第7話 忘れ物
「まさか、本当に来るとはね。」
「よく言うよ。これは【来い】ってことだろ?」
缶ビールを飲みながら、俺は苦笑を浮かべるミカの目の前に、持ってきたハガキを突き出す。
「どこに【来い】なんて書いてあるのよ。」
「・・・まったく、相変わらず・・・」
ぎこちなさがあったのは、はじめのほんのわずかな間だけ。
ビールの酔いも手伝ってか、俺自身、まるで大学時代に戻ったのではないかと錯覚するくらい、ミカとの会話はスムーズで楽しかった。
ミカが語る、職場での出来事。
俺が話す、営業先での愚痴。
何を話しても何を聞いても、関心を持つポイントは同じ部分で、俺は久々に居心地の良さを感じていた。
何もかもが、以前と同じで。
何ひとつ変わらない、お互いの関係。
だが、俺は気づいていた。
ミカと俺との間に横たわる距離感に。
「で。今更だけど、何の用で来たの?」
「ん?」
「用があったから、わざわざ来たんでしょ?」
俺がミカの元を訪ねてから、もうゆうに2時間は経っていた。
部屋に流れていた曲も、とうに止まっている。
幾分強ばった表情を見せるミカに、俺はハッとして腰を上げた。
「長居してすまない。突然訪ねて、悪かったな。」
「えっ・・・・ちょっと待って!」
立ち上がったミカが、俺の腕を強くつかんだ。
「まさか、ほんとに私に会うためだけに、来たの?」
ミカの言葉に即答できず、俺は背を向けたまま唇を噛む。
ここへ来たのは、貸したままのCDを受け取る為だったはず。
でも、実際は。
今になって気づいてみれば、俺は受け取ったCDを入れる為のケースも持たずに来てしまったのだ。
しかも、その事に気づいたのは、たった今。
ミカに、訪ねて来た理由を聞かれた時。
(俺は一体、何しにここへ来たんだ・・・・?)
自問自答するまでもなく、答えなど最初から分かっている。
だからこそ、俺はミカとの間にできてしまった距離が怖かった。
怖くて、口に出せなかった。
「でも、何で?ショウにとっての私は、ただの友達でしか・・・・」
「そんな訳・・・・」
「え?」
「そんな訳、無いだろう?」
ミカの腕を振りほどき、俺はミカと正面から向き合う。
「俺があの時、どんな言葉を飲み込んだか。」
ゴクリ、と。
音を立てた喉は、俺のものだろうか。ミカのものだろうか。
「教えてやろうか?」
「言いたいなら、聞いてあげる。」
ミカはまっすぐに俺を見て、言った。
あの日と同じ、あの眼差しで俺を見ている。
俺も、あの日と同じように両の拳を握りしめて。
あの日飲み込んだ言葉を吐き出した。
「いっしょに、いてほしい。」
ミカは無言で俺を見たまま。
俺はもう一度ゆっくり、想い込めて、言った。
「ずっと、いっしょにいてほしい。」
「バカ。」
おそらく、数秒だったのだろうと思う。
だが、俺にとってはかなりの長い沈黙の後、ミカがボソリとつぶやいた。
「遅いよ。」
俺を見つめたままの目から、涙が零れ落ちてゆく。
「遅すぎ。」
そして。
「バカ。」
ようやく、泣きながら笑顔を浮かべる。
その瞬間、開いていた距離が元に戻ったのを感じ、俺はようやく、自分がここへ来た本当の理由が分かったような気がした。
「何年間飲み込んでたのよ、その言葉。長すぎでしょっ。」
「・・・・そうだな。」
お互いの温かな視線が絡まりあう。
最高に、居心地の良い場所。
腕を伸ばし、初めてミカを抱きしめながら、俺は思った。
(俺が取り戻しに来たのは、CDなんかじゃなかった。俺は、本当は・・・・)
「ショウ?」
「ん?」
腕の中から聞こえる、ミカのくぐもった声。
「痛い。」
「悪いっ、つい・・・」
知らず、腕に力が入りすぎてしまったらしい。
慌てて解こうとする俺の腕に、ミカの手が添えられる。
「でも、いい。今日は許す。」
腕の中でミカが笑う。
「でももう、大事な言葉は、飲み込んじゃダメだよ。」
「そうだな。」
失うことが怖くて自ら手放した大事な居場所。
取り戻した居場所を、俺は強く抱きしめた。
もう、手放さないように。
「だから、痛いってっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます