悪之介がいう。

「わしらも京を目指しておった。どうじゃ、ここで会ったのも何かの縁じゃ、いっしょにいかんか」

「ああ、それは助かる。一人では目も行き届かんで危なくてしょうがない。同心がおれば大助かりじゃ」


「ならばそなたも名を考てくれ」

咄嗟にいわれても思いつかない。

悪と闇か、ならと思いついていった。

「ならわしは『幽之介』にする」

「悪と闇と幽か、ええな、ええでおい」


三人は笑い、それから一緒に京へ向かって走っている。

もちろん京に当てはないが、負け戦の身でウロウロしていては命が危ない。


 悪之介は太っちょで顔は脂ぎっており、口八丁手八丁のようで世の中の泳ぎ方が上手そうだと幽之介は思った。

闇之介は逆に細めで口数も少なく繊細な感じだが、剣はかなり使えそうに思えた。


 しばらく行くとさすがに息がきれ、街道のそばの樟の陰に入って腰を下ろした。


「あ~気もちがええ、木陰に入ると陽差しの強さがウソのようじゃ」

幽之介がいうと闇之介が応えた。

「そうじゃな、生き返るわい」

悪之介はといえば立ち上がって草の中を見ている。


「何かおるか」

「ああ、マムシじゃ」

見るとなるほどマムシがとぐろを巻き身体の上に頭を乗せて休んでいる、いや寝ているのか。


悪之介がいう。

「こやつ、寝ているように見せて寝てはおらん。こっちにとっくに気づいて、様子をうかがっておる。毒の無い蛇は人が近づくと逃げるがマムシは逃げんやつが多い。自分が毒をもっておることを知っておるからじゃ」


「毒を持っていると人間と同じで厚かましいの」

幽之介がいうと

「そういうことよ」

と悪之介は応えた。


闇の介がいう。

「気づかずに踏んでおったらえらいことになっておったで。他の者は気づかぬやもしれんで、殺しておこうか」

するとそばを通りかかった馬喰が馬を止めて声をかけた。


「何かおりますか」

「おう、マムシじゃよ」

「ほうマムシ」

といいながら馬の手綱を幽之介の手に勝手に握らせてのぞき込んだ。


「ほう、これは大きいわい。このマムシどうされるのか」

闇の介がいう。

「このような場所にいては人を噛むであろうから殺そうと思うての」

すると馬喰がいった。

「いやいや殺さんでもええ」


と言いながら馬の背に載せていた木箱を開いて布の袋を取り出した。

「ちょっと御免なさいよ」

と馬喰はいいながら、そっと近づき、いきなりマムシの頭の辺りを踏んづけた。

そして首を指二本でつかみ、袋に入れると口を縛って木箱に入れた。


悪之介が食うのか、と訊くとこういった。

「こいつはな、マムシ酒にする。糞や毒を出させ、酒に二三ヵ月詰めておけば飲める。わしのように年をくうとの、こいつはあれやこれやによく効くのよ。嫁も後妻で若いでの、これがあるとな助かるのよ、ちょうどえかったわい」


笑うと人なつこい顔になる。

「ところでお前さんがた、どこまで行きなさるのか。見たところ失礼じゃが、近在の家の者でもなさそうじゃし、旅姿にしてもな、何か事情がありそうじゃな。この先半里もいけば番屋があるが、近くでは立て続きに戦もあれば夜盗もあった。お前さんたち、番屋の前を素直に通れるのか」


悪之介がいう。

「いや、さすがじゃの”お頭”には勝てぬわい」

悪之介はやはり口が上手い。

そして闇之介と幽之介を見ながら馬喰にいった。

「戦に負けて京にいくところじゃ」


「そうであろうの、そうじゃと思うたわい」

「京に当てはあるのか」

「ない」

三人で頭を横に振った。


「見たところ悪人でもなさそうじゃし、うちでしばらく休んでいかんか。実はの、戦もまだ何度もありそうじゃし、落ち武者はおるしの、野盗や野伏も増えておる。馬喰や百姓、町民だけでは侮られるだけじゃ、どうじゃ。用心棒といっては無礼じゃろうが、しばらくおってみんか。銭は払うでの、京にも知っておる者は多いし役には立てるで。ただし無宿人、ヤクザも多いでの、刃傷沙汰もある程度は心得ておいてもらわなきゃならんが」


