第239話 静かな狂乱
◆
甲高い音を立てて、剣が折れた。
切っ先がすっ飛ぶ前に手応えでわかっていた。即座に柄を放り出し、手は最短距離で腰の短剣を抜きざまに投擲。
切っ先が湿った音を立てて、目の前の兵士の喉に突き立つ。
力を失いかけた剣を奪い様に、二人を切った。
それでまた一本、剣が折れた。
「才能っていうのは、あるものだね」
彼は平然と俺の背後に、少し離れて立っている。
周囲の喧騒は激しすぎるほどだ。
場所は小さな部屋で、何のための部屋かはわからない。いや、寝台があるから、寝室なのだろう。しかしこの離宮にはそんな部屋は無数にある。そもそも誰の寝室かもわからないし、調度品からすると、彼の部屋ではない。
俺は寝台の上の布を適当に手に取り、返り血をぬぐい、それは床に放り捨てた。
意外に高価だよ、と言いながら、彼が寝台に腰を下ろす。やっと疲れた様子を見せたかと思ったが、足などを組んで、頬杖をついて、どこか演劇の鑑賞中のような余裕な仕草を取るのだった。
「どれくらいを切ったか覚えている?」
「そうだな」
俺は腕を何度か曲げ伸ばしした。動きが強張ると不利になる。
「感触としては、二十人か」
「おおよそ正確だ。二十三人」
特に答える必要もないだろうと、俺は足元に転がる兵士たちが開けて入ってきた扉をそっと閉じ、転がっている剣を回収した。
腰には予備が一本あるが、常に二本は持っていたい。
どうにも連中の持っている剣は粗悪品が多く、強度に不安がある。
「これからどうします? もう襲撃が起こってから半刻は過ぎた」
俺の言葉に、ばったりと彼は寝台に横になる。やっと気づいたが、三人も四人も眠れそうな寝台は巨大で、そのせいで部屋が狭く見えたが、相応に広い部屋だった。
「父上の方にも襲撃はあったはずだ。まさか殺されてはいないだろうけど、禁軍は動きがとりづらいと思う。今回の一件では、父上のそばにはすぐに剣聖が辿り着くように、算段が立ててあったけど。こちらがここまで危険とは思っていなかった」
「ここの衛兵が剣聖府へたどり着けば、すぐに駆けつけるはずです」
俺が実際に反乱を起こした兵士を切った感触では、技量は平凡な兵士のそれしかないものが多い。剣聖その人ではなくとも、剣聖の弟子として研鑽を積む俺の仲間たちなら、対抗できる。
足音が近づいてきた。しかしゆっくりとして、静かだ。
自然と俺も彼も黙った。
ゆっくりと扉が開いた。
「尽?」
「瞳?」
言葉が交換された次には、両者が剣を抜いて向き合っていた。
彼は無言で、寝台の上で体を起こしたまま、身動きしない。
目の前にいる男は、よく知っている。尽・トランヴィンスキという青年で、剣聖府に二年前まで属していた。
トランヴィンスキ侯爵の三男で、剣の修練をかなり積んだものの、結局は権力争いのあおりを受け、天帝府守備軍の下級将校になったはずだ。
あの時、尽が剣聖府を出る時、「つまらんな」と笑ったのをよく覚えている。
その彼が今、こうして俺の前に立つのか。
お互いに何も言わない。ただ間合いを計り、姿勢を変え、誘い、欺き、一撃を繰り出す瞬間を狙っている。
周囲の喧騒が一瞬、全て止まった気がした。
沈黙。
静寂。
両者が同時に動く。
俺の剣が彼の刀とぶつかる。
不自然な手ごたえ。
剣が折れた。いや、切られた。
尽の得意技だ。失念していた。剣を剣で切るなど、ただの遊びだと剣聖の弟子たちに笑われていたのを、俺は見ていた。
そして密かに俺はそれを身につけようとしたのだ。
迂闊。
考えている暇はない。
体を無理矢理にひねる。彼の持っているのは剣ではなく、刀だ。片刃で、わずかに反っている。
不規則な、刃を返さない動作で、俺の胴を尽の刀が激しく打った。
倒れこみ、転がり、悲鳴を飲み込んで俺は起き上がった。
尽が刀を構え直す。
俺は紙一重で刀と体の間に挟んだ短剣が、重すぎる威力に砕けているのを投げ捨て、予備の剣を抜いた。
手が痺れている。流せずに受け止めたのもあるが、ここまでに大勢を切ってきたことの疲労が、俺の体にはどうしても残ってしまう。
呼吸を細くする。
人間の体は不思議なもので、意識の状態によって限界を変えられる。
誰もが身につけることができることではないし、身につけたというほど確実なものでもない。
しかし今、俺は限界を超える必要があった。
すっと尽が刀を上段に構える。
俺を剣ごと、両断する構えだった。
対してこちらは下段。
早さ比べになるか。技を競う局面ではないが、技を捨てきる局面でもなかった。
ここまでくると、読み合いですらない。
決断し、全てを委ねる。
尽の双眸が明かりの中でギラギラと輝く。
彼は今、剣聖府を出ることになった無念を、意識しているのだ。
俺を切ることで、自分の本当の可能性を、理解したいのだ。
ありえなかった未来。
剣を極める未来を、きっと俺の死体を前にすれば、彼は束の間でも幻視できるだろう。
鼓動が感じられなくなる。
視界の色が徐々に失われ、何もかもの輪郭が消えていく。
その中で、剣の筋だけが見えてくる。
間違いなく、達人の一撃がくる。
どう対処できる?
どう切ることができる?
世界は沈黙し、ただ幻の剣だけが躍動した。
俺は尽の向こうに、何を見たのか。
尽は、俺の先に、栄光を見たか。
踏み込んだのは、同時。
剣が、刀が、全く同時に動き出した。
(続く)
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