第252話 思い上がり

     ◆


 透は本当に私を剣聖府の稽古に参加させた。

 しかし非常に極端な手段で。

 侯爵の身分を降りかざして押し入り、稽古の最中の弟子たちに「この子も混ぜてやってくれ」と言ったのだ。

 弟子たちは困惑して手を止めていたが、ぶちのめしてやってくれ、と透が言うと、一人が笑いながら私の前に進み出た。

 私にも棒が差し出される。

 その弟子はきっとやる気はなかったのだろう。ちょっと腕試しをしよう、程度だったはず。

 だから棒を持った私の気に飲まれ、一撃目を肩に食らった。

 シンと稽古場が静まり返り、全員の視線がこちらに向いたまま動かなくなった。

「まず一人」

 透がまるでふざけているように言うと、次の弟子が出てきた。

 ちょっとは手応えがあったが、棒を二合したところで、こちらが側面に回り込み、その牽制に引きずられたその少年は、胴を棒で打たれて、一礼して下がった。

 もう透は数を数えなかった。

 私は次々と弟子たちを相手にした。どんどん厳しい相手が前に立ち、疲労も相まって意識が曖昧になってくる。

 私の中の歯車を、一つ、そして二つ、切り替えた。

 風景から色が抜け落ちる。その代わり、棒が進む先、足を送る先がよく見える。

 躍動したと言ってもいいだろう。

 どれだけそれを続けたか、「面白いな」という声が聞こえ、私は目の前に弟子の一人がいるのに気付き、反射的にその首筋を打っていた。

 手加減できなかったので、彼は昏倒し、すぐに他の弟子数人が引きずって行き、用意されていた水をぶっかけている。

 私は声のした方を見ていたが、その時には感覚が平常に戻り、抗いがたい疲労が体を支配し、荒い呼吸で肩が上下した。

 視線の先には、青地に黒線の着物の男性が立っていてすぐ横にいる透に「何人やった?」と聞いている。

「十四人目だね」

 透が平然と答えて、私に用意してあったらしい水の入った瓶が投げて寄越された。

 片手で掴み、中身を半分のみ、半分は頭から体にかけた。

「凄まじい使い手だが、ちょっとやりすぎじゃないか?」

 男性が透にそう声を向けると「じゃじゃ馬なんだ」と応じている。

 視線がやっと私の方を向いた。

「名前は?」

「時子・アーキです。あなたは?」

「呂・マキナ。どこで剣を習った?」

「フォルダーナ道場です」

 弟子たちが少しざわついたけれど、呂という男性は平然としていた。

「あそこは剣聖府でも目を光らせているが、どこに隠れていたのやら」

「私を」

 そっと空になった瓶を足下に置き、私は頭を下げた。

「剣聖府に入れてください」

「弟子になりたい、ってことかな」

「はい、剣聖様の薫陶を受けたいのです」

 弟子たちはもう皆口をつぐみ、成り行きを観察している。

 呂は、ふーん、と聞こえるか聞こえないかの声を漏らしているだけだ。

 私は顔を上げ、彼をまっすぐに見た。

「私の力では、不服でしょうか」

「いや、俺は不服とは思わない。ただ、思い上がりが過ぎるとは思う」

「私は思い上がっていますか?」

 多分にね、と笑ってから呂は身振りで弟子の一人から棒を受け取った。

「俺に棒を当てられたら、剣聖に取り計らってもいい」

 またとない好機が、こうしてやってきた。

 好機というのはいつも、想定外だが、これはありがたい想定外だ。

 私は足元の瓶を蹴り飛ばし、棒を構え直した。

 疲労はすでに薄れているし、呼吸も整った。気力は充溢し、体の隅々まで詳細に把握できた。持っている棒にさえ、感覚が行き渡っているようだった。

 合図も何もなく、呂が進み出てくる。

 意識を切り替える。

 一つ。

 そして、二つ。

 視界を無数の光が閃く。呂の姿勢でその数が絞られ、ついには一つしか見えなくなる。

 足も同様だ。彼が踏み込む場所は見えている。

 お互いに間合いを消し、棒を振った。

 避けた。避けられている。

 二人が交錯し、反転し、再び交錯。

 かなり使う。それがわかった。

 こちらは最速の脚捌き、最速の振りで対応しているが、きっと呂にはまだ上がある。

 なら詐術で差を覆すのみ。

 隙を作った。誘いなど通用しないと、直感的にわかっていた。

 隙は隙だが、これは挽回できる隙だ。

 間合いが消える。棒がやってくる。

 姿勢を崩すようにして体を倒す。棒が目と鼻の先をすり抜けていく。

 瞬間、背筋が冷えた。

 脳裏に浮かんだ光景は、何だったか。

 呂の棒の動きが変化する。斜めに走っていた切っ先が刹那の静止の後、こちらへ向かってくる。

 斬撃から最小限の予備動作での突きに変化させる、初歩的な技術。

 避ける間合いではない。かといって相打ちも不可能だ。

 悟った瞬間、集中は音もなく切れ、消え去った。

 右肩の付け根を棒で打たれて、衝撃と同時に雷撃でも受けたような激しい痛み。

 足が床を離れ、体が回転し、肩から床に墜落する。勢いがついて、二転してから、仰向けで私の体は停止した。

 無意識に歯を食いしばっていた。

 右肩の痛みは今までにない激しさで、声を漏らしたいのが正直なところだ。

 しかしそれよりも、負けた。

 負けた自分が悔しかった。

 誘いなどが通じる使い手ではない。誘いにつけ入られた。むしろ彼は私が隙を作るのを待っていたのだ。

 考えればわかること。

 なんで、気づかなかった。

 なんで!

「こんな感じでいいかな、侯爵様?」

 呂の言葉に、こんなものでしょう、と何もかもを知っている様に透が応じている。

 剣聖の弟子の中の一人が近づいてきて「お怪我は?」と尋ねてきたが、その声が澄んだ高音だったので、思わずその顔をまじまじと見ていた。

 凛々しいが、女性のその面立ちだった。

「真由、その子を医者に診せてやってくれ」

 呂の言葉に、はい、と返事をして真由という名前らしい女性が私を起き上がらせた。

 私には興味もなさそうに、呂は透と何か話していた。

 悔しい。

 心が燃えているのではないかと思うほど、悔しかった。



(続く)

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