悪之介が幽之介と闇之介を見た。

面白そうだ、ともに異論はない。

悪之介が馬喰に答えた。

「ならば、小しの間、厄介になる。ただ名前はの」

と言いながら三人は互いに名も知らない間柄であることを伝えた。


「悪と闇と幽か、面白いの、ええぞ名前はその時がくればでよい、今のままで構わぬよ、ただし死んだときもその名でええんじゃの」

三人には異論はない。

馬喰のケンカにまぎれて死ぬなら、それも運命だろう。


 馬喰の家はそこら辺の庄屋や商家が敵う家ではなかった。

悪之介がいう。

「あれがお前の家か」

「ああそうじゃ、おどろいたか」

「いや、これはどうじゃ、でかい家じゃのォ」


闇の介もいう。

「家もでかいが馬小屋も広く、馬場は調練場ほどもあるではないか」

すると屋敷から二三人が走ってやってきて馬もマムシの入った袋ももっていった。

横には番頭のような男が馬喰に何かいわれ、屋敷に戻っていった。


悪之介が訊いた。

「親方、人はどれほどおるのか」

幽之介と闇之介は顔を合わせて笑った。

オイ呼ばわりしていた馬喰がいつの間にか親方になっていた。


「ああ五六十人くらいかの、博労以外にもあれこれやっておるでの、じゃが剣が使えそうなのはアンタたちだけじゃ。ほんのこの前にも四人いたがの、二人は出入りで亡くなり、二人は夜中に逃げよった。逃げただけならまだしも、わしの銭を盗んだあげく馬に二人乗りして逃げよった。

さっき連れておった馬は取り返して連れて帰る途中じゃったのよ」


「なら逃げた奴はどうされた」

「二人とももうこの世にはおらん。女郎屋に隠れておったが馬でわかった。バカなやつらよ、地元の博奕打ちから知らせがあっての、二人とも息の根止めて縛って蓆に包んで川に捨てた。今頃はウナギかフナの餌じゃろう」

三人は黙った。


「まあ、わしを裏切らなんだら何もせんし、相応のものも払うし、女も考えてやるで、しばらくは楽しみながらおりゃええ。ああそれともうわしの許しが出るまで逃げられんからの、わしらの仲間はどこにでもおるでの、その気でしっかり働いてや」

親方の目つきが変わったのは三人にもわかった。

三人は何もいわずに互いを見合った。


 その夜は歓迎の祝宴となった。

どこから連れてきたのか、三人それぞれに女がついた。

並みの酌婦ではなく遊女のようだ。

まだ若いが、それでも男の扱いはうまい。

三人は戦場を何度か経験しているとはいえ、それはまたこれとは違う。


親方は遊女を二人両脇にはべらせて飲んでいる。

時々三人を見る目が酒に酔ってはいないことを示していた。

やおら親方が口を開いた。

「三人に紹介しておくので、呼んでくれ」

遊女の一人が部屋を出ていった。


誰がくるのかと思ったら年増の女と若い女いや娘が婆を従えて入ってきた。

前に年増、少し下がって娘が座った。

顔は下を向いたままだ。

ともに色白なのはすぐにわかった。

化粧ではなく、肌の地が白いようだ。


「わしの女房と娘じゃ、日頃は顔を合わすことも滅多にはなかろうが、用心棒という役目柄、奥に入ることもあろうから紹介しておく。お前様たちのことは名も含めてすでにいうておる。ついでじゃが娘は前妻の子じゃ」


二人が顔を上げた。

三人は凍り付いた。

女房は恐ろしいような美人だが、娘はそれ以上だ。

年はまだ十五六か、目は斜め前の畳に落としている。


幽之介の胸が激しく動悸を打ち始めた。

悪之介も闇之介も固まったように二人を見ている、幽之介と同様のようだ。


そして女房が口を開いた。

「お三方様は異名をお使いになっていると主人より聞きました。ならば私どももということで異名を名乗らせていただきます。


わたしは主人の女房『深雪』と申しまする」

続いて娘が名乗った。

「わたしは娘の『白雪』と申しまする」

二人の異名はこちらへの当てつけか、それとも楽しんでいるのか、分からない。

おそらく両方だろうと幽之介は思った。


三人は知った。

これは尋常な馬喰の家ではないことを。

馬喰も最初に見た時とは明らかに人が違う。

三人は世間の闇の深さを初めて見た気がした。

幽之介は、抗いようのない、魔界に入り込んだ気がした。






















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魔界なりや 妻高 あきひと @kuromame2010

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