第249話 一振りの刀として

     ◆


 剣聖府に戻ることなく、ひっそりと俺は監獄からそのまま内壁の外へ送り出された。

 ついてきたのは衛兵が一人だけで、俺の荷物は最低限の衣類と銭、そして剣聖から手渡された刀だった。

 その刀の存在は知っていた。

 剣聖の後継者と呼ばれる、次の剣聖になるものが持つ刀だった。

 剣聖の証明である覇者の剣と対になる、敗者の剣とも呼ばれる一振り。

 衛兵は俺を先導するかたちで進んでいく。

 どこに行くのかと思うと、四階建ての古い建物で、中に入ろうとすると屈強な男が二人、連れ立って出てきた。こちらを睨みつけ、彼らはどこかへ去っていった。

 建物に入ると、狭いが食堂のような部屋に連れて行かれ、そこには、よく知っている人物が待っていた。

「どうやら無事に生き延びたようだね」

 静かに衛兵が通路に下がり、俺は一人で彼の前の椅子に腰を下ろした。

「ここはなんですか?」

 もう礼儀もなにもなく、単刀直入に確認すると「用心棒の住まいだ」と彼は平然と口にした。

「用心棒?」

「妓楼がこのそばに三軒ある。経営者が同じで、そこの用心棒がまとめてここで寝泊まりするんだ。今は全部で二十人ほどだ」

「俺はここで用心棒をしていれば、いいのですか?」

 実は天帝府を出て、どこかを旅しようと思っていた。どこへでも行ける自分というのは、今までになかったことだ。銭は少ないが、どこかで稼ぎながら旅を続けることはできるだろう。

 彼は俺の内心など知らず、勝手に二度ほど頷いた。

「用心棒をするのは、まぁ、形の上だね。実は、冬司屋敷事件と、それに続くハンヴァード公爵の一連の動きで、あまりに多くのものが家を失った」

 家を失った、と表現しているのは、起居する場所を失った、ではなく、貴族という肩書きを失った、ということだと俺は解釈した。

「妓楼にどこかの令嬢でも放り込まれたのですか?」

「放り込まれたというより、仕方なく彼女たちをそこで養うんだよ。まさか何のツテもない場所に、放り出すわけにはいかない」

 しかし妓楼とは。

 妓楼がどういう場所かは、彼も、その貴族だった女たちも知っているだろう。

「瞳、きみに頼みたいのは彼女たちの支えになることだ。ほんの数年でいい。きみという存在で、彼女たちの心を支えてやってくれ。彼女たちは何の罪も犯していないし、罰せられるようなことも何もしていない。ただ、血筋というものだけが、彼女たちを苦境へ追いやった。はっきり言って、非道だが、この国はそういう国だ」

 俺が何も言わずにいると、彼は席を立ち、「任せる」とだけ、俺の横をすり抜けざまに言った。

 彼、皇太子が俺を今の状態に意図的に誘導しているのは、明らかだ。

 もしかしたら、俺に自分を守らせたところから、彼はこの事態を想定していたのかもしれない。念入りに計画し、そして自分の命を危険にさらしてまで、彼はその道筋を走りきった。

 いや、もっと大きな計画だったのだ。

 天帝府、この国の中枢から、都合の悪いものを徹底的に排除する計画は、あまりにも壮大で、全体像を誰が把握しているのか、俺には想像もつかなかった。

 彼が去っていくのと入れ違いに、中年の女性がやってきた。前掛けをつけている。

「新入りかい。腹が減っているかい」

 そう声をかけられ、どう答えるべきか、ちょっと考えた。

 新入りだが、俺が持っている銭はあまりにも少ない。

「いくらですか?」

 確認すると「銭はいらんよ」と答えがあったが、すでに女性は奥へ行き、声だけが聞こえ、何を食べたいか聞かれた。

 牢に入れられている間、まともなものを食べていないことが不意に思い出された。

「肉はありますか?」

「待ってな」

 声に従って椅子に座ってしばらく待つと女性が皿を持ってきた。豚肉が煮られたものが山盛りになっている。

 女性は俺に一方的にこの寮でのやり方を早口で説明した。部屋は一人一人が別で、風呂はあり、食事も出る。しかし酒はない。大抵のことは無料で、用心棒としての仕事への対価は、月に一度、銭が配られる。

 女を連れ込むことは許されていない。賭け事は禁止。銭の貸し借りも禁止。

 かなり厳しい規律が徹底されているが、そう、皇太子が来ているのだ、ここで用心棒を養う妓楼というのは、相応の身分の者しか客として取らないし、用心棒たちもならず者や暴力に慣れたものではなく、元は兵士だったような男たちなのかもしれない。

 そういう受け皿は、社会には必要だろう。

「聞きたいことは?」

 女性の問いかけに、俺は「何もありません」と答えた。

「なら良い。熱いうちに食べちまいな。そしてしっかり眠る事だね」

「どういう事ですか?」

「あんた、死人みたいな顔をしているよ」

 思わず頬のあたりを撫でたが、自分では自分の顔は見えない。

 とりあえずは、と肉を箸で持ち上げ、口へ運ぶ。

 女性は一度、厨房の方へ行き、やはり皿に山盛りの何かの果実と、お茶を急須で持って戻ってきた。肉を食べている俺の前で、小刀でスルスルと果実の皮が剥かれていく。

 肉を食べ終わったところで、その果物を差し出され、俺はかじりついた。

 甘く、汁気が多い。

 お茶を飲み干し、「部屋は三十九番」と言われる。

 礼を言って食堂を出る。札がそれぞれの扉の横にあり、三十番台は四階のようだった。

 階段を上っていくと、足音が降りてきて、細身の男が現れた。

「何? 新人?」

「はい、瞳と言います」

 そう名乗ってから、自分の名前は前のままでいいのか、気になったが、用心棒の男は気にした様子もなく「よろしく」と俺の横を抜けて階段を降りていった。

 俺の名前など、たいして知れ渡ってもいないのだろう。

 元々から、剣聖府の中で起居していたし、外部と接触することも少なかったのだ。

 部屋にたどり着き、鍵がないのに苦笑しながら中に入ると、最低限の家具しかない部屋だ。寝台があり、すぐにも使えるのはありがたい。

 寝台に腰掛け、俺は一度、息を吐いた。

 用心棒か。

 全てがいきなりで考える時間が必要だった。

 俺の手の中には、一振りの刀がある。

 俺はそれを手にするとき、牢の中で考えたことに、一つの結論を見いだしていた。

 剣として生きる。

 その上で、俺は使い手でもある。

 俺は剣である俺自身を、自律する使い手になりたい。

 修練はまだ続くし、試練もまたあるだろう。

 決断の時もくる。

 俺はそのときのために、生き延びて、技を磨き続けるとしよう。

 一度、俺は刀を鞘から抜いた。

 美しい刃をしている。

 血に曇る刃のことが、脳裏をよぎる。

 剣は人を切るものでも、人を守るものであってもいい。

 刀を鞘に戻し、俺は目を閉じた。

 静けさが心をゆっくりと凪いでいった。



(第〇部 了)

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