十年前の今日のこと

楸 茉夕

 

 こんにちは、楸です。初のエッセイ(?)でございます。

 内容はタイトルどおり。十年前の三月十一日、わたしは宮城県の真ん中あたりの沿岸部、津波がギリギリ届かなかったところにおりました。

 この十年間、正直、できるだけ目を逸らしてきました。辛いので。シンプルに。

 でもまあ、十年経ちました。もう十年なのか、まだ十年なのか、わたしにはわかりません。けれど、この機会を逃したらまた十年後になりそうなので、改めて文字にしてみようと思いました。お題は「走る」ですが、筆が走るということで。

 あんまり詳しく書くといろいろ露見する危険がありますゆえ、ぼやかして、文字数の許す限りとりとめもなく書いてみようと思います。

 政治の話題は荒れますから避けますけども、あのとき国の中枢にいた奴らは一生許さない一生だ。



 2011/03/11

 当時、わたしは実家で暮らしておりました。たまたま幾つかの偶然が重なって、家族は母を除いて全員家にいました。不幸中の幸いでした。

 何時頃かは忘れましたが、確実なのは地震が起きる前だったことです。

 わたしは何故か、唐突に、雛人形を移動させようと思い立ちます。今でもどうしてそう思ったか理由がわかりません。

 わたしの雛人形は、ガラスケース入りの三段飾りです。七段飾りの上の三段だけをそのままガラスケースに入れたものを想像していたければ。

 雛祭りが終わり、役目を終えて箱にしまわれ、私の部屋の箪笥の上に置かれていました。

 それをね、何故か。本当に何故か、一階に下ろそうと思ったのです。

 大人でも抱えられない大きさですが、重量はさほどありません。紐がかけてあったので、一人でなんとか運ぶことができました。とりあえず一階の和室へ置き、部屋に戻ります。そんでゲームの続きをしました。今でもはっきりと覚えております。wiiで発売されたラストストーリーの二周目を始めたばかりでした。序盤でカナンと出会うあたり。結局そのまま、二周目はクリアしていません。

 そして迎えた14:46、地震が起きます。

 わたしは最初、これが噂に聞いていた宮城県沖地震かと思いました。1978年の6月に起きた大地震です。

 宮城県民は、次の宮城県沖地震が、いつかくるぞ、必ずくるぞ、ほらくるぞ、と言い聞かされて育ちます。それが遂にきたのだと。

 しかし前評判よりも揺れが大きい(前評判?)。あ、これやばいな、と思ったわたしが咄嗟におこなったことと言えば、wiiのコンセントをひっこ抜くことでした。なんでだよ。よくwii壊れなかったな。

 そんで、床に座り込んだまま、スピーカーだのプリンターだの、部屋にあった家電という家電、家具という家具が飛び交うのを眺めるだけでした。

 大きな家具以外は飛ぶんですよ。動くとか落ちるとかではなく、飛びます。箪笥や本棚はさすがに倒れるだけでしたが。ガラスケース入り雛人形が部屋にあったらどうなっていたことか。雛人形が守ってくれたのだと思うことにしています。

 揺れは大きいし長かったです。2~3分だったそうですが、体感10分くらいに感じました。

 その時点で停電し、ガスも使えなくなります。水道は辛うじて出ていましたが、安全だったのかどうか。浄水器があったので浄水器を通して飲んでいましたが。水が出なかったら避難所に行かなきゃならなかったな、とは、後日、震災を振り返っての父の言です。

 幸い、家族は全員無事でした。停電しているので情報が一切入ってきません。外は飛び出したご近所の人たちでざわついています。

 さしあたってできることはないので、自分の部屋を片付けたのだったか、台所を片付けたのだったか。スリッパ重要です。できればスニーカーをベッドの下にでも置いておくべきです。食器など、割れ物という割れ物は、80%は割れましたからね。破片がもう家中に。ヤ●ザキ春のパン祭りの皿は異様に頑丈。

 しばらくすると、消防とも救急ともつかないサイレンが鳴り出し、鳴り止まなくなりました。絶え間なく聞こえたヘリコプターの音は、おそらく救急と報道でしょう。

 父が手回しラジオを発掘し、ようやく状況がわかってきます。

 最初は各地の被害情報を伝えてくれていたラジオは、やがて津波のことしか言わなくなりました。そう、津波のこなかった地域で被災した我々は、津波がきたということを知らなかったのです。

 やがて日が暮れます。停電がどれほど続くかわからないので、蝋燭を節約しながら夜を過ごします。

 幸い、仕事に出ていた母も無事で、夜遅くに職場の人の車で帰ってきました。このときはまだ、ガソリンがあれほど貴重になるとは、誰も思っていなかったのです。

 人工の光が一切消えた星空は、見たことがないほど綺麗でした。



 2011/03/12

 ぺらりと一枚だけ届いた新聞に、目を疑うような写真が一面に載っていました。

 わたしには燃える海のように見えました。まったく現実味がなく、こんな状況でも新聞って届くんだな、と思ったのを覚えています。今思えば、いろいろと麻痺していたのでしょう。

