第253話 友人
◆
剣聖府の医者という人物は老人で、まぶたが垂れていて眠っているように見えたが、腕は確からしい。
私の右肩に触れ、それだけでも私は激しい痛みにこらえているのに、手は無造作にいろいろなふうに力を込めてくる。
「痛いのなら声をあげろ。黙っていたはわからん」
老医師の文句に睨みつけておいたが、慣れているのか、反応はなかった。
結局、骨が折れているわけではないが、ヒビくらいは入ったかもしれない、ということだった。
真由が「私が処置しておきます」と言ったのに、老医師は無言で頷いて医務室の奥に消えた。
「あなた、剣士なのに治療ができるの?」
半信半疑そのままに確認すると、真由が微笑む。
「女同士の方がいいでしょ? それにあなた、ちょっとはまともな血筋みたいだし」
上着を脱ぐように言われたので、脱いだ。
「きれいな肌が台無しね」
右肩の辺りは色が変わっていた。特に棒が当たったところは赤でも紫でもなく、黒くなっている。
そこに塗り薬が擦り込まれた。その上に濡れた薄い布が当てられると、急に冷たさがやってきた。
「この薬は差し上げますから、適当に塗って、そして濡らした布を重ねてね。冷たさがなくなったら布を外して、もう一度、薬を塗りこむ。これを一日に一度か二度よ」
よく聞いたこともない治療法だけど、今の冷たい心地よさを実感してみると、効果はありそうだ。
「あなた、時子さん、剣術を始めてどれくらい?」
椅子に腰掛けた真由の問いかけに、「三年です」と私は答え、すぐに「あなたは?」と確認した。
真由はまだ幼さが顔に残っている。私より年下かもしれない。
「私は剣術を始めて、六年かな」
え! と思わず声をげてしまった。それに真由は微苦笑という感じだ。
「剣聖府ってそういうところよ。私、まだ十四歳だけど、あと何年かすれば、自然と剣術をやっている時間の方が長くなっちゃう」
十四?
「私も十四歳なんだけど」
何も考えずに言葉を口にしていて、その内容に真由はちょっと目を丸くして、同い年ね、と今度は柔らかい笑みを顔に浮かべた。
「私は真由・ダージャ。よろしくね、時子・アーキさん」
さりげなく手が差し出されたので、私はその手を取った。
「あの方、侯爵様との関係は聞かないでおくわね」
「うん、そうしてもらえると、助かる。すごく」
うんうん、と頷く真由に、私は気になっていたことを訊ねた。
「剣聖様は弟子の稽古をどれくらい見てくれるの?」
そうねぇ、と斜め上に真由が視線を向ける。そちらに何があるわけでもなく、記憶を探っているようだ。
「前に私に稽古をつけてくれたのは、二ヶ月前かな」
「結構、厳しいの?」
「いいえ。というか、棒で打つこともないわね。間違っているという指摘をされるだけ」
「指摘?」
そう、と真由が嬉しそうに笑う。
「構えが悪い、とか、重心が悪い、とか、そういう感じ」
「それだけ?」
「そうよ。棒で打ち合ってもらえるような立場じゃないわね、私は」
そうなのか。
剣聖はそれだけ、強いということ、だろうか。口先だけではなく……?
「剣聖の後継者はどうだった?」
まるで自分の剣士としての憧れを守ろうとしているようだったけど、そう確認せずにはいられなかった。
真由は「瞳先生?」と首を傾げている。
「瞳先生は、暇なときに棒で相手をしてくれたけど、ちょっと段違いかな」
「片腕しかないのに?」
よく知っているわね、と真由が笑った。
「あの人はやっぱり、普通じゃなかったかな。強いんだけど、腕力とか速度とか、対応力とか技の幅とか、どれかが図抜けているというより、組み合わせがうまいのよ」
よく分からない表現だった。
「さっきの、呂っていう人とどちらが強い?」
「知らないわ。剣士って、真剣を持って向かい合ってみないとわからないし、生き残った方が勝者、というが現実だから」
自分が変に幼稚な方向に質問を向けていることに気づいた。
そう、私は間違いなく、負けた。
棒ではなく真剣だったら、あの一撃で死ぬことはなくても、呂は私に悠然ととどめを刺しただろう。
敗北感というものが、これほど重いことはなかった。
濡れた布を真由が外し、一度、肌を拭ってからまた塗り薬を塗り始めた。
「あまり気落ちしないで、時子さん。あなたの剣、私はちょっと見入っちゃったな」
真由が嬉しそうに話す。
「私もそこそこ使うと思っていたけど、あそこまで鮮やかに他の弟子たちを打ち据えるのは、ちょっとできるか、わからないかな。剣聖の弟子、って、みんながみんな天才で、しかもそれが毎日、めちゃくちゃに稽古しているのよ。それこそ、脱落するものが出るような稽古をね」
塗り薬を塗り終わり、新しい布を当て、彼女は私の肩に着物を羽織らせてくれた。
「私ももうちょっと、頑張らなくちゃ、と思った。そういう意味では、私は時子さんに感謝している。それに、弟子を打つ時、あなたはちゃんと加減をした。他の弟子たちもあんな技を見せられたら、尻尾に火がつく、っていう奴よ」
私は黙って着物を着た。
「玄関まで送ろうか?」
真由の申し出に、侯爵が待っているから、と私は断ろうとした。そこへ、素早く真由が言葉を被せた。
「時子さん、あなた、どこで生活している?」
少し迷ったけど、無姓の侯爵の外屋敷、と答えた。
これじゃあほとんど、素性を明かしたようなものだ。
でも真由は特にそのことには触れなかった。
「私の都合のいい時に、訪ねてもいい? 時子さんと稽古をしてみたいわ」
どう応じるべきか迷ったけど、私は頷いていた。
真由が満面の笑みで、行きましょう、と席を立って結局、玄関まで送ってくれた。
その玄関で透は呂と立って話をしていて、呂は私に気付くと透に頭を下げ、こちらへやってくる。
私は頭を下げた。
「悪くない剣だったよ」
すれ違う時、呂はそれだけ言って、建物の中へ入っていった。
(続く)
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