第10話
喧騒が満ちている。
静かに逃げつづけていたキョウたちにとって、城の中は騒音に等しかった。兵だけでなく、住民も多く居る。女も子供も、老人もいる。ここは戦場ではないのだと認識するまで、しばらくの時が必要になった。
「皆、逃げていないのか」
キョウがこぼすように言う。彼の言葉をひろいあげるように、シカがうなった。
戦場に近い地域では、住民を避難させることが多い。戦いが始まってからでは、気遣いなどできないからだ。しかも、敵に多くの住民が捕らえられ、強制的に移住させられることもある。
「負けぬと思っているのかもしれん」
「まさか」
「戦にでねば、戦のことなど分からん。偉い者が大丈夫だと言えば、そう信じるだろう」
シカが言うと、そばにいたテイがうなずいた。なるほどと、キョウもうなずく。住民を見てみると、自棄になっている者はいなかった。城に入ってきた民兵を見て、すがるような瞳をたたえている。この城を、土地を守ってくれと言わんばかりだ。先ほど負けてきたと伝えれば、彼らはどう思うだろうか。
キョウたちの後からも、多くの民兵が城門を潜ってきていた。怪我を負っている者は多いが、重症の者は少ない。途中で棄てたのだろうと、キョウが顔をしかめる。共にいた十一人も同じように考えたのか、同じ表情を浮かべていた。
「奴らは無傷ではないか?」
一人が、驚くような声をあげた。見ると、声が向けられた先に、民兵とは違うまともな甲冑をまとった兵士の姿があった。手に持つ武具に汚れがない。まだ戦場に出ていない兵のようだった。見渡すと、まともな甲冑を身に着けている兵士は多く居た。忙しそうに走り回っている者もいる。
「正規の兵だろう。俺らとは違う」
「そうか」
「うらやましいか?」
「まさか。そうと分かれば、不憫なもの」
おどろいた声をあげた男は、シカの言葉に顔をゆがめた。憐れむような目で、正規の兵を見る。
正規の兵たちは、戦のたびに集められる民兵とは違う。本物の兵士だ。戦のためだけに生き、戦のために死ぬ。逃げたくても、逃げられない。行くべき道すべて、将が決めるのだ。死ぬと分かっても、将が指した方向へ駆けつづけなければならない。そうできない者は、軍令違反として味方に撃たれる。
民兵も逃げれば軍令違反となるが、逃げ切れば追いまわされることはない。元々ただの民草で、畑を耕すのが本来の姿なのだ。重い罰を与えれば、土地から人がいなくなってしまう。
「生きてこそよ」
「違いない。ああ、はやくかかあに会いてえな」
「終われば会える」
「終わればな。いつ終わるのか、これは分からんぞ」
憐れむように正規の兵を見ていた男が、長く息を吐きだした。
世の動きなど、民草には分からない。近くか遠くで戦があったとか、支配者が変わったとか、はっきり分かることはその程度だ。それでも、不穏な空気感は分かる。今は、地に根付くような不穏が満ちていた。
きっとこの戦は、早く終わらない。忙しそうに走り回る正規の兵を見て、皆がそう感じ取った。
やがて一人の正規兵が、シカたちのもとにやってきた。
「よく来てくれた」
正規兵の男は、笑顔で言った。全身に汗をかき、息を切らしている。やはり楽ではないのだなと、一目で感じ取らせた。
「籠城の準備が進んでいる。手伝ってもらえるだろうか」
正規兵の男が言うと、シカは首をかしげた。
「再編はしないのでしょうか。俺たちの伍は、無くなったのですが」
「もうじきするだろう。今は多くの民兵が戻ってきている最中なのだ」
「わかりました」
シカが丁寧に応えると、十一人に向きなおった。
「やろう。動ける者は動き、動けぬ者は休んで動けるようになっておくのだ」
シカの言葉で、二人が地に腰を下ろした。重傷ではないが傷が多く、顔から疲労の色が消えていなかった者たちだった。シカは二人に声をかけると、休めそうな場所を指差した。
「悪いな」
「明日は立場が逆かもしれん」
「違いない。なら、遠慮なく休むとしよう」
シカと二人が笑う。ずいぶんと心に余裕が戻ったのだなと、キョウはシカを見て思った。シカが元気だと、なぜかすべて、上手くいく気がした。キョウの視線に、シカが気付く。互いに表情を変えることはなかったが、互いの心の端が少し満たされた。
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