 昼頃、手分けして買い出しに行ってみようということになり、自転車で家を出ました。信号機が機能しないので、車はかえって危険だという判断です。

 近所のスーパーやコンビニを回りましたが、コンビニは軒並み全滅でした。皆行動が早い。信号機が消えた道路では、車が恐る恐るという感じで低速で走っていました。横断できるタイミングを待つ間、消防車が何台か目の前を通過していきました。その車体には「富山県」の文字が。

 そのときは、「富山県」が何を意味するのか理解できず、わたしは呆然と見送りました。何故ここに富山の消防車? と思うのが精一杯でした。宮城県の消防車は動けなかったのだと、後から思い至りました。一晩で富山県から駆けつけてくれたのですね。本当にありがたいことです。

 駐車場で商品を売ってくれているスーパーを見つけ、二時間ほど並び、お茶のペットボトルやお菓子、缶詰などを買えました。お米などは既に売り切れてしまっているようでした。

 並んでいる途中で、そういや今日は朝からお粥一杯しか食べてないな、と思い出しました。人間、お粥だけでも案外動けるものです。

 この日もサイレンが鳴り止まず、ヘリの音も断続的に聞こえ、余震は何度も起きました。防災無線は最初の揺れで壊れ、機能しなかったそうです。

 そして、津波のことしか言わなかったラジオは、原発のことしか言わなくなりました。

 わたしは、そんなもんいいから生活情報流せよ、と思ったような記憶があります。まさか、あんな大事おおごとになるとは夢にも思わなかったのです。情報が錯綜し、すべてが後手後手でした。

 おそらく、放射性物質は飛んできていたでしょうし、水からも出ていたでしょう。けれども、それを使うしかなかったですし、家に籠もっているわけにもいかなかったので。今死ぬか、後から死ぬかの違いだと割り切ることにしました。

 たしかに、直ちに健康被害はなかったですね。皮肉ですよ勿論。



 2011/03/14

 この日は、近くの中学校が避難所になっていたので、そこのお手伝いに行きました。

 沿岸部からたくさんの人が避難してきていました。着の身着のまま、命からがらという人も多くいましたが、不思議と悲壮感はありませんでした。今思えば、悲しんだり嘆いたりする余裕がなかったのだと思います。まずは生きなければなりません。

 そのときには、自衛隊のかたがたが救援にきてくださっていました。わたしがお手伝いに行った避難所にきてくださったのは北陸の師団だったように記憶しています。そんな遠くから、と思いました。本当に頭が下がります。

 炊き出しのお手伝いをして、一緒にいただいたご飯が、ものすごく美味しかったです。いやほんとに、塩むすびが美味しくて美味しくて。さすが自衛隊。缶詰も美味しかったです。

 あとは近くで農家をやっているかたが、もう売り物にならないからと大量のキュウリを差し入れてくださいまして。みんなでキュウリの漬物を作りました。でっかいバケツ何杯分という量のキュウリ漬けを。浅漬け美味しかったです。食べ物の記憶しかないのかわたしよ。



 本当にとりとめもなく書いていたら、そろそろ文字数が。

 三月十一日はたくさんの悲しいことがあった日ですが、だからといって楽しいことをしてはいけないなんてことはないと思うのです。

 死者を悼み、悲しみに寄り添うことは大切ですが、お誕生日や記念日は祝いましょう。なんでもかんでも自粛するより、経済を回して貰った方がいいに決まっています。365日誰かの命日だし、誰かの誕生日です。不謹慎厨は黙ってような。安全圏から石を投げるお仕事は楽しいかな?

 そんで、みんな全力で善人ぶればいいと思うんです。斜に構えてせせら笑うより、売名だろうが偽善だろうが、行動した方がかっこいいです。それで助かる人は必ずいます。三月十一日だけに限らず、災害が起きた日は善人ぶりましょう。わたしもさしあたって募金くらいしかできませんが、やってやったぜ! って思うことにしています。

 自衛隊の皆さん、救急、消防、警察の皆さん、各地から駆けつけてくださったボランティアの皆さん。いろいろな場所で尽力してくださった皆さん。あのときは本当にありがとうございました。今、わたしがこうして安穏と生活していられるのも、皆さんが必死に守ってくださったおかげで、今も守り続けてくださっているおかげです。

 生きている意味はわかりませんが、価値はあると信じています。

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十年前の今日のこと 楸 茉夕 @nell_nell

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