誤解の走る先【KAC2021】

えねるど

誤解の走る先


―― 九月十二日 昼休み ――


 隣の席の男の子――高橋くんって名前――のもとに、別のクラスの人が数人集まっていた。

 特にすることもない私は机に突っ伏しながら、聞こえてくる会話に耳を傾ける。


「田中の野郎、昨日また走ってたよな?」

「あー、たしかに走ってたかも」

「アイツ一年だっけ? 一年のうちは走らせておけばいいんだよ」

「ダメだって! そんなに走らないように先輩である俺達がしっかりと言わないとさ」


 田中くんが走ってた。その情報しか入ってこなかった。

 しかもそれが駄目な事であるかのような言いぶりだった。


 隣の席の高橋君はたしか陸上部の短距離のエースだとか。

 百メートル十一秒を切ったとか切らないとか。私にはそれがすごいのかよく分からないけど。

 でも、見た目も顔も、私の好みだった。そんな高橋君が後輩の田中君が走っていることを気にしている。


 抜かされたくないから? それとも無理な走り過ぎで筋肉を傷めないようにする心遣い?

 どちらにせよ、寝たふりしている以上は気になっても訊けない。


「いやぁ、それにしても走ってたよなぁ」

「まあまあ、高橋も走るんだからいいだろ」

「俺とあいつを一緒にすんなよ!」


 ……よく分からない。とりあえず、田中君はやたらと走る一年生ってのは分かった。




―― 九月二十八日 放課後 ――


 私が教室に残って日直の日誌を書いていると、隣の席の高橋君の元にまたしても他のクラスの数人が集まった。高橋君って人気者だよね。

 日誌を書きながら、聞こえてくる会話に耳だけ集中する。


「昨日の田中……ヤバくなかったか?」

「ああ、あれはヤバいわ。走り過ぎだわ」

「だろ? 最近前よりも滅茶苦茶走ってるよな、田中」

「あれはさすがに走り過ぎだよな」


 田中君、走りまくってるのね。

 何がそんなに彼を駆り立てるの? 走る為に生まれてきた男なの?


「さすがにさ、そろそろ高橋が注意しろよ」

「いや、前に言ったって! でもアイツ全然言うこと聞かないんだよ。言われた日は走らなくなったけど、次の日には既に走ってんの。やばいよな」

「走り過ぎたら俺達もどうしていいか分からないよな」


 俺達、ってことは今集っているのは陸上部仲間なのだろうか?

 とにかく、田中君は注意されても走りまくる子なのね。

 もう田中君を止められる人はきっと居ないのよ、あなた達も、彼の走りたい欲求を押さえつけないであげて!




―― 十月五日 朝のホームルーム前 ――


 いつも遅刻ギリギリの私がたまたま早く教室に着くと、高橋君の席の元にまたしてもいつもの陸上部仲間らしき数人が集まっていた。

 今日も話をしている。

 私は鞄から教科書類を出しながら、いつものように耳をそばだてた。


「昨日の放課後の田中、遂にって感じだったな」

「ああ……ようやくだ。やっと走らなくなったな」

「俺が何度も注意したお陰かな?」

「ちげえだろ、いつも言ってるのは俺だ!」

「まあとにかく、走らなくなったのは本当に良かったよ。これで俺達も楽になる」


 え? 田中君走るのやめちゃったの?

 そんな! 高橋君、ライバルを減らしたいからって、そこまでするなんて!

 見損なったわ……。


「あとは、本番だな」

「本番も走らないよう、キツく言っておかないとな」


 そうか、全国高校陸上大会って確か十月末ごろだった。

 まさか、本番まで走らせないつもりなの?

 高橋君ってそこまで極悪非道だったの……。

 そのクリーンな笑顔からは想像がつかない。人は見かけによらないってことなのかしら。


 田中君、こんな悪人の言うことなんかきいちゃ駄目! あなたは走りたいように走るのよ!




―― 十月二十日 文化祭終了後 後夜祭にて ――


 私が作った衣装を着て演劇をしているクラスメイトを見ると、なんだか我が子を見ているような気になったわね。

 文化祭、悪くなかったわ。他クラスのぼったくり的な値段の喫茶店は許せないけど。


 そんなこんな盛況に終わった文化祭後、後夜祭がそのまま学校のグラウンドで開かれた。

 あたしは手渡された飲み物を持ったまま、キャンプファイヤーから少し離れた石段のところに座っていた。


 一人で遠巻きに揺らめく炎を見ていると、私の近くに数人の男子が何やら話しながら近づいてきた。

 別に私の元に来ている訳ではないが、一人が逃げるようにしてこちらに走り、それを数人が追いかけている。

 追いかけている人の中に、高橋君の姿もあった。他の数人も見た事がある。


「おいこら! まて! 田中!」

「い、いやですよぅ!」


 どうやら逃げているのは田中君だった。田中君!

 確かに見事な走りっぷりだ。


 と思ったらあっという間に高橋君軍団に捕まった。


「か、勘弁してください!」

「田中お前! あれだけ走るなって言ったのによう! 滅茶苦茶走ってたじゃねえか!!」

「ご、ごめんなさいぃ」


 高橋君が田中君にヘッドロックをかけている。

 そんなに田中君が走るのが嫌なの? 何か事情でもあるのかしら。爆弾を抱えているとか?


「しかも、よりによって本番が今までで一番走ってたよな!?」

「田中てめえ、あれだけ走るなって言ったのに……俺たちも釣られざるを得なかったじゃねえか!」

「ごごごめんなさい! 痛い、痛いです高橋先輩」


 釣られて走った意味は分からないけど、これ以上見ていられないわ!

 田中君の走りたい欲望の為にも、ここは私が言わないと!

 これ以上、いじめのようなものは見過ごせない!


 私が立ち上がると、田中君が泣きそうな声で弁明を始めた。


「だだだってぇ! 走るなって言われても、こっちは初心者なんですよ! 二ヶ月前に始めたばかりですし、覚えるだけでも大変だったんです」

「言い訳しやがって!」

「だって! 先輩方の言うことが頭では理解できても、いざやるとなかなかうまくいかなかったんですよ! 本番で緊張もしていましたし」


 本番?

 全国高校陸上大会はまだ少し先だったような……。


「本番が一番大事なのによう!」

「まあまあ、高橋、そのくらいにしておけって。俺らも田中に無理言いすぎてたと思うしさ」

「そうだぞ高橋。お前は完璧主義すぎるんだって。所詮文化祭だぞ。お祭りだぞ?」

「はあ? 本番に変わりはねえだろ! 俺は許さないぞ田中!」

「ひ、ひえぇ……僕、素人耳なのに……スラップベースの音跳ねに合わせてとか、ブレイクは揃えてとか、そんなこと言われても!」


 ……ああああ!


「お前ならちゃんとできるって思ったんだよ。家にドラムセットあったじゃねえか!」

「あれ、お兄ちゃんの私物です……僕はドラムなんてやったことなかったんです!」


 走るって、そういうことね。

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