第7話
自らの吐息がこれほどうるさいと思うことがあっただろうか。草葉に隙間から見える敵兵に向け、キョウは細く長く息を吐きだした。背後でも、深呼吸をする音が聞こえる。じゃりりと土を踏みにじる音が混ざり、緊張が増していく。
敵の什は、じりじりと近付いてくる。索敵中なのか、声一つたてずぐるりぐるりと周囲を見回している。それでもまだ、キョウたちに気付いていなかった。しかし奇襲するにはまだ遠い。駆けている間に迎撃の構えを取られれば、勝ち目は薄いと思えた。
「いくか」
「まだ。声だすな」
「すまん」
六人のうち逸りだした一人をシカが叱った。
シカは息をしていないのではないかと思うほど、静かにしていた。身体も動かない。わずかに揺れる髪の先が、敵兵を目で追っているのだと背中で教えていた。キョウも倣うように出来るかぎり息を殺してみたが、息苦しさには勝てそうになかった。
ぱきりと、枝を折る音がひびいた。
キョウたちではない。敵兵が踏み折ったのだ。まだ遠く離れていたが、その音は森に広くひびいた。直後、キョウの背後から荒い息を吐きだされた。
「まだだ」
「なにが、なんだって?」
「落ち着け。行くな」
シカとキョウの制止を振り切って、槍をかまえた男が駆けだした。男の目は血走っていて、およそ正常ではない。彼の後を追って、二人。走りだした。
まだ離れていた敵兵の什は突然のことに慌てたが、すぐに武器をかまえて迎撃の態勢を整えた。
「やむをえん。いつも通りよ。キョウは右へ行け」
「わかった」
「残りは俺についてこい」
シカが低い声で言うと、先に駆けだしていった三人から離れるようにして左に走りだした。キョウも右に走る。なるべく身を低くして、音を立てず、敵の什から一定の距離を保って駆けた。敵の什は前方の三人に釘付けとなっていて、キョウはもちろん、シカたち四人にも気付かなかった。
「三人か。やるぞ」
什長らしき男が、怒鳴るような声で号を発した。周囲に、血の緊張が下りる。最初に飛びだしていった三人は敵十人の威圧感にようやく我に返り、足を止めた。槍を持つ手に力を失い、遠目でも分かるほど震え、怯えている。
阿呆なことよと、キョウは内心嘲笑った。怯えるなら終始怯えていた方が賢しいというものだ。
「しかし良い囮となったもの」
右に駆けだしたキョウは、すでに敵の什の背後まで回り込んでいた。無論、ここから単独で仕掛けるわけではない。シカとキョウの間では、戦場で生き残るための戦い方を決めてあるのだ。キョウはじっと息をひそめて、じわりじわり敵の什の背後ににじり寄った。
「かかったな!」
シカの声が聞こえた。いつもより大きい声を飛ばしている。敵の什は、目の前にいる三人から声がする方へ一斉に目を向けた。槍をかまえたシカと他三人が、悠々と立っている。劣勢であることに変わりないのに、まるで待ち構えていたかのような態度だった。
「おのれ。返り討ちにしてくれる」
「おう。来い」
槍を振り回し、シカが挑発を重ねた。
弾けるようにして、什のうち六人がシカたちに向かって走りだした。残りの四人は目の前の三人に槍の刃先を向け、すぐにも貫こうとした。
シカたちと敵兵が動きだすのを見届けて、キョウは身体を低くしたまま風のように駆けだした。剣を抜き放ち、構える。向かうは居残った四人の敵兵だ。彼らは目の前の怯えた男たちしか見ていなかった。十歩の距離までキョウが迫っていても、全く気付くことはなかった。
背後から一人、左の脇下から斬り上げる。肉の切れる感触が手のひらに伝わって、キョウはわずかに顔をゆがめた。しかし、躊躇う暇はない。脇下を斬られた敵兵が壊れた人形のようにがくがくと身体をゆらすと、隣にいた三人がびくりと身体を震わせて崩れ落ちていく仲間を見下ろした。思考が止まったとはこのことだろう。キョウはすぐに身体をひねって、二人目の首に刃を当て、一気に引き斬った。切れ味の良い名剣ではないから、引いて斬ると、ぶつぶつと肉の繊維が千切れる感触が連続した。
「キョウ!」
怯えてすくんでいた三人が、キョウの姿を見て叫んだ。
「武器を握れ!」
「うおおお!」
最初に飛びだしていった男が、槍をかまえて突きだした。その刃先が彼の目の前にいた一人の腹部を貫き通した。腹を破られた敵兵が、前後に大きく身体をゆらす。自身を貫いた槍を見たかと思うと、全身を震わせながら大きく口を開けて舌を突きだした。
キョウは残る一人の太腿を切り裂くと、飛ぶようにしてシカたちのほうへ駆け出した。
シカは槍を振り回して、敵が深く飛びこんでこないよう立ち回っていた。キョウが背後を突くまで持ちこたえられれば良いからだ。シカの無事を確認すると、キョウは一息だけ吸いこんだ。
敵兵の六人はすでに、キョウの存在に気付いていた。しかし前には槍を振り回す男がいるので、転進するかどうか決めあぐねていた。その一瞬の隙をキョウは逃さなかった。二歩で距離を詰めて、一人の足を切り裂くと、そのまま右隣にいる一人の脇下を斬り上げた。
「こやつ、なんじゃ」
敵の什長らしき男が、悲鳴のような声をあげて半歩下がった。釣られるようにして残る三人も一歩下がった。
逃がすものかと、キョウが詰め寄る。什長はさらに二歩下がると、びくりと身体を震わせた。声にならぬ声を絞りだしたかと思うと、がらんと手に持っていた剣を地面に落とした。見ると、彼の首からは槍の刃先が突き出ていた。背後からシカが撃ったのだ。什長はしばらくぶるぶると震えたあと、口から血の泡を吐きだして絶えた。
残る三人の始末は一瞬だった。
キョウが動くまでもなく、シカが連れた三人が次々と撃っていった。先に襲撃した四人も、最後の一人をもう怯えすくんでいない三人が撃ち果たしていた。
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