第8話

「キョウ、お前。それほどに強かったのか」


 シカと共に戦っていた三人が、キョウのそばにきて言った。キョウは長く息を吐きだし、呼吸を整えてから彼らに向きなおった。三人の顔に、驚きと喜びの色が見える。キョウは顔をしかめると、剣から滴る血を払い、拭った。


「意味のない強さだ。これは」

「そんなことはない」

「ある。生き残るために、こうして走っているのだ」


 そう言ってキョウは、地に倒れた敵兵の姿を見た。これらの死は、一歩間違えれば自分たちに降りかかっていたのだ。真に強ければ、万が一も無い。所詮、彼らよりわずかに速く、わずかに剣が長けているだけのことだと分かっている。もてはやされても、次も同じようにできなければ彼らの目の色は変わるだろう。


 キョウが戸惑っていると、シカが声をかけてきた。驚きもない表情で、キョウの肩を叩く。キョウが小さくうなずくと、シカもまた小さくうなずき返した。

 シカとキョウは長く共に戦っているが、一度たりともシカがキョウを矢面に立たせることはなかった。強い者を前に立たせたくなるのが当然のことなのに、二人は危機を同等に分け合ってきた。シカもキョウと同じように強いわけではない。どちらかといえば、シカは身体が大きいだけで、戦うことに不慣れなほうである。槍を持って戦うのも、剣で戦うより有利になるためだった。


「うまくいったものだ」

「シカ。あまり無理をするな。お前がいなくては、全員死ぬ」


 キョウが言うと、シカは片眉をあげて小さく笑った。

 シカは頭が回る。学があるわけではないが、なにかを察するのに長けていた。今のように逃げ回るときはもちろんのこと、多くの者が入り乱れて戦っている時も周囲をよく見ている。人の流れが分かるのだとシカは言うが、キョウには全く分からなかった。ただ人がぶつかり、駆けて、斬り乱れているだけにしか見えないのだ。剣に長けているものが、人の動きを見ることができるのと同じだとシカは言うが、それもまた、キョウにはよく分からなかった。達人の域に達すれば、分かるのかもしれないが。


「ここに長くは留まれない。行こう」


 シカが言うと、キョウがうなずき、他の六人もうなずいた。

 十の死体から逃げるように、駆ける。運良く近くに敵兵の気配はないと、テイが言った。それでも気を抜くことはなく、八つの影は地を這うようにして上体を低くし、駆けつづけた。


 次第に、周囲が明るくなる。陽が高くなったわけではない。静けさが森に満ち、心に余裕ができたのだ。風の流れで枝葉が擦れる音がしても、肩に力が入ることもない。死地から脱したのだと、鈍感なキョウにも察することができた。

 敵兵の気配が無くなるとともに、逃げる味方の気配もまた無くなっていた。生き残れたものがどれほどいるかは分からないが、駆けられるものはそれぞれ距離を取って逃げているのだろう。近ければ、互いに気が休まらないからだ。賢くなくとも、逃げる者は無意識に全てから距離を取る。


「わしらの伍は、無事だろうかな」

「期待するだけ無駄よ。こちらは俺以外目の前で死んだ」


 駆けながら、吐き捨てるように誰かが言った。その言葉を拾うようにしてキョウは目をほそめた。戦場の日常とはいえ、みな人間なのだ。心のどこかが壊れていても、死を目の当たりにすると冷静ではいられない。次は自分が死を受けるかもしれないと思っていても、本物の覚悟はどこにも無い。覚悟がないからこそ、足掻いて剣をふるのだ。そうすると、人より剣に長けた自分はさらに覚悟がないのだろうかと、キョウはさらに目をほそめた。


「水がある」


 シカが言った。立ち止まり、左下を見下ろしている。大きくくぼんだ底のほうに、わずかなきらめきが見えた。水の反射だと分かると、一人が飛ぶように駆け降りていった。残った者も、のどを鳴らしてじっと見下ろす。長いことまともに水を飲んでいないのだ。


「飲めるか」

「分からん。降りてみよう」


 シカが言うと、先に降りていった者を追うようにして、みなゆっくりと降りていった。

 水らしききらめきに近付く。先に駆け降りていった一人が、すでに水を飲んでいた。病にかかるかもしれないなど悩む余裕もないほど、乾いていたのだろう。涙を流しながらのどを鳴らし、しばらくして大声で泣きはじめた。

 水のきらめきは、小さな湧き水だった。湧き水の周りは苔がびっしりと生えている。シカが大きくうなずくと、全員飛ぶようにして湧き水に駆け寄った。競うように飲み、のどを鳴らし、泣く。泣きながら、誰かの名を呼んでいる者もいた。緊張の糸が切れ、現状を見つめ直したのだ。水を飲んだ後、八人のうち三人が絶望に落ちて、顔色を悪くさせた。


「このまま、逃げ切れるか」


 青白い顔になった一人が、ぼそりと言った。


「誰にも分からないことだ」

「だがな」

「言うな。ひとつ言葉にすれば、力をひとつ失う」


 キョウが言うと、青白い顔をした男はうつむいた。頬に流れた涙は乾いていて、目の奥底まで乾いた表情だった。キョウが彼の肩を叩く。男はぐらりと身体をゆらしただけで、大きく反応しなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る