第12話

 陽が落ち、城内のあちこちに篝火が灯る。

 爆ぜる音が、夜の闇によくひびいた。

 野営のようだなと誰かが言って、そうだなとキョウはうなずいた。


 多くの者が、城の中央にある広場に集まっていた。兵士だけではない。住民の多くも集まっている。広場の中央には高い台が用意されていて、台を取り囲むように正規兵が整列していた。

 正規兵たちの表情は、鋭かった。緊張しているわけではなく、力強さを磨いて、尖らせているようだった。一分の隙もなく整列している様子だけで、今後の不安を打ち払っているようにも見えた。


「あれが、太守か」


 高台に上がっていく一人の男を見て、シカが怪訝な表情を浮かべた。

 太守らしき男は、小さな男だった。線もほそく、とても武人とは思えなかった。立派な甲冑をまとってはいるが、明らかに似合ってはいない。この舞台に立つためだけに、仕方なく着ているとしか思えない姿だった。


「あれが俺らを率いるのか」

「そのようだ」


 あからさまにキョウが落ち込む。シカは眉根を寄せ、誰にも聞こえないように小さく笑った。

 高台に上がった太守らしき男は、しばらくじっと黙っていた。一度正規兵たちを見てから、民兵と住民たちをゆっくりと見回していく。離れているために表情は見えないが、緊張しているようではなかった。むしろずしりと落ち着いている。細身の頼りない外見とは裏腹に、重い空気をまとっていた。


「事実のみ伝える」


 太守らしき男が言った。声が大きい代役を立てることなく、自ら声を張り上げていた。大声をあげることなど、そうそうなかったのだろう。張り上げた声は、お世辞にも聞き取りやすいものではなかった。


「河北の兵が迫っている」


 太守が言うと、広場はわずかにざわめいた。しかし正規兵が睨みを利かせているため、ざわめきは一瞬で収まった。


「敵の数は、十万である」


 瞬間、収まりきらないざわめきが広場を越えて城内にひびいた。

 シカとキョウは、表情を固まらせた。身体も動かない。聞き間違えではないだろうかと、太守のつづく言葉を待ったが、ざわめきが広がりつづけるだけだった。


 十万の大軍など、キョウは見たことがなかった。

 およそ十年前、ここよりさらに東で、各地から兵が集まって起こった戦があった。その時は、十万の大軍が動いたという。しかし大軍はひとところに集まることなく、大きな戦に発展せず終わった。だが、今回は違う。河北の一勢力が、十万を動かしたのだ。統制された大軍は、必ず大きな戦を生むだろう。


「この城に来たのは間違いだったかもしれんな」

「今更よ」


 シカの苦笑いに、キョウは口の端を持ちあげた。余裕があるわけではない。恐怖の心が凍りつき、動かなくなったのだ。こみあげてくる笑いに、キョウは自身が壊れたのではないかと首をかしげた。


「すでに援軍の要請をしている。じきに、味方の大軍が我らを救うだろう」


 太守が言うと、ざわめきがわずかに収まりはじめた。それでも、多くの者が叫び、吠えていた。中には、狂ったように言葉にもならない声をあげる者もいた。それらの声を、太守は制しようとはしなかった。むしろ、さらに声が上がるのを待っているかのように、自らの発声を控えていた。整列している正規兵たちも、動くことはなかった。高台に向かって歩み寄ろうとする者だけを制止しているのみだった。


 ざわめきはしばらく続いたが、やがて静かになった。

 夜の闇が、多くの者の心を冷やした。


「援軍が来るまで、我らはここで耐える。そのための備えは、長い時をかけてやってきた」


 無理に張りあげる太守の声は聞き取りづらいものだったが、妙に力強かった。余計なことを多く語らないからだろうか。まるで、戦の最中に飛び交う伝令のように短く、胸の中心に落ちた。


「逃げる準備をしている者は、南門から逃げよ。問答なく、通り抜けられる」


 そう言って、太守は南側を指差した。多くの住民と幾人かの民兵が、南に目を向けた。


「残る者は、この広場に留まれ。戦の後生き残った者には、必ず大きな報いを与えよう」


 報いという言葉に、南側を向いた者のうち半数以上が太守に向きなおった。

 どれほどの報いかは想像ができる。身分に関係なく、欲しいだけの田畑を与えるというものだ。河南(黄河の南側の地方)では多くの田畑を受け、新しい生活を始めている者がいる。地域によっては、必要な労働力まで提供されるのだという。身分が低く、金も無い者にとってこれほど良い話はない。


「あれと言ったのは、悪かった」

「そうだな。劉延といったか。たしかに“あれ”ではない」


 シカと向き合い、キョウは大きく息を吸いこんだ。勝ち負けや、生き死になど、なぜかどうでもよくなった。十万の大軍と、この戦いの結末を見たいと思わされたのだ。

 腰に納めた剣が、カチカチと鳴る。

 なんだと思って柄に手を当ててはじめて、自らの身体が震えていることに気付いた。凍りついた恐怖が、溶けたのか。それとも、別のなにかが湧きあがっているのか。震える剣と腕を抑える。キョウは、シカから高台にいる劉延に目を向けた。目の奥まで震えているような気がして、奥歯を噛み締める。


 夜が深まる。

 篝火が、強く爆ぜた。

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