第251話 公女の立場
◆
無姓の公爵の外屋敷の一室で、東方に伝わる華道という、生花を組み合わせて何かを表現する文化的技法の指導を受けているところへ、兄の透がやってきた。
「そんなこともやっているのかい。時子は趣味が多いね」
透に頭を下げて、華道の講師がすっと位置を変え壁際に下がるのに、「今日はもう終わりにします」とこちらから声をかける。
私みたいな小娘に指示されるのも癪にさわるだろうが、講師はさすがに礼儀正しく一礼し、部屋を出て行った。
透は私が作った花の塊を眺めていたのを、おもむろにこちらに視線をよこす。
「なんでも、フォルダーナ道場で師範代になりそうだと聞いたよ」
意外に耳ざとい兄である。
この兄自身も若くして侯爵となっているが、実際的には父と同じく、政治や軍事とは距離を置き、どちらかといえば帝室に近い位置にいようとしている。
兄と私は九つの年の差があり、実の兄とはいえ、大人を相手にいている感覚が強い。
「師範代になっても、あまり意味はありませんよ」
「なぜだい? 道場で門人に稽古をつけて、剣士として生きていける」
「私は、剣聖府の事を諦めていません」
強情だなぁ、と透は花の塊を角度を変えて眺めながら笑う。
でも私は本気で言っているし、そのことは透も把握しているだろう。はぐらかしたいのだ。
剣術は十歳になる前から始めたけれど、これは剣士の中では遅い。大抵のものは五、六歳には棒を握り、振っている。
私が出遅れたのは、無姓の公爵の娘として、剣術を習う必要などない、とされたからだった。
しかし私は剣術に出会った。
最初に相手をしてくれたのは透だったけど、私が彼を打ち倒したのは十一歳の時。今から三年前だ。
それを聞いた父は、私をフォルダーナ道場へ送り込んだ。
その時、私は剣聖府に入りたい、と父に訴えた。父はこれをあっさりと否定して、私は、自分が無姓の公爵の娘だからか、とか、父に抗弁したけど、返ってきたことは簡単で「未熟だから」というものだった。
実際、フォルダーナ道場に行って、私は自分より強いものが多くいることを知った。
現実に直面した私の心は、折れるどころか、激しく燃え盛った。
結果、三年でフォルダーナ道場では私は一番の使い手になりつつある。
「剣聖の後継者を見せてあげただろう?」
透は指で花をつつきながら言う。
「あれで、満足してくれよ」
「実際に剣を合わせなくちゃね」
私がそう応じると、どうかな、と透は花の一つを抜き取った。特に意味はなさそうだ。
剣聖府に何度か、透は私を連れて行ってくれた。もちろん、身元を隠していたし、ただの従者のようについて行ったのだ。
そこで稽古をしている一人の男に出会った。
明らかに気配は違うけど、不思議でもあった。
左腕がないのは、袖の中身がないのでわかる。
片手でただ刀を構えていて、剣を振ることはない。振らずに緩慢に、刀が動くのだが、それが私には驚きだった。
剣がぴたりと静止したまま、動く様。
簡単にできるように見えるが、あれは生半可な稽古ではできないのが、見てわかった。
異質な技だった。
そして、彼が剣聖の後継者だ、と透が教えてくれたのだ。
剣聖府は頂点に剣聖がいて、今は閃・ストライムという老境に達している剣士で、この剣士は今でも最強の称号にふさわしいとされる。
その剣聖は無数に弟子を抱えるが、その弟子の中から選ばれた一人が、次の剣聖の第一候補である剣聖の後継者とされる。
剣聖の後継者というものに半信半疑だったけれど、目の前にいる片腕の剣士を見たとき、これはすごい、と感じずにはいられなかった。
どれだけの修練を、どれだけの時間、積み重ねればそこに達することができるのか。
他に見た剣聖の弟子たちとは、一枚も二枚も上手の使い手だった。
後になって聞いたが、片腕をなくしたのは剣聖の後継者とされた後で、つまり後継者でありながら敗北したという。ただ、死にはしなかったし、逆に再戦の場では相手を斬ったという。その時に左腕を失ったということだたった。
あれだけの剣士が敗れるというのは、想像しづらかった。
ただ、剣というものには、絶対はない。
強いはずのものが敗れることはままある。
裏を返せば、剣聖の後継者は、敗れても死ななかった、という点で優れてはいたのか。
私に気づくことなく、剣聖の後継者は一人きりで、ただ刀をゆっくりと動かしていた。その光景を、私は気づくと食い入るように見ていた。
私はそっと透が腕に触れなければ、いつまであそこに立っていただろう。
とにかく、剣聖府というところへの興味は、実際に見ても、決して萎むことはなかった。
「剣聖の後継者は、天帝府を出て行ったよ」
手元で生花を弄びながら、透がこちらを見る。
「出て行ったって、どういうことですか?」
「言葉のままだよ。北辺に使者として派遣された。あまり大した仕事でもないようだね。個人的な事情という奴もあるらしい」
個人的な事情?
あまり深く踏み込むと、兄も不快だろうと私は追及はやめた。
「これは噂だけど、剣聖は後継者をもう一人、探すかもしれない、という話が流れてきた」
口調を全く変えないので、透が言っていることをすぐに理解はできなかった。
後継者が二人いる、ということは起こりえないはずだが、どんな立場にも控えは必要かもしれない。
「剣聖の弟子から選び出すのではないですか?」
ありそうなことを言う私に、本心を見抜いたのだろう、透がニヤニヤとこちらに向き直る。
「ま、やる気があるなら砕け散る覚悟でぶつかってもいいんじゃない?」
今や不敵な笑みと言っていい兄の顔を見て、私はどうするべきか、ちょっと考え、できますか? と問い返していた。
もちろん、とは言わないが、透は確かに頷いてみせた。
(続く)